満福密寺(満福寺(通称))について
満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
当山の御朱印

雪国がまた大雪です。
家の前の生活道路や屋根の除雪で毎日毎日大変な苦労を強いられている雪国の後期高齢者や、市街地や一般道でスリップ事故を起こして自家用車などが立ち往生したり、その場に放置されたり、JAFに助けてもらったり、高速道路や幹線道路では大型のトラックなどが大渋滞になってモノの流通に支障が起きたり、そういう雪害ニュースをテレビで見るたび、雪国の雪は毎年のことなのに、道路や住宅の屋根の融雪・除雪はどうしてこうなっているのか、不思議でなりません。
日本は世界有数の技術立国です。その気になれば、道路に熱いお湯を流す配管設備や住宅の屋根に融雪・除雪のシステムを作るくらいの技術力があるはずです。私の若い頃、スキーで行った上信越の温泉地の道路には温泉のお湯が流れていました。数年前の晩秋、金沢郊外の四車線の道路で、道路の真ん中から小さな噴水が立ち上っていました。積雪対策の出水テストでした。
こんなことは昔からありましたが、おそらくこれは現在普及していないのでしょう。何が問題なのか、この頃その姿を見なくなりました。熱いお湯を流すパイプがダメなら他の方法を開発し、雪国の冬をもっと楽にしてあげるのが国や地方の仕事ですが、毎年雪は降るのにどうなっているのか。行政の不作為と言わざるを得ず、「ふるさと創生」どころではありません。
住宅の屋根もそうです。新潟県小千谷市の山間部に住む知り合いは、屋根の上部からお湯が流れるように設備し雪が積らないようにしています。雪国の住宅建設にはそれを義務づけ、その費用を全額国や地方が補助すべきです。天災地変で国民が艱難辛苦していても、いっこうに暖かい行政措置を国民に届けられない日本の国や地方、心が冷たすぎます。
これでは東北・信越・北陸の過疎が進み、東京や大都会への人口集中が加速するのは当たり前です。「ふるさと創生」とは、東京はじめ大都会に出た人たちがふるさとに帰って永住することからはじまらなければなりません。地方の市や町や村の人口が、増えなければなりません。若い頃、東京はじめ大都会に出た人は、ある時期かならず、ふるさとに帰ることです。大都会の片隅で年金だのみの老後プアと孤独のなかで生きるくらいなら、生まれ育ったふるさとの人間関係のなかに自分の居場所を見つけたらどうでしょう。大都会の生活にあこがれ、都会人になるのを夢にした時代はとっくに終わり、ふるさとのナマリと旧友のなかで生きていく時代です。大都会で成功した人ならなおのことです。「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」です。
家の前の生活道路や屋根の除雪で毎日毎日大変な苦労を強いられている雪国の後期高齢者や、市街地や一般道でスリップ事故を起こして自家用車などが立ち往生したり、その場に放置されたり、JAFに助けてもらったり、高速道路や幹線道路では大型のトラックなどが大渋滞になってモノの流通に支障が起きたり、そういう雪害ニュースをテレビで見るたび、雪国の雪は毎年のことなのに、道路や住宅の屋根の融雪・除雪はどうしてこうなっているのか、不思議でなりません。
日本は世界有数の技術立国です。その気になれば、道路に熱いお湯を流す配管設備や住宅の屋根に融雪・除雪のシステムを作るくらいの技術力があるはずです。私の若い頃、スキーで行った上信越の温泉地の道路には温泉のお湯が流れていました。数年前の晩秋、金沢郊外の四車線の道路で、道路の真ん中から小さな噴水が立ち上っていました。積雪対策の出水テストでした。
こんなことは昔からありましたが、おそらくこれは現在普及していないのでしょう。何が問題なのか、この頃その姿を見なくなりました。熱いお湯を流すパイプがダメなら他の方法を開発し、雪国の冬をもっと楽にしてあげるのが国や地方の仕事ですが、毎年雪は降るのにどうなっているのか。行政の不作為と言わざるを得ず、「ふるさと創生」どころではありません。
住宅の屋根もそうです。新潟県小千谷市の山間部に住む知り合いは、屋根の上部からお湯が流れるように設備し雪が積らないようにしています。雪国の住宅建設にはそれを義務づけ、その費用を全額国や地方が補助すべきです。天災地変で国民が艱難辛苦していても、いっこうに暖かい行政措置を国民に届けられない日本の国や地方、心が冷たすぎます。
これでは東北・信越・北陸の過疎が進み、東京や大都会への人口集中が加速するのは当たり前です。「ふるさと創生」とは、東京はじめ大都会に出た人たちがふるさとに帰って永住することからはじまらなければなりません。地方の市や町や村の人口が、増えなければなりません。若い頃、東京はじめ大都会に出た人は、ある時期かならず、ふるさとに帰ることです。大都会の片隅で年金だのみの老後プアと孤独のなかで生きるくらいなら、生まれ育ったふるさとの人間関係のなかに自分の居場所を見つけたらどうでしょう。大都会の生活にあこがれ、都会人になるのを夢にした時代はとっくに終わり、ふるさとのナマリと旧友のなかで生きていく時代です。大都会で成功した人ならなおのことです。「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」です。
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