当山の御朱印

虚構の歴史、虚偽の政治
秋もたけなわになりました。中秋の名月、里の秋、収穫の秋、読書の秋、芸術の秋ですが、異常気象のせいで秋になっても台風が発生し局地的な大雨・洪水が絶えません。加えて、里や街には熊やイノシシや野猿が出没して里山・田畑・家屋を荒らし、「しずかな しずかな 里の秋~」「小さい秋 小さい秋 小さい秋 みつけた~」どころではありません。
そんなこの秋、良い本を数冊読みました。『明治維新という名の洗脳』(苫米地英人)、『明治維新という過ち』『三流の維新 一流の幕臣』『列強の侵略を防いだ幕臣たち』(原田伊織)、『日本再生の基軸』『世界認識の再構築』『人間と宗教』(寺島実郎)です。
いずれも一流の知識人が書いた確かな本で、苫米地さんと原田さんの明治維新論には、改めて、私たちが学校で教えられてきた幕末~明治維新の歴史の虚構、私たちが耳にしてきた幕末~明治に関する伝聞や社会情報の虚偽に気づかされ、寺島さんの豊かな国際経験に基づく現代日本論には目を開かされました。
原田さんの「明治維新前後の日本史は、勝てば官軍、戊辰戦争に勝った長州・薩摩の側から見たもの」という主張は、「歴史は権力者・征服者から見たもの」という歴史学の基本的な見地に合致し、学問的に当を得た視座です。すなわち、私たちが教えられる歴史というものは常に勝者の歴史で、敗者の側に立って伝えられ書かれたものではないということ。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など宮崎駿作品に協力した網野善彦さんは、歴史の表には登場しない存在の意味に目を向けることを重要視した歴史学者でした。
戊辰戦争で官軍(薩長軍)に敗れた会津藩の民が下北半島の果ての冬は凍てつく荒野にそっくり強制移住させられ、人間以下の生き地獄を強いられて辛酸をなめたことや、戊辰戦争の最後まで官軍に抵抗した奥州列藩では、官軍の兵士たちが婦女子に対して口には出せない残虐な暴行と殺戮(コトが済めば女体をヤリで串刺しにして殺す)を行っていたことなど歴史の表には出てきません。学校では教えませんし日本人のほとんどが知りません。
また原田さんが言うには、司馬遼太郎(司馬史観)によって維新の英雄にまでなった吉田松陰は、実際に松下村塾を主宰した人ではなく、主宰者は終始叔父の玉木文之進であって、松蔭はわずかな期間そこで講義をしただけ。従って、久坂玄瑞・前原一誠・品川弥二郎・吉田稔麿・伊藤博文・山縣有朋・高杉晋作らを松蔭の愛弟子と言うのは正確ではないことになります。原田さんによれば、彼らは維新の志士どころか、今で言うテロリスト集団でした。松蔭は幕府側の著名人を殺すことしか考えない最も凶悪なテロリストだったということです。
さらに原田さんは薩長の欺瞞を挙げます。例えば、長州は口(建前)では尊王を言いながら、「禁門の変(蛤御門の変)」では孝明天皇(王)がいる御所に向けて発砲し、「攘夷 攘夷」と外国人排斥を叫びながら、攘夷の渦中に伊藤博文・井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・井上勝の五人をイギリスに密航留学させていたこと。長州では、尊王攘夷という大義名分は空念仏の「ウソも方便」だったということ。薩摩は薩摩で、とうに琉球と密貿易を続け、横浜の生麦でイギリス人の商人らを殺しておきながら、その裏では秘かにイギリスの軍艦を買っていました。私たちが教えられた「尊王攘夷」とは虚偽・虚構、「ウソも方便」の類ではなかったかということです。
いずれも一流の知識人が書いた確かな本で、苫米地さんと原田さんの明治維新論には、改めて、私たちが学校で教えられてきた幕末~明治維新の歴史の虚構、私たちが耳にしてきた幕末~明治に関する伝聞や社会情報の虚偽に気づかされ、寺島さんの豊かな国際経験に基づく現代日本論には目を開かされました。
原田さんの「明治維新前後の日本史は、勝てば官軍、戊辰戦争に勝った長州・薩摩の側から見たもの」という主張は、「歴史は権力者・征服者から見たもの」という歴史学の基本的な見地に合致し、学問的に当を得た視座です。すなわち、私たちが教えられる歴史というものは常に勝者の歴史で、敗者の側に立って伝えられ書かれたものではないということ。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など宮崎駿作品に協力した網野善彦さんは、歴史の表には登場しない存在の意味に目を向けることを重要視した歴史学者でした。
戊辰戦争で官軍(薩長軍)に敗れた会津藩の民が下北半島の果ての冬は凍てつく荒野にそっくり強制移住させられ、人間以下の生き地獄を強いられて辛酸をなめたことや、戊辰戦争の最後まで官軍に抵抗した奥州列藩では、官軍の兵士たちが婦女子に対して口には出せない残虐な暴行と殺戮(コトが済めば女体をヤリで串刺しにして殺す)を行っていたことなど歴史の表には出てきません。学校では教えませんし日本人のほとんどが知りません。
また原田さんが言うには、司馬遼太郎(司馬史観)によって維新の英雄にまでなった吉田松陰は、実際に松下村塾を主宰した人ではなく、主宰者は終始叔父の玉木文之進であって、松蔭はわずかな期間そこで講義をしただけ。従って、久坂玄瑞・前原一誠・品川弥二郎・吉田稔麿・伊藤博文・山縣有朋・高杉晋作らを松蔭の愛弟子と言うのは正確ではないことになります。原田さんによれば、彼らは維新の志士どころか、今で言うテロリスト集団でした。松蔭は幕府側の著名人を殺すことしか考えない最も凶悪なテロリストだったということです。
さらに原田さんは薩長の欺瞞を挙げます。例えば、長州は口(建前)では尊王を言いながら、「禁門の変(蛤御門の変)」では孝明天皇(王)がいる御所に向けて発砲し、「攘夷 攘夷」と外国人排斥を叫びながら、攘夷の渦中に伊藤博文・井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・井上勝の五人をイギリスに密航留学させていたこと。長州では、尊王攘夷という大義名分は空念仏の「ウソも方便」だったということ。薩摩は薩摩で、とうに琉球と密貿易を続け、横浜の生麦でイギリス人の商人らを殺しておきながら、その裏では秘かにイギリスの軍艦を買っていました。私たちが教えられた「尊王攘夷」とは虚偽・虚構、「ウソも方便」の類ではなかったかということです。
話は飛んで、先日亡くなった福田康夫元総理は、歴史をちゃんと見ている人でした。晩年、テレビのインタビューに答え、「日本は今、戦争をしているヒマはない」「(台湾問題が日本の緊急事態などと)勇ましいことを言う時ではない」「絶対、戦争をしてはいけない」と強い口調で戒めました。おそらく今の高市総理を叱ったのだと思います。高市総理は、日中国交回復の最初に井戸を掘った田中元総理、それを影で支えた竹入義勝元公明党代表や外務省の橋本恕中国課長ほか関係の局長・課長、自民党でごく少数の日中友好派だった松村謙三・宇都宮徳馬・田川誠一・古井喜実・川崎秀二、日中覚書貿易を民間で進めてきた経済界の高碕達之助・岡崎嘉平太などが苦労して重ねた努力と成果を、国会での安易で不用意な答弁で無にしたのですから、日中友好に努力してきた福田元総理としては、女だてらに勇ましくモノを言い、自分のうかつな発言で失った国益や経済的な損失の大きさに反省の色もなく、ただ自作自演の誰もついていかない政治パフォーマンスに夢中で、国益や国民を見ていない高市総理を叱ったのでしょう。
その高市総理、経済の専門家が一様に首をかしげる食料品の消費税一%を強行しようとしています。国会の論戦でも減税分の財源をどうするか明言できないでいるのに、何が「強い財政」なのか、物価高に苦しむ国民を無視し、円安が続き円や国債の信用は落ち、GDPは来年インドとイギリスに抜かれて六位に転落するというのに、何が「強い経済」か。この人は強がりを得意とするハッタリ政治家なのでしょう。二年後にまた八%に戻す時混乱は大きいと今朝もテレビのモーニングショーは伝えています。ある国際的な経験と視野を持つ有名な経済人アナリストは、強い財政(財政出動)を強調して財政赤字・赤字国債の改善には無関心・不熱心・不誠意な高市総理を見て、世界の投資家が日本円から離れていっているのが円安の主な原因だと。さらに異常なトランプにべったりで、プーチンや習金平が相手にもしてくれない高市総理を見て、東南アジアの有力な国々は、高市総理の経済政策や日本経済の落ち込みを横に見ながら、日本から次第に離れていると言っています。
時に、フランスで教育環境の改善を訴える高校生のデモに端を発し、物価高や移民問題に抗議するデモがフランスの隣国にも広がっています。暴動や略奪行為は如何なるデモでもいけませんが、久しぶりに学生のデモを見て何故か新鮮に感じました。フランスは市民革命の本家本元で、市民が街頭に出て抗議の意志を表わすのは至極当然の国です。学生時代、フランスの実存主義(サルトルなど)の影響を受け、キャンパスで行われていた学生集会とデモを毎日見てきた私は、学生のデモは、暴力的ではない限り、いい意味で、学生の社会参加(アンガージュマン)と民主主義社会が健全である証しだと思ってきました。
ところが不思議なことに、この頃日本では大学生の街頭デモを聞いたことがありません。私の若い頃の安保闘争とか、政治的暴力防止法案とか、成田空港反対闘争とか、あれほど過激でなくとも、社会への健全な意志表示は、社会的にまだ未熟と思われる大学生であってもあっていいはずです。この頃の大学生は物価高で生活が苦しくデモどころではないのでしょうか。
ところが不思議なことに、この頃日本では大学生の街頭デモを聞いたことがありません。私の若い頃の安保闘争とか、政治的暴力防止法案とか、成田空港反対闘争とか、あれほど過激でなくとも、社会への健全な意志表示は、社会的にまだ未熟と思われる大学生であってもあっていいはずです。この頃の大学生は物価高で生活が苦しくデモどころではないのでしょうか。
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