蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

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  • 満福寺 本堂
  • ありがたや 如来大悲の恩徳を 祈る心に 福 満つる寺
  • 満福寺 大師堂
  • 満福寺 大師堂内陣

満福密寺満福寺(通称))について

満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。

当山の御朱印

満福寺 御朱印当山では御朱印をお授けしております。ご希望の方は、「満福寺の御朱印について」をご確認の上ご来山ください。

御朱印の受付時間、御朱印をいただく際の留意事項についてご案内しています。

仏説却温黄神咒(ぶっせつきゃくうんおうじんじゅ)(きょう)
聞如是。一時仏遊王舎城竹林精舎、与四部弟子大衆俱会、為説経法。爾時、維耶離国、属疫気猛盛、赫赫猶如熾火。死亡無数、無所帰趣、無方救療。於是、阿難、長跪合掌、白仏言。彼維耶離国、遭温気疫毒。唯願世尊、説諸聖術、却彼毒気、令得安穏離衆苦患。仏告賢者阿難、汝当聴受之。有七鬼神、常吐毒気、以害万姓。若人得毒、頭痛寒熱、百節欲解、苦痛難言、人有知其名字者、毒不害人。是故吾今為汝説之。阿難言、願欲聞之。仏言、若四輩弟子、欲称鬼神名安之時、当言 南無仏陀耶 南無達磨耶 南無僧伽耶 南無十方諸仏 南無諸菩薩摩訶薩 南無諸聖僧 南無咒師 某甲 今我弟子所説神咒、即従其願。如是神名、我今当説 沙羅佉、三説沙羅佉已、便説咒曰、無多難鬼 阿佉那鬼 尼佉尸鬼 阿佉那鬼 波羅尼鬼 阿毘羅鬼 波提犂鬼。仏言、是七鬼神咒、名字如是。若人熱病時、当呼七鬼神名字言疾去疾去、莫得久住。我弟子身、令毒消滅、病速除愈。我弟子、今帰依三宝、焼香礼敬、行是諸仏所説神咒。若有鬼神、不随諸仏教者、頭破作七分、如阿梨樹枝。若人得病、一日二日三日、乃至七日、熱病煩悶、先咒神水、以与病者飲之、当三七遍誦此咒経。疫毒五温之病、並皆消滅。若亦立門書著気病者、当額書七鬼神名字。復取五色縷線、各各結其字、繋著門上、大吉祥也。若能勤誦此経、専心受持、斎戒不喫薫辛、誦此七鬼神名字、温鬼永断、不過門戸。自進至患家、鬼見皆走、一身永不染天行。若能専心勧人書写受持読誦此経、消殃却害。若人不能誦、得竹筒盛安門戸上、温鬼不敢過門、亦得延年養寿、大吉祥也。阿難叉手白仏言、当何名此経、云何奉持。仏言、此経名、為却温神咒。仏説如是。天龍鬼神、一切大衆、聞咒歓喜、作礼奉行。却温神咒経。
聞くこと是くの如し。一時(ある時)、仏(釈尊)は王舎城(マガダ国の首都ラージャグリハ)の竹林精舎に遊び(滞在し)、四部(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の弟子や大衆(在家信者)と俱(とも)に集会し、(彼らの)為に経法(釈尊の教え)を説いた。
その時期、維耶離国(ヴァイシャーリー国)は、たまたま疫気(疫病)猛盛にして(猛威をふるい)、赫赫たること猶熾火の如し(激しく燃え盛る火のようだった)。死亡するもの無数にして、帰趣する所(逃げる場所)もなく、救療(人々を救護治療)する方(方法)なし。
是に於いて、阿難、長跪(ひざまずいて)合掌し、仏(釈尊)に白して言さく。「彼の維耶離国、温気疫毒(発熱性伝染病)に遭う。唯願わくは、世尊よ、諸々の聖術を説いて、彼の毒気を却(しりぞ)け、安穏を得て、衆(人々)より苦患を離れしめよ」と。
仏(釈尊)、賢者阿難に告ぐ。「汝、当(まさ)にこれを聴受すべし。七鬼神有って、常に毒気を吐き、万姓(万民)を害す。若し人、毒を得れば、頭痛寒熱して(頭痛に寒気と高熱を発し)、百節(身体のふしぶしが)解せんとし(バラバラになりそうな感じになり)、苦痛は言い難し。人有って、その(鬼神の)名字を知るならば、毒は人を害せず。是の故に吾、今、汝が為に之を説かん」と。
阿難言わく、「願わくは、これを聞かんと欲す」と。
仏言わく、「若し、四輩(=四部)の弟子、鬼神の名を称えてこれを安んぜんと欲する時、当に言うべし、南無仏陀耶 南無達磨耶 南無僧伽耶 南無十方諸仏 南無諸菩薩摩訶薩 南無諸聖僧 南無咒師 某甲 と。今、我が弟子に説く所の神咒(陀羅尼)は、即ち其の願に従(よ)る。是の如きの神名、我今当に、沙羅佉(サラギャー、消え去れ)と説くべし」と。
三度、沙羅佉を説き已(お)わり、便(すなわ)ち神咒を説いて曰く。「無多難鬼 阿佉那鬼 尼佉尸鬼 阿佉那鬼 波羅尼鬼 阿毘羅鬼 波提犂鬼」と。
仏言わく、「是れ、七鬼神の咒なり、名字は是くの如し。若し人の熱病の時、当に七鬼神の名字を呼び、疾(はや)く去れ疾く去れ、久住を得る(永く留まる)こと莫(なか)れと言うべし。
我が弟子の身、毒を消滅し、病を速やかに除愈(除き治癒)せしめん。我が弟子、今、三宝に帰依し、焼香礼敬し、是の諸仏の説く所の神咒を行ぜよ。
若し鬼神有って、諸々の仏の教えに随(したが)わざれば、頭破れて七つに作(な)ること阿梨樹(アルジャカの樹、花が落ちると七つに割れる)の枝(=花?)の如し。若し人、病を得て、一日二日三日乃至七日、熱病にて煩悶するに、先ず神水(聖浄な水)を咒し(神咒で加持し)、以て病者に与えてこれを飲ませ、当に三七遍(二十一遍)、此の咒経を誦すべし。
疫毒五温の病(発熱性急性伝染病、温疫、天行病、五温神である東西南北中の五方の力士(道教)がもたらす疫病)は、並んで皆消滅せん。若し亦、門を立てて気病を書き著(つ)けるなら、当に七鬼神の名字を額に書くべし。
復(ま)た、五色の縷線(青・赤・白・黒・黄の絹糸)を取り、各各(おのおの)その名字に結び、門の上に繋ぐは大吉祥なり。
若し、能く此の経を勤めて誦し、専心して受持し、斎戒(在家が守るべき八つの戒(八斎戒)を保ち)して薫辛(臭味・辛味の食べもの)を喫せず(口にせず)、此の七鬼神の名字を誦すれば、温鬼永く断(た)え、門戸を過ぎず。
自ら進んで患家(患者の家)に至らば、鬼見て皆走り、一身、永く天行(季節に流行る病)に染まらず。
若し、能く専心して人に勧め此の経を書写し受持し読誦すれば、殃(わざわい)を消し、害を却(しりぞ)けん。
若し、人誦すること能わず、(五色の縷線を)竹筒に盛り、門戸の上に安んずるを得れば、温鬼敢えて門を過ぎず。亦延年養寿(長寿)を得て、大吉祥なり」と。
阿難、叉手(合掌)して仏(釈尊)に白して言わく。「当に何と此の経を名づけ、云何が奉持せん」と。
仏(釈尊)言わく。「此の経の名を、却温神咒と為す」と。
仏の説くこと是の如し。天龍鬼神、一切の大衆、咒を聞いて歓喜し、礼を作(な)して奉行(実行)す。
却温神咒経。
発熱性伝染病、すなわちかつて世界中に感染拡大し、百万人~千万人の死者が出たペスト・コレラ・天然痘、あるいは地域的な風土病や季節的な感染症のことが想定されますが、いずれにしても、今回の新型コロナウィルス感染拡大のようなことが事実としてあり、医学や医療が進歩していない時代、その対策に困り、仏教徒が考え出した知恵がこのお経なのでしょう。
鬼神(悪鬼)を疫病の元凶としたり、鬼神の名を名指しすれば正体を見破られた鬼神は二度と近寄れなくなるとか、天の五方の力士(五温神)がもたらす五温之病とか、さらに七鬼神の名符とか、その名符を五色の絹糸に結んで厄災除けとするなど、道教の習俗が採り入れられていることと、説かれている「却温黄神咒」という陀羅尼の語形と内容からして、このお経は唐代に中国で創られた「偽経」だと思われますが、その趣旨は密教的です。一説には不空三蔵の訳という話があります(『仏書解説大辞典』)。類似の経典に『仏説潅頂経』(『大潅頂神咒経』)や『仏説咒時気病経』があります。
真言宗では、空海のあとに入唐した留学僧・宗叡の請来目録『新書写請来法門等目録』に「仏説却温気神呪経、一巻、無人名、説滅大温気病」とあり、江戸時代、長谷の亮汰僧正(豊山)がその註釈『却温神咒経鈔』を残し、その自序『却温経鈔玄談』で不空訳説を否定していると言われています。
宗叡がもたらした『仏説却温気神呪経』は、その後真言系で、疫病退散のご祈祷に使われたようで、とくに江戸時代、亮汰僧正が、延宝二年に京都の洛西で疫病が大流行した際、『郤(=却)温神咒経』を印刷させ、それを里の村々に配り、竹筒に入れて門戸に吊るさせたところ、疫病が治ったという話があり(『豊山伝通記』、「第十一世亮汰僧正伝」)、亮汰僧正にはまた『科註却温神咒経鈔』があります。
他方、このお経は、とくに陀羅尼部分「却温神咒」が臨済宗系で広く用いられています。どのような経緯で、いつ頃から臨済宗系で依用されるようになったか不明ですが、以下のように唱えるとのことです。
(妙心寺教学研究会編「「却温神呪」を読誦する効果」参照)

南無仏陀耶(なむふどやー) 南無達磨耶(なむだもやー) 南無僧伽耶(なむすんぎゃーやー)
南無(なむ)十方(じーほー)諸仏(しーぶー) 南無諸菩薩摩訶(なむしーぶーさーもこ)(さー) 南無(なむ)諸聖(しーしん)(すん) 南無(なむ)呪師(しゅうしー)
沙羅佉(さらぎゃー) 沙羅佉(さらぎゃー) 沙羅佉(さらぎゃー)
()多南(たなん)(きー) 阿佉(あぎゃ)(にー)(きー) 尼佉尸(にぎゃしー)(きー) 阿佉那(あぎゃなー)(きー) ()()(にー)(きー) 阿毘(あび)(らー)(きー) 波提(はーだい)()(きー) 疾去疾去(しっこーしっこー) (まく)(とく)久住(くーじゅう)


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