蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

  • 満福寺 境内
  • 満福寺 護摩法要
  • 満福寺 本堂
  • ありがたや 如来大悲の恩徳を 祈る心に 福 満つる寺
  • 満福寺 大師堂
  • 満福寺 大師堂内陣

満福密寺満福寺(通称))について

満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。

当山の御朱印

満福寺 御朱印当山では御朱印をお授けしております。ご希望の方は、「満福寺の御朱印について」をご確認の上ご来山ください。

御朱印の受付時間、御朱印をいただく際の留意事項についてご案内しています。

戦後八十年
 八月はお盆月。お盆休みには全国一斉に仕事の手を休め、ご先祖に手を合わせる時です。このお盆休みに、休暇をいいことに家を留守にし、海だ山だレジャーランドだ海外旅行だと遊興にふけっているのはもってのほか。お盆はご先祖とともに一家団欒の時を過ごし、ご先祖あって今の私があること、すなわち自分が依って立つルーツを自覚する大事な機会です。日本の夏にご先祖など頭になく、この物価高騰・所得減少の時代にレジャーにうかれ、ないはずのお金を使っている日本人はコッケイです。
 この八月に、「八月や 六日(むいか)九日(ここのか) 十五日(じゅうごにち)」という文人小森白芒子が読んだ有名句があります。六日はヒロシマ、九日はナガサキ、十五日は敗戦の日、という意味で、ヒロシマもナガサキも敗戦の日も、今年でもう八十年です。
 先日、六日にヒロシマで、九日にナガサキで、それぞれ被爆犠牲者を追悼し、核兵器の廃絶を訴え世界の平和を祈る式典が行われ、十五日には東京九段の日本武道館で全国戦没者慰霊式が行われました。私はこれらの戦争犠牲者を追悼し平和を祈る式典の歴史と同じ八十年を生きてきた者ですが、近頃その式典で発せられる「アピール」「宣言」「メッセージ」に形骸化・風化したワンパターン思考を感じます。
 私には、わずかながら、戦争と原爆の直接的な体験があります。その一つは、まだ二才半の時でしたが、防空壕から夜空に見えたB29の黒い機影で、その時となり町の軍用機工場と飛行場、あるいは宇都宮の師団がねらわれたという大人の声が聞こえていました。もう戦争末期、東京が焼け野が原になっていた頃のことですが、今でも鮮明にB29をおぼえています。その頃、海軍兵学校の優等生だった近い親戚の従兄が、絶対的に不利のなかゼロ戦に乗り、東京湾上空で米軍の爆撃機に一戦挑みましたが撃墜され、英霊となって今靖国に眠っています。
 原水爆と放射能の危険をリアルに感じたのが、昭和二十九年(一九五四)、六年生の修学旅行の際、三浦半島の三崎漁港で「食べて安全、三崎のマグロ」という横断幕を見た時でした。その年の三月一日、アメリカが太平洋マーシャル群島のビキニ環礁で水爆実験を行い、その海域で操業していた焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、乗組員全員大量の「死の灰」(放射線降下物)を浴び、被爆しながら焼津港に帰港したものの、乗組員のヤケドがただならぬことがわかり、その半年後乗組員の久保山愛吉さんが被曝によって死亡する事故となりました。焼津港は他のマグロ漁船も急ぎ寄港し、放射能を浴びた船体や乗組員やマグロなどの対応で大さわぎになりました。三崎港も遠洋マグロの水揚げ港でしたので、漁業関係者が「三崎のマグロは安全」を言いたかったのでしょう。いずれにしても、子供心にヒロシマ・ナガサキと同じような放射能汚染が、そう遠くない静岡県に起きているという直接的な危険を感じたものでした。
 ヒロシマ平和公園の原爆死没者慰霊碑(「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」)にはじめて額づき、原爆ドームを仰ぎ見たのは、二十(大学三年)の時でした。アルバイトのお金を貯め、新幹線が新大阪まで開通した年、東京オリンピックが終り学園祭の秋、新大阪から広島まで特急「しおかぜ」で四時間、原爆資料館は予期した通り大ショックでした。翌日、厳島神社から海をながめて茫然としていました。ヒロシマに行ったのは、映画「その夜は忘れない」(若尾文子・田宮二郎主演、被爆者が生きる苦しみ・悲しみの現実を画いた作品)を見たことがきっかけでした。映画に出てくる太田川の川岸や広島の繁華街をしばしうろついたものでした。
 ナガサキの平和公園・原爆資料館・浦上天主堂には、子供(小学生)二人を連れて行きました。しかし、あの平和祈念像(北村西望作)には嫌悪感に近い違和感をすぐに感じました。もちろん制作の目的・意図はあるでしょうが、私にはナガサキ市民の苦しみ・悲しみを癒すものとも思えませんし、慰霊・追悼の念も感じませんし、平和への希望も感じませんし、何より神の愛とか仏の慈悲などまったく感じませんでした。あの場所にまったく似つかわしくありません。浦上天主堂の方が厳かで静謐で慰霊にふさわしく、また威風堂々としていて生きることへの希望が湧いてきます。
 沖縄の平和祈念公園(「栃木の塔」)にはじめてお参りしたのは三十才の時でした。同宗派の栃木県青年僧侶とともに戦後三十年の慰霊法要を行いました。その後できた「平和の礎」にもお参りしています。
 戦争関連の施設で一番心打たれたのは、鹿児島県知覧町の特攻平和会館です。二十前後の特攻隊員が親や兄弟姉妹に残した遺書・辞世は、涙と嗚咽なしには読めませんでした。高校生の修学旅行は京都・奈良よりも絶対ここへ来るべきだと思いました。
 防空壕・三崎・ヒロシマ・ナガサキ・沖縄・知覧などで原爆や戦争の怖さをリアルに感じる体験をしてきて、今年はとくに、ヒロシマの子供代表の「平和への誓い」と長崎市長の「平和宣言」に形骸化・風化を感じました。
 ヒロシマの子供代表の大人びた言葉使いや大人のような論理展開は、あれは小学生の言葉ではなく、明らかに大人のもので、おそらく所属校の先生か、市教育委員会か、誰か式典関係者の大人が書いた原案を子供の文のように偽装し、それを読まされたに相違ありません。核兵器廃絶・世界平和に子供を利用する、このような悪質なヤラセの常態化も形骸化・風化の一つです。
 また、毎度国の方針とは水と油の広島市長の「宣言」も県知事の「あいさつ」も、八十年一日の如く続くと、さすがに魂のこもってない机上の空論に聞こえ、ましてや長崎市長の絶叫「宣言」は青臭い遠吠えに聞こえました。ノーベル平和賞を受賞した被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の被爆体験をありのままに語り継ぐ運動は、机上の空論への警鐘とさえ思えてきます。
 十五日の朝も広島県知事がテレビに出演し、仮想の核抑止論を物語(フィクション)だと文化史学者のようなことを言っていましたが、では、物語(フィクション)ではないリアルな核兵器廃絶や世界平和をどのようにして実現するか、その具体策方法を言うわけではありません。ヒロシマが八十年もアピールしてきた核兵器廃絶・世界平和も、同じく仮想の物語(フィクション)に過ぎないことがわかっていないようです。
 世界は核兵器の廃絶どころか新しい核兵器の開発と核の増強の時代、核兵器使用の威嚇が現実に行われています。世界の現実は戦術核をふくむ「使える核」の開発競争です。理想論は理想論で大切ですが、今理想論を言うとしても、ヒロシマ・ナガサキが核保有国が納得する核廃絶論を言えなければ説得力がありません。核保有国の代表がヒロシマの原爆資料館を見て帰っても、核廃絶を口にしません。たとい口にしても、その国では珍しい少数異見です。核保有国は式典に参列はしても核兵器を持ち続けるのが世界の現実です。ヒロシマ・ナガサキが長く拠り所としてきた原水爆反対・核兵器廃絶・世界平和という物語(フィクション)は国際社会では非現実的だったため、八十年が経っても世界のコモンセンス(共通認識・常識)にならなかったということです。
 式典の形骸化・風化という点では、十五日の全国戦没者追悼式も同じです。失礼ながら、天皇陛下の「戦陣に散り、戦禍に斃れた」という決り文句を何回聞いてきたでしょう。
 ここのところ、テレビでは「なぜ、あのような戦争をはじめたのか」について識者がさまざまな論評をしていますが、一言で語れる問題ではありません。私は、現在のトランプにも通じる西欧先進国の白人優先、それに抑えられ、いじめられ、排除された黄色人種(ジャップ)。その民族的弱者のみじめさに対する神国ニッポン・大和魂の反発・暴発。具体的には、ひとえに軍国主義と軍人・軍部の思い上がり、「八紘一宇」と天皇の戦争利用。その背景にあった西欧に追いつき追い越せの富国強兵そして軍国主義を支える国粋主義的な国家神道だと考えています。開戦当時の駐日アメリカ大使だったジョゼフ・グルーは、日米戦争の回避につとめ、のちに『滞日十年』を書いた知日家でしたが、悪いのは「狂信的な軍部」だったと言い残しています。
 ただし、あの日本軍による侵略戦争にも、副次的ですが、西欧列強とくにイギリス・フランス・オランダの植民地だったインドをふくむアジア諸国を植民地支配から解放した利点があったことを識者は言いません。
 時に、イーロン・マスクが登場して、二十一世紀半ばから後半の人類はAI(人工知能、Artificial Intelligence)の時代になりそうです。すなわち、人間が発明し実用化したAIが、人間の知能を越え、人間を支配し、文化を形成し、国や社会や世界の構造を変え、すべてを動かす時代。
 軍事技術にも大きな変革が起き、核のボタンを押した途端、核爆弾がその場で自爆する時代が来るかもしれません。つまり、核兵器を持つこと自体が愚かで無意味になる技術です。ヒロシマ・ナガサキはそうしたAI技術の先端を行くべきです。核兵器をつくるのではありません。核兵器を無意味化するAI技術です。それではじめて、ヒロシマ・ナガサキは国際社会にリアルな説得力を持てることになり、日本は核兵器を無意味化するリーダーになるでしょう。


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