蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

しあわせ運べるように

令和2年2月1日
 アメリカの同時多発テロ事件一年後の平成十四年(二〇〇二)、ニューヨークの事件現場で行われた追悼式で、事件で父を失くした十一歳の少女が「Do not stand at my grave and weep」という詩を朗読して話題となりました。
 この詩は、アメリカ・ボルティモアの主婦メアリー・フライという人が昭和七年(一九三二)に作ったと言われ、日本では文芸家・音楽家・写真家・絵本画家の新井満さんがこれを日本語訳して「千の風になって」とし、これに曲をつけて自ら歌い私家盤を出したのが発端となり、平成18年(二〇〇六)に声楽家の秋川雅史が歌い大流行しました。以来、日本では流行歌になりましたが、本来は鎮魂歌です。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
 東日本大震災(平成二十三年)のあと、「NHK東日本大震災プロジェクト」のチャリティーテーマソングとして「花は咲く」が作られ、今もいろいろな機会・いろいろな場所で広く歌われています。仙台市出身の岩井俊二さん(ペンネーム:網野酸、映画監督・映像作家・脚本家・音楽家)が作詞、同じく仙台市出身の菅野洋子さん(菅野よう子、作曲家・編曲家・演奏家・音楽プロデューサー)が作曲しました。この歌は鎮魂歌ではなく、大震災で被災をした町や被災者を励まし、その復興を応援する応援歌です。
真っ白な 雪道に 春風香る
私は懐かしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
いまはただなつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう
 以上の二つの歌に先だって、神戸を中心とした阪神淡路大震災(平成七年)の折、神戸市の小学校教諭(音楽)臼井真さんが作詞・作曲した神戸を励ます歌「しあわせを運べるように」は、その後も神戸市内のみならず広く愛唱され、平成十六年(二〇〇四)には中越地震の被災地にも「ふるさと」「山古志」バージョンが届けられ、また東日本大震災後も東北各地に届けられて歌い継がれるばかりでなく、これを歌う子供たちの交流にまで発展しています。被災者同士の鎮魂歌であり励まし合いの歌です。
一、
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

二、
地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
-しあわせ運べるように 公式サイトより-
 私は、「千の風になって」にも「花は咲く」にもジーンとこないのに、「しあわせ運べるように」は何度聞いても胸を打たれ目頭が熱くなります。この歌には当事者(被災者)でなくては言えない「切実な辛さ」があり、それに打ち勝とうとする「健気な決意」があり、「復興」への「呼びかけ」があり、またそこには作為ではない「神戸」の心があり、美しく荘厳なメロディーがあります。
 それに比べ、「千の風になって」の「死者(の魂)がお墓にいないで、風になって大空を吹きわたっている」という詩は、私たち日本人にはちょっと不向きです。ある仏教史家が指摘したように、死者(の魂)がお墓にいなければ、日本ではお彼岸やお盆や命日のお墓参りなど無意味なものになります。私は死者の思いを託したこういう詩に曲をつけて歌うこと自体にそもそも反対で、ましてニューヨークでの追悼式でテロの犠牲者の鎮魂のために朗読された詩を流行歌にし、あろうことか「NHK紅白歌合戦」(年末年忘れのバカさわぎ番組)で歌うことなど不謹慎・不見識・不道徳だと思っています。
 また「花は咲く」は、作詞・作曲ともに被災地仙台市ご出身でコトバや楽曲のプロの方の作品ですが、この詩は抽象的な抒情詩で、「誰か」が過去を憧憬しながら花の咲く春を待っているような詩で、東北の復興の応援歌なのに肝心の「東北」がありません。「花は咲く」とは「時が来れば東北も復興する」という意味のメタファーだと思えなくもありませんが、そもそもこの詩はコトバに胸を打ち心に迫るものがなく、「東北」の人々の「心情」を引き受けてくれていません。被災した「東北」や「東北の人々」に不誠実です。
 「東北」とは、赤坂憲雄さん(民俗学者、大学教授、「東北学」提唱者)や玄侑宗久さん(作家、臨済宗僧侶、東日本大震災復興構想会議委員)が言う深い「東北」とまでは言いませんが、せめて「厳しい気候風土」とか「厳しい生活環境とか」とか、東北の人の「辛抱強さ」とか「忍耐力」とか、人と人との「つながりの強さ」とか地縁・血縁の「共同体の絆の強さ」とか、お互いに「助け合う伝統がある」とか「苦難から立ち上がる気概が強い」とか、そういう「東北」がまったくありません。「私は何を残しただろう」「いつか生まれる君に」「いつか恋する君のために」は意味不明で、あの未曽有の大震災がまるで他人事のようです。「ふるさと」も「絆」もありませんし、「励まし」も「寄り添い」も「応援」も感じません。
 メロディーはメロディーでのんびりで抒情的で、かつ転調もぎこちなく、歌いづらく、人の胸を打ち心を揺さぶる切実感がありません。「東北」の復興応援歌なのに、メロディーから復興を励ます音符をまったく感じません。この歌は詩もそうですが、メロディーまでもが震災の悲惨とは関係なく、「東北」に対する思いがなく、まるで他人事のようです。だから目頭が熱くならないのです。
 「しあわせ運べるように」は神戸から中越地震の被災地新潟県山古志村へ、東北各地へ、熊本へ、そして中国の四川へ、それぞれのバージョンで届けられ、冒頭の「地震」を「津波」に言い換えた「鹿折」(気仙沼市)バージョンもあり、英語・フランス語・イタリア語・中国語・カンボジア語・ペルシャ語・アラビア語・トルコ語・ハンガリー語にも訳され世界の各地で歌われています。
 この原稿を書きはじめた頃から、にわかに中国・武漢市で発生した新型コロナウィルスの感染が世界中に拡大し、今の時点で死者二百十三人(全員中国で死亡)・患者九千八百人超、感染者は推定で4万人とも5万人とも言われています。政府は、武漢在住の日本人で帰国を希望する人をチャーター機で羽田に運び、東京都内の医療機関で感染検査を実施した上、感染が判明した人はそのまま入院隔離、また希望により非感染者はホテル等の施設で一定期間経過観察としましたが、一方ではとうとう奈良県で国内初の感染者が出て、政府並びに関係機関は感染拡大防止の対応に追われています。
 私たちはすでに「SARS」や「MERS」や新型インフルエンザの感染脅威を経験していますが、今回の新型コロナウィルスは発熱やセキなどの症状がなくても身近な接触で人から人へ感染することがわかり、これまでにない感染拡大が予測されています。先日まで感染者を国内に入れない水際作戦が云々されていましたが、時すでに遅しで防げませんでした。万一国内で大流行となった場合にどうするか、予防方法は手洗いとうがいくらいで、予防ワクチンも特効薬もまだありません。国はどんな対策が用意できているのか、感染者を入院隔離できる能力やベッド数が日本の医療機関にどのくらいあるのか、今までの国の感染病対策や今回の対応についてテレビでは医療関係者・感染対策行政経験者から批判の声も出ています。
 そうした折、1月29日午前、武漢から帰国希望者を乗せたチャーター機が羽田に着き、感染検査のために帰国者が医療機関に向いはじめ、テレビのワイドショーでは帰国者には国内での感染拡大を防ぐために(人権の問題はあるが)全員が一定期間政府系の施設などに隔離し経過観察を受けてもらってはどうかなどの議論が国会論戦並みに行われていた同じ時間帯に、参議院の予算委員会では蓮舫議員(立憲)が「桜を見る会」の問題で青スジ立てて安倍総理を追及していました。日本という国は、テレビ(民間放送)が国民の生命と健康に関する緊急事態を朝から議論している時に、それをいま議論すべき国会はと言えばノーテンキに去年の春の政治スキャンダルを議論しています。