蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

  • 満福寺 境内
  • 満福寺 護摩法要
  • 満福寺 本堂
  • ありがたや 如来大悲の恩徳を 祈る心に 福 満つる寺
  • 満福寺 大師堂
  • 満福寺 大師堂内陣

満福密寺満福寺(通称))について

満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。

当山の御朱印

満福寺 御朱印当山では御朱印をお授けしております。ご希望の方は、「満福寺の御朱印について」をご確認の上ご来山ください。

御朱印の受付時間、御朱印をいただく際の留意事項についてご案内しています。

 10億円からの国費(国民の税金)が使われている政府機関の「日本学術会議」で先日会員改選が行われたのですが(半数105人)、任命権者である菅総理は学術会議から推薦された105人の内6人の学者の任命を拒否しました。今、そのことで、理由は何だハッキリ言えとか、学問の自由を侵害したとか、世の中がさわがしいです。
 任命拒否の理由は、任命されなかった6人ご本人が一番わかっているはずで、菅総理が政府機関の人事問題で個別的理由をいちいち言うわけがありません。理由は何だ、ハッキリ言えと言う方が子供じみています。私の知るかぎり、6人の内お二人は沈黙されているようですが、あとの4人のなかには総理官邸近くの街頭でマイクをにぎり不満を訴える人や、テレビ番組に出演して自己主張をする人もいて、学者らしい矜持が見えません。こういう時、学者は「沈黙こそ金」です。
 6人が認められなかった理由は簡単明瞭です。すなわち、6人は菅総理にとって好ましからざる学者。かねて政府の方針に反対の発言をし、なかには野党側の参考人として国会で政府法案に露骨に反対していた人もいます。言葉が過ぎるかも知れませんが、野党の飼い犬的な学者を国費を使っている政府機関の会員にする気にならない。それが菅総理の本音でしょう。政治は感情ですから。
 しかし表向きにはそんなことを言うはずがありません。建前としては、省庁を含めた政府機関の「悪しき慣例」(前例を無批判的に踏襲すること)の排除。正すべきものは大胆に正す菅行政改革の一環。学者の集りであっても、政府機関である以上「日本学術会議」も例外ではない、ということです。
 そもそも、政府の方針や法案に反対の反政府的立場に立ち、時に野党の飼い犬のような役も引き受ける反政府的な学者が、政府機関である日本学術会議の会員になること自体、そしてそれを拒否されたからと言って街頭に出たりテレビに出演して不満を述べること自体、自己矛盾です。反政府なら反政府で、政府機関である学術会議会員になどならないのが一人前の学者の良識というものでしょう。

 それから学問の自由を侵害するというドサクサまぎれの議論。先ず、6人の学者個々の大学における学術研究や学問の自由が侵害されたわけではありません。学問の自由を侵害するということは、例えば、その学者の研究内容や学術発表に対して国家権力(例えば文部省や公安当局)が言いがかりをつけたり、検閲をしたり、撤回させたり、その学者の所属する大学内の人事に介入して不利に誘導したり、その学者をマークしたり、呼び出して取り調べをしたり、そういうことです。戦前はよくありました。
 戦後、憲法で保障された「学問の自由」をもとに「学の独立」「大学の自治」が強化され、大学に国家権力が介入することはできなくなりました。東大紛争の際、機動隊(国家権力)が学内に入ることさえ教授会で相当な葛藤があったくらいです。学問の自由を侵害するというドサクサまぎれの議論は、その「学の独立」「大学の自治」を学術会議にかぶせた議論ですが、学術会議は政府機関であって学問の府ではありません。「学の独立」「大学の自治」は、時として反政府的な左傾の学者を生む温床となってきました。そこで育った左傾の学者が、学術会議に「学問の自由」を持ちだしています。社会科学系に目立ちます。
 学術会議は、戦争に科学者も加担したとの反省から、学者の学識・良識・良心をもとに、例えば原子力政策などに提言をする活動をしてきましたが、そもそもが大学を定年退職するような年齢の老人学者の集りで(6人の平均年齢も60才超)、科学的・社会的・経済的・政治的・法律的等々、さまざまな人間社会の問題について学術的な知見をもとに議論し政府に具申する、時には政府の諮問に答える、政治の場(政府機関)です。憲法で保障された「学問の自由」とはまったく関係がありませんが、これまでも学者の名誉職で有名無実であることや会員選考などで、さまざまに問題がありました。反政府的な左傾学者の会員も政権側としては目の上のたんこぶだったと思われます。

 敢えて言いますが、学問も思想信条も自由です。しかし反政府の立場に立つ学者は、何かの機会に政治的な報復を受ける覚悟がなければ子供と同じです。言えることは、学者は自分の学問に驕り、反政府でありながら政府機関の学術会議のメンバーになろうなどと自己矛盾しないことです。
◇◇◇
 アメリカのトランプ大統領が、大統領選挙直前のだいじな時期に、新型コロナウィルスに感染しました。医療先進国アメリカのことですから、大統領の身は大ごとにはならず早期に復帰するでしょうが、新型コロナウィルスを軽く見てマスクもあまり着けなかった結果です。
 思えば、西欧にはマスクを着ける習慣がない国もあるくらいで、私たち日本人の衛生観念からしたら今回日本のマスク習慣に倣う国が世界に広がりました。新型コロナウィルスの国内感染がはじまった2~3月、テレビに出演した感染症専門医の約半数は、マスクの効用について、ウィルスが極小のため普通のマスク(布製)は布をすり抜けてしまうのでほとんど役に立たないと言っていました。
 しかし、その後ウィルス対策加工をしたマスクなども次第に普及し、今では感染拡大防止の切り札にさえなりつつあります。先進国のなかで、日本が死亡者数がとびぬけて少ないのは、もちろん専門医師をはじめとする医療機関の現場スタッフの献身的な尽力のおかげですが、国民全般の高い衛生観念、とくにセキの出る風邪やインフルエンザにかかった時は自発的にマスクをする習慣も大きく貢献しているのではないでしょうか。伝染性病原菌感染症で何回もひどい想いをした先人たちが残してくれた良き衛生マナーのおかげです。

 ところで、このマスク。その元をたどれば日本古来の宗教で使われる神前具あるいは仏前具です。神道で言えば神官たちがマスクのように使う「口覆(くちおおい)」「覆面(ふくめん)」。大嘗祭・神嘗祭などの大きな儀式から日常的な儀式に至るまで、神道の儀式で「神饌」と言われる酒・米・水・塩・魚・鳥・海藻・野菜・果物・餅などの供物を運ぶ人が、自分の息(不浄)が神への供え物にかからないようにするため、口を覆うもの。和紙と麻ひもでつくります。
 仏教では、例えば真言宗で言えば「覆面(ふくめん)」で、例えば高野山の奥の院では、毎日朝の六時と午前十時半に、「御供所(ごくしょ)」でつくられたお大師様への食事を「御廟」の大師宝前に運ぶ際、食事の入った「お櫃(ひつ)」(大きな木箱)をかつぐ二人の若い僧侶はかならず「覆面」をします。その二人の前を先導するのが「維那(ゆいな)」と言われる高僧です。「覆面」は和紙とこより(ひもの部分は多様)でつくります。

神事用マスク

お櫃をかつぐ「覆面」を付けた若い僧侶と、先導する高僧「維那」


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