蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

喪中はがきの怪

令和元年12月04日
 いつの頃からか、毎年十一月の中旬を過ぎる頃、【喪中につき年始のご挨拶(=年賀状を出すこと)を差し控える】旨のはがきが届くようになりました。いつ、誰がこんなことをはじめたのかわかりませんが、この流行は少し変です。
 「喪中」(近親者の死亡にともない喪に服する期間)とは、仏事では「忌中」とも言い、四十九日間。神事では私たち一般人は通常最長で五十日。
 仏事で言えば、四十九日忌の法要が済めば「忌明け」、つまり「喪」は明けます。従って、もし「喪中はがき」を出すとすれば、十一月十三日以降に不幸が起きた場合で、それ以前に不幸が起きた場合は年内には「喪中」が終りますから、「喪中はがき」を出す意味がありません。
 にもかかわらず、一月・二月・三月・四月・五月・六月・七月・八月・九月・十月前半に不幸があり、とっくに「喪中」が終っている人までがどうして【喪中につき】にはじまる「喪中はがき」を出すのでしょう。嘆かわしいことに、四十九日忌や「喪中・忌中」「喪明け・忌明け」の専門家であるお坊さんまでが「喪中はがき」を出しています。
 おそらく、世間一般みんながやっているからその時季になったらやるものだと鵜呑みにしているのでしょう。それにしても、【今年、近親者が亡くなって・・・】を「喪中」にすることはありません。つまり一年間も「喪中」ではないからです。一年も「喪中」にするのは天皇・皇后両陛下くらい、しかも大行天皇(先の天皇)・皇太后(先の皇后)様の場合だけです。
 年賀状を出すのを差し控える予告の通知でしたら、何も「喪中」とするばかりが能ではありません。ありのまま、【今年は誰々が亡くなりましたので、年賀状を差し控えます】で充分です。あるいは、新年になって一月二十日(大寒)過ぎ、「寒中お見舞い」のはがきを用意し、それに【昨年は誰々が亡くなりましたので年賀状を差し控えました】と書き添えるのも方法です。それよりも、喪が明けているなら何も気にせず年賀状を出すことです。
 日頃古いしきたりなど気にせず何でも今風の合理主義でモノを考え判断している現代の日本人が、年末になると「喪中」などという妙なキーワードにふりまわされ、それが当然であるかのように従っている流行はまことに奇怪です。