蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

  • 満福寺 境内
  • 満福寺 護摩法要
  • 満福寺 本堂
  • ありがたや 如来大悲の恩徳を 祈る心に 福 満つる寺
  • 満福寺 大師堂
  • 満福寺 大師堂内陣

満福密寺満福寺(通称))について

満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。

当山の御朱印

満福寺 御朱印当山では御朱印をお授けしております。ご希望の方は、「満福寺の御朱印について」をご確認の上ご来山ください。

御朱印の受付時間、御朱印をいただく際の留意事項についてご案内しています。

人間の条件
 かつて作家の五味川純平は、自らの戦争体験をもとに『人間の条件』『戦争と人間』を書いて、軍事体制下の軍隊や社会のあちこちで起る人間の狂気や不条理を問うた。戦場から遠く離れ、身に危険が及ばない、安全な日本で、テレビの左系番組に出て、イスラエルによるガザ地区攻撃を国際法違反だとか非人道だとかと単純に切り捨て、物知り顔で平和ボケのヒューマニズムを語る評論家や人道支援家は、一度この作品を読んで、人間の精神に潜む狂気や不条理とはどんなものか学んでみるとよい。軍事体制下では人間の狂気や不条理が何にもまして優先し、大手をふるって闊歩し、正気や条理や理性が通用しない時代である。今のロシア・北朝鮮がそう。反戦・平和を口にすれば身の安全は風前の灯である。人間は、あるスイッチが入ると、国際法や人道や人権などといったヒューマニズムは単なるお題目と化し、不条理が常習化して条理に変るのである。
 ロシアのプーチン大帝も北朝鮮の金将軍も中国の習皇帝もイスラエルのネタニヤフ帝王もイランのハメネイ教皇も、みなこの不条理に今生きている。彼らにとってそれが条理なのだ。日本のテレビ番組で、うすっぺらな私見で平和ボケのヒューマニズムを語る評論家や人道支援家は、一度プーチン・金・習・ネタニヤフ・ハメネイの前で国際法とは何ぞや、人道とは何ぞや、人権とは何ぞや、非核・非武装・反戦・平和をお説教してみることです。国家の独立自尊がかかった国際政治の修羅場で、自国と自国民を守るために命をかけて不条理を生きている彼らには馬の耳に念仏で、まったく通じないでしょう。人間は理性・条理・ヒューマニズムの建前だけで生きているわけではありません。人間は人間であって、同時にまた非人間なのです。
 小学校の先生が女子児童の下着姿を盗撮して問題になっています。生徒間では陰湿なイジメがなくならず、家では家庭内暴力どころか、親がわが子を虐待し、あげくのはてに死に追いやり、子は子で親や祖父母を殺し、街では誰でもよかった殺人に通り魔、道では悪質なあおり運転・暴走・逆走が頻発。芸能界は次々とコンプライアンス違反の不祥事です。これみんな人間の不条理で、世間ではこれをアブノーマルと言います。
 私たち人間は、誰もが、あるスイッチが入ると、精神状態がノーマルから正反対のアブノーマルに切り替わります。条理と不条理とが同居していて、何かをきっかけに入れ替わるのです。人間は通常、朝起きて夜寝るまで、理性・条理・ノーマルの精神状態にありますが、仕事中に女子児童の下着姿を盗撮していた先生は、大多数の人間がノーマルな状態で働いている時間にアブノーマルのスイッチが入ったのでしょう。この人は盗撮をくり返すうちに、アブノーマルがノーマルになってしまったのです。大さわぎになったジャニーズ・喜多川のアブノーマルもそう、世間のアブノーマルが彼にはノーマルだったのです。
 ついでに言えば、テレビ番組でイスラエルのガザ地区攻撃を非人道(アブノーマル)と批判しながら、同じ口で、アダムとイブが腰を抜かすような、「男女の摂理」に背く同性同士のアブノーマルな関係を擁護する人道支援家も同じ類で、この人道主義者のダブルスタンダード(二枚舌)も帰するところ、人間は自分の都合で条理と不条理を、世間と自分のノーマルとアブノーマルを使い分けて自己正当化するということ。弘法大師空海は、「十住心」を説いた『秘蔵宝鑰』の冒頭でこう言っています。
  三界の狂人は狂なることを知らず
  四生の盲者は盲なることを識らず
  生れ生れ生れ生れて生の始に暗く
  死に死に死に死んで死の終りに冥し
 欲望の世界(欲界)・モノに執着する世界(色界)・精神作用しかない境地(無色界)という三種の精神状態(三界)で性欲・所有欲・名誉欲・勝利欲など煩悩に左右される人(狂人)は、自らアブノーマルであることを知らず。胎生・卵生・湿生・化生といったさまざまな形でこの世に生を受けても、生命欲(業欲)に執着して道理が見えず、自らノーマルな摂理に気づかない。だから人というものは、生れ生れ生れ生れて生をくり返すも、生の本初が見えず、死に死に死に死んで死をくり返しても、死の終わりがわからない(生命の営みの本質がわからない)。


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