蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

腑に落ちた「象徴」天皇

令和元年11月01日
 10月22日、皇居宮殿「松の間」で、イギリスのチャールズ皇太子をはじめ外国からの賓客423人(191ヵ国)と国内招待者1576人の参列のもと、新天皇の「即位礼正殿の儀」が行われ、新天皇が改めて国の内外にご即位を宣明されました。
 然るに、国民の大多数が喜びお祝いしたこの国家的な慶事に早速ケチをつけた人たちがいます。
 「天孫降臨神話に由来する高御座に陛下が立ち、国民の代表である三権の長を見おろす形をとることや、いわゆる三種の神器のうち剣と璽(勾玉)が脇に置かれることに、以前から『国民主権や政教分離原則にそぐわない』との指摘があった」(朝日新聞)
 「『三種の神器』の剣と璽(勾玉)を伴い、国民の代表を見下ろす『高御座』に登壇することや、神々しい登場を演出する「宸儀初見」の復活は、君主制や神道の色彩を強く反映し、憲法上の疑義が残ります」(社民党又市党首)
 こんなことは、昭和52年(1977)の最高裁大法廷の判決「憲法の政教分離規定は国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである」でとうに決着しています。
 そういうことを知りながら、新聞や政党の党首がよくも上記のような虚言を恥ずかしげもなく公にするものです。世間では、上記のような虚言を仕事にしている人を「左翼老人」「民主ボケ」と揶揄していますが、この頃はますますその虚言癖が重症化し、言論というよりもはや「言いがかり」「イチャモン」のレベル。「政教分離」を口にするなら、巨大な宗教団体を支持母体とする政党が政権の一翼を担っていることこそ問題にすべきで、その厚い政治的な壁を崩すこともできず、天皇ご即位の儀礼という筋ちがいの問題で溜飲を下げるその姑息さは、落ち目の新聞・政党の悲哀でしょうか。
 この人たちもかつて「戦後」日本の旗手と言われ進歩派などともてはやされたものでしたが、モノゴト何でも「戦後民主主義」「戦後憲法」の「万華鏡」でしか見ず、日本の古き良き伝統文化などはむしろ負の遺産として忌避する知性の軽薄さに、国民の心は離れてしまったのです。
 重ねて言いますが、天皇は神道と不可分で、現に宮中で保持されている伝統習俗であり、「政教分離の原則」が及ぶ世界ではありません。従って、ご即位が国事行為だとしても、天皇にとって最高の晴れの儀礼に神道のしつらえや礼法が伴うのは当然です。「高御座」も「三種の神器のうちの剣と璽(勾玉)」も「宸儀初見」も天皇に付随する神道の礼具・礼法(古式ゆかしい習俗)で、「政教分離」や「国民主権」で言いがかりをつける次元のものではありません。
 「高御座」が「国民(の代表)を見下ろす」仕掛けだという虚言がまかり通るとすれば、学校の入学式・卒業式で校長や来賓がステージの上から祝辞を述べることも、成人式などで主催者や来賓が壇上から祝辞を述べることも、各種の学界やシンポジウムで発表者とかパネラーがステージの上から発言することも、選挙の際の街頭演説で街宣車の上から演説することも「児童生徒・新成人・参加者・聴衆(国民)を見下ろす」ことになります。
 「高御座」は古来、天皇ご即位の際に必要不可欠な「玉座」であり、高さや装飾なども古例の踏襲で「上から国民を見下ろす」ためにしつらえるわけではありません。
 「高御座」のとばりを開けてはじめて天皇のお姿が見える「宸儀初見」が「(天皇を意図的に)神々しく見せる演出」で気に入らないようですが、別に天皇を神格化するわけでもなく、まるで専制君主や王政復古を危惧しているかのような妄想です。
 また、「三種の神器」の剣と璽(勾玉)にもクレームをつけていますが、「三種の神器」を継承するのを以て天皇たり得るのですから、「三種の神器」を伝持しない天皇はあり得ません。
 そもそも、新天皇は国民を上から見下ろす人でしょうか。先の天皇と同様新天皇のあのお人柄は、おだやかで心やさしく、紳士的で謙虚にお見受けします。おそらく神に仕えるお立場で充分に心の修養を積まれたに相違ありません。そういう意味でも、天皇と神道は不可分。「法」(社会規範・社会のルールの一種)で計る世界ではありません。
 テレビを見ながら、天皇・皇后両陛下をはじめ皇族方・宮内庁職員の古式ゆかしい服装(宮中最高の晴れの儀式に着用する装束)といい、「高御座」(たかみくら)や「御帳台」(みちょうだい)の威容といい、張りつめた緊張感のなかに響く楽音とその音で進行する静謐な儀式といい、近代的ながら厳かな皇居・宮殿のたたずまいといい、みな日本の伝統文化の極みに立つものであり、それらを目の当たりにした外国の賓客は日本の伝統文化の深さと歴史の重みに感銘を受けたことでしょうし、国内の参列者も改めて自国の伝統文化に誇りと喜びを感じたのではないか、とつくづく思いました。そして、天皇という存在や「即位礼正殿の儀」といった儀礼があればこそ最高レベルの日本の伝統文化を世界に発信できることや、国民が等しく天皇を敬慕してやまないのは、日本の伝統文化の極みに立つ天皇の、その威厳と品格に満ちたお人柄に尊敬と信頼を寄せるからだと思いました。また、「国民と共にある」「国民に寄り添う」天皇に被災者などが涙するのも、この威厳と品格の高さからへりくだってくださる有難さに心が動くからだとも思いました。
 憲法では天皇を「日本国及び日本国民統合の象徴」と言いますが、中学生の時に「象徴」天皇とは学校の校章あるいは学帽のバッヂのようなものだと教えられて以来、ずっと意味がよくわかりませんでした。大人になって天皇とは「国父」といった議論を耳にして少しわかったつもりでいましたが、このたび「即位礼正殿の儀」の天皇を見てやっと「象徴」としての天皇というものが腑に落ちました。「象徴」天皇とはまさに、日本の国の「尊厳」や国民の「品格」の「象徴」なのです。
 かつて、民俗学者の柳田国男や折口信夫が「稜威(いつ)」ということを論じたことがありました。「神聖であること」「威力が強いこと」「霊的な威力」「神威」といった意味ですが、この観念は日本の古層の文化の底深く流れつづけ、今もなお日本が日本である所以になっているとも評されています。
私が腑に落ちた「象徴」天皇とは、憲法にいう「日本国及び日本国民統合の象徴」といった世俗的な意味ではなく、「天皇霊」ともいわれる霊的なこの「稜威(いつ)」を感じたからではなかったかと思います。偶然、松岡正剛さんからいただいた『面影日本』を読んでいて、松岡さんが「千夜千冊」で山本健吉の『いのちとかたち』を取り上げ(483夜)、山本健吉が言う「やまとだましい」にふれて「稜威(いつ)」「伊都(いつ)」について書いているのに気がついたのはその翌日でした。不思議・不思議な符合です。
 松岡さんは「触れるなかれ、なお近寄れ。これが日本である。これはまた、ぼくの信条である。また、これが稜威の意味である」と結んでいますが、「稜威(いつ)」とは「伊都(いつ)」であり「厳(いつ)」(厳島の厳)でもあり、南太平洋地域でいう「マナ」に似て、琉球文化の「セジ」に似て、山本健吉が言う「よみがえる能力を身にとりこむこと」「別種の生を得ること」「生きる力の根源になる威霊を身につけること」というべき「スピリチュアルパワー」のことです。私は、その伝承者・具現者として、天皇を「象徴」と感じたのです。
Wikipedia 即位礼正殿の儀より