蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

自然界から人間の科学文明が問われている

令和2年5月1日
 天平九年(七三七)、権勢を誇っていた朝廷貴族の雄・藤原家の当主の四兄弟が、天然痘で相次いで亡くなっています。
 年令の順に言うと、藤原南家の藤原武智麻呂、藤原北家の藤原房前、藤原式家の藤原宇合、藤原京家の藤原麻呂で、政権のトップが相次いで亡くなるという大事件になりました。四兄弟の父で、藤原家の実質的な祖と言われている藤原不比等も天然痘で亡くなったという説があります。時の聖武天皇が東大寺の大仏建立を発願したのは、天然痘の終息を願ってのことだったと言われています。
 この時の天然痘の流行は、天平七年(七三五)にはじまり天平十年(七三八)の一月に終息したと伝えられていますが、最初大宰府が管轄する北九州(現在の博多を中心とする福岡市の周辺か)で発生し、感染源は「野蛮人の船」で感染した漁師だということになっています。
 翌天平八年(七三六)、遣新羅使が新羅に派遣されましたが、北九州(おそらく那ノ津、今の博多港)から新羅に向う途中に随員が感染。大使の阿部継麻呂も帰途で発症し、いずれも道中で命を落しました。おそらく、残りの随員の一行が天然痘ウィルスを畿内に持ち込んだものと思われます。感染は、大和国・伊賀国・若狭国・長門国・伊豆国・駿河国に拡がり、翌天平九年六月には平城京の官人の大多数が感染して朝廷の政務が止り、一〇〇万~一五〇万人(人口の約三十%)が死亡したと言われます。
 今から約一〇〇年前の一九一八年一月~一九二〇年十二月、太平洋の島々から北極圏に至るまで、世界中に「スペイン風邪」(インフルエンザH1N1亜型、鳥インフルエンザ)が大流行し、感染者五億人、死亡者一七〇〇万人~五〇〇〇万人という史上最悪のパンデミックが起きました。
 発生源には諸説あり、第一次世界大戦中にフランスのエタプルに駐屯していたイギリス陸軍の内部からという説。アメリカのカンザス州という説。カナダの鴨からイリノイ州の豚に感染したという説。中国からアメリカに運ばれたウィルスがボストン周辺で変異し、それがフランスに移ってブレストから世界中に拡大したという説。第一次世界大戦中に、イギリス・フランス軍の後方作業に駆り出された約一〇万人の中国人労働者からパンデミックが起きたという説。
 いずれにしても、第一波は一九一八年三月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州で流行し、アメリカ軍のヨーロッパ進駐とともに五月~六月にヨーロッパに拡大しました。第二波はその年の秋にほぼ世界中で同時多発的に流行しました。感染者数約五億人、世界の人口の約三十%、死亡者数が推定一七〇〇万人~一億人でした。
 この時日本では、第一波が大正七年(一九一八)十月~翌大正八年(一九一九)三月、第二波がその十二月~翌大正九年(一九二〇)三月、第三波がその十二月~翌大正十年(一九二一)三月で、その七月に終息しました。感染者約二三八〇万人、死者約三十九万人という未曽有の大惨事になりました。
 思えば、感染症の歴史は古く、紀元前五世紀には、ペロポネソス戦争さなかのアテナイ(今のアテネ)でペストが流行。紀元六世紀には東ローマ帝国で、十四世紀にイスラム世界やヨーロッパでペストが猛威を振い、十七世紀にはヨーロッパ・中国で、十九世紀末には中国を感染源とするペストが世界中に拡大しました。このペストは、二十世紀のはじめ、中国の沿岸部や台湾・日本・ハワイに流行し、さらにアメリカ・東南アジア・南方アジアに広がりました。
 また麻疹(はしか)は、十世紀の終り頃日本全国に流行し、平安京の朝廷貴族にも多数の死者が出たといわれます。
 天然痘の歴史は一番長く、紀元前十一世紀にはエジプトで確認され、紀元二世紀にはローマ帝国でも流行したと見られています。とくにアジアでは、四世紀以来各地で流行し、十六世紀にはスペイン軍がアメリカ大陸を侵略した際に持ち込み、メキシコ中央のアステカ王国やペルーのインカ帝国や今のコロンビアでは猛威を振いました。十七世紀の後半にはアメリカのインディアンに感染し、十八世紀にもアメリカ大陸では軍関係に感染が広がっています。十八世紀末、ジェンナーがはじめた免疫療法の種痘が成功し、二十世紀になってアフリカで一時流行しましたが、昭和五十五年(一九八〇)にはWHOから根絶宣言が出されました。天然痘にかかった人には、モーツァルト、スターリン、トーマス・ジェファーソン(第三代アメリカ大統領)、日本では前述した藤原四兄弟のほか、藤原道隆・同道兼、源実朝、戦国時代の伊達政宗・豊臣秀頼、吉田松陰、上田秋成、緒方洪庵、孝明天皇、夏目漱石らがいます。
 さらにコレラは、何回も世界中でパンデミックを起していて、今でも家畜感染を通じて身近な問題ですが、発生源はインドのベンガル地方およびバングラデシュにかけての地域と考えられています。江戸時代の文化十四年(一八一七)、カルカッタで発生したコレラはアジア全域とアフリカに蔓延し、文政六年(一八二三)まで続きました(「文政コレラ」)。
 また、文政九年(一八二六)から天保八年(一八三七)にはアジア・アフリカからヨーロッパに、そして南北アメリカ大陸にも流行し、世界中がコレラに感染しました。さらに、天保十一年(一八四〇)~万延元年(一八六〇)、文久三年(一八六三)~明治十二年(一八七九)、明治十四年(一八八一)~明治二十九年(一八九六)、明治三十二年(一八九九)~大正十二年(一九二三)、アジア型コレラが大流行しました。風土病が短期間の内に世界中に広がるパンデミック症候群になってしまいました。
 日本では、安政五年(一八五八)~文久元年(一八六一)に「安政コレラ」が大流行し、江戸だけでも十万人が死亡したといわれています。翌文久二年(一八六二)にはまたぶり返し、江戸で七万三〇〇〇人が命を失いました。明治時代の流行でも、しばしば一〇万人規模で犠牲になっています。
 このほかに、ジフテリア・チフス・発疹チフス・腸チフス・パラチフスなどが毎年のように流行し、とくに乳幼児や幼児期の子供が犠牲になりました。当山の「過去帳」にもその形跡が認められ、毎日のように幼児の戒名が記されている時代があります。
 結核は太古の昔から地球上にある感染症で、紀元前五〇〇〇年頃の人骨にもその痕跡が見られるそうです。日本では弥生時代には大陸から入ってきていたらしく、『枕草子』にも『源氏物語』にも「胸の病」として綴られ、鎌倉の海べりからは合戦死ではない人骨から結核菌のDNAが見つかったといいます。
 日本では明治のはじめまで「労咳」「ころり」と呼ばれる不治の病で、昭和十年(一九三五)~二十五年(一九五〇)には、一番死亡率の高い病気でした。
 著名人では、新選組の沖田総司、維新の志士高杉晋作、俳句の正岡子規、さらに陸奥宗光、樋口一葉、石川啄木、国木田独歩、高山樗牛、竹久夢二、堀辰雄、長塚節、中原中也、梶井基次郎、滝廉太郎、佐伯祐三、新島襄、秩父宮雍仁親王、そのほか紡績工場の女工、下級兵士をはじめ、次から次へと感染し、国民の間では「亡国病」と言われました。
 このほかに、アジア風邪・香港風邪・新型インフルエンザ、日本脳炎、ポリオ(急性灰白髄炎、小児麻痺)、エボラ出血熱、マラリア、エイズ、コロナウィルス感染(SARS、MERS)など、感染症と人間の闘いは続いています。(ウィキペディア「感染症の歴史」より)
 今、中国武漢市を発生源とする新型コロナウィルスが世界中で猛威を振っているまっただなか、医療現場で不眠不休で感染者の対応に追われている医療関係者の皆さんや、行政の現場で日夜緊急対策に追われている職員の皆さんのご苦労に感謝しつつ、以下少々述べたく思います。
 私の知るお寺では、新型コロナウィルス撲滅の祈願法会を近々行うそうです。また、著名な大寺院では感染終息の祈願法要が行われていることも聞こえてきます。お寺の住職という同じ立場で考えさせられる問題ですが、私は「そういうことはやらない」と決めました。
 理由は、
1.新型コロナウィルス感染の問題は、ひとえに自然科学の問題、つまり、医学・医療・薬学・疫学、病院・医師・看護師・検査技師、保健所・保健師、医薬品・医療品、医療機器・医療器材の出番であり、坊さんや宗教の出番ではない、ということ。
2.ウィルス撲滅や感染終息を祈る法要は、メディアなどの目を集めますが、しばしば坊さんの世間受けねらいのパフォーマンスになりがちで、私が一番きらいなこと。またどんなに修行を積んだ霊験あらたかな高僧が真剣に祈祷しても、コロナウィルスは時期がくるまで抑止できません。次元のちがう話です。
 問題の本質は、自然界と人間の科学文明との闘い。
 自然界に生きる「細菌」の一部が「病原菌」に変異し、人から人へ感染し、場合によっては軽症が急変し重症になり罪なき人を死に追いやる、同じ系類のインフルエンザウィルスと比べて悪質で危険。
 それに対して人間は、「免疫」と医学・医療など科学文明の武器で闘う。やがて効果的な治療薬と治療法・医療機器が出そろい、予防ワクチンも普及して人間が勝利し、新型コロナウィルスも他のウィルスと同じく人間との共存で生き残る、そういう問題です。
 こんな時、弘法大師ならどうするか、業界紙からも問われましたが、大師ならやみくもにウィルス撲滅祈願法要などやりません。大師は当時の「医方明」(「五明」の一つ、医学・医療・薬学・薬療)に詳しかったですし、とくに薬学・薬品化学を知っていました。その方の技術者・知識人の人脈もあったと思います。今日のような緊急事態に際しては、大急ぎで治療薬を作らせ、その完成を待って、住寺道場の四方を結界し、一ヵ月間山門を閉じ、不動明王をご本尊として一日三回、調伏護摩を修し、合せて薬師如来をご本尊にして「薬師法」を行うでしょう。
 同時に、お寺の外で発熱外来を受付、PCR検査などを行い、重症・中等度の患者は別院の「悲田院」に収容されて、ただちに投薬や治療が行われ、軽症の患者は他の別院で経過観察するでしょう。治療費はもちろん無料。医師・看護師ほかスタッフには十分な謝意を表わします。
 医療(自然科学)と宗教(人文科学)の両面を両立してやる、これが弘法大師の「二而不二」(二つで一つ)、異なる二律の撞着(「アウフヘーベン」)という「方法」で、その二つをつないでいるのが、人助け(衆生救済)の「菩薩」の精神です。
 坊さんがコロナウィルス問題で何かをするとしたら、それくらいの医療奉仕を用意して祈りを行うべきでしょう。坊さんは祈り・おがむのが仕事だ、というのもわかりますが、おがむだけでは利他行になりません。上記のような医療奉仕ができないのが現実であるなら、せめて寺院関係者による緊急時「営業・生活支援財団」(クラウドファンディング)をつくり、各都道府県の宗派組織などを支部として、それぞれの地方地域ごとに生活資金や営業資金で困っている人に、当面の資金給付する(差し上げる)こと。その資金は、災害時の義援金と同じように、全国から額の多少を問わず善意の浄財を集める。先ずまっ先に、お寺の住職が一万円以上の寄付をする、規模の大きな寺院には十万単位、大本山クラスには百万~千万単位をお願いできないだろうか、くらいのことを言い出せないものかと思います。国や自治体その他の財政手当てでは絶対に足りないのです。大師なら「官民和同」でやるでしょう。
 長期の外出自粛や三密回避の気づかいでストレスが昂じたり、家庭内でいざこざが起きたり、ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力、児童虐待、年配者虐待)が起きたり、パチンコなどに行かないと落ち着かない人が出たりなど、生活リズムが変り、仕事や生活のモードが普段とはちがってくると、心に異常が発生します。そこに宗教が役に立つ可能性があると言えばあるかも知れませんが、自粛生活で活動を制約され、慚愧に耐えませんが、目立って役に立つことは見当たりません。
 敢えて言うなら、大震災で家族を家を財産を仕事を人生を失くした東北の人たちの忍耐強さや、福島第一原発の原子炉危機の際、命がけで原子炉の全壊を食い止め、首都東京をはじめ、東日本の全滅を防いでくれた、吉田所長以下東電スタッフの献身、を教訓に、核汚染もウィルスも目に見えない恐怖との闘いですが、ストレスとも共存しながらもう少しの辛抱に耐えていくということ。
 世界中のパンデミックで、それぞれの国の国民性、すなわち国民の資質があらわになりました。日本は感染症との長い闘いのなかで先人が残してくれた清潔感の習慣とその意識の高さ、そして清潔用品の普及、これは世界一でしょう。また、社会秩序を守る節操・我慢・忍耐・共同体意識・公衆道徳、これも世界一でしょう。それが死亡者数・感染者数の少なさに表われていると思います。 
 その意味で、責任ある国民として慎みたいことは、
1.感染者の治療に当っている医療機関に働く、医師・看護師・検査技師の方々とその家族へのいわれのない差別的な中傷・風評(とくに学童への無視・悪口・いじめ)。
2.感染者およびその家族への差別的な中傷・風評(とくに学童への無視・悪口・いじめ)。
3.感染者を出した店舗やイベントの責任者への差別的な中傷・風評。
4.まったく関係のない人の実名を挙げて、ネット上などでこの問題のデマを流すこと。
5.感染してもかまわない、感染源になってもかまわない、などと無責任なことをうそぶき、外出自粛や休業要請に従わないこと。
 できれば、以下の五つも。
1.一日中ギャンブル(ギャンブル依存症)。
2.一日中スマホゲーム(スマホ依存症)。
3.一日中飲酒(アルコール依存症)。
4.一日中ライン(ライン依存症)。
5.一日中テレビ(テレビ依存症)。
 ゴミ収集ではお酒の空きビンが増えているそうです、人があまりいない自然や公園を時には散歩するのもいいでしょう。あるいは、「笑う門には福来たる」で、笑うと免疫力が高まっていいそうです。私は綾小路きみまろの漫談(CD/DVD/ユーチューブ)でストレス解消です。
 最後になりますが、県や市に提案です。
 前に、このブログで、感染症隔離施設と災害時避難施設を兼ねた防災センターの建設を提案しましたが、現況で、軽症感染者のために借り上られたホテルは、実際には冷たくて同じような弁当の食事とか、狭い空間でのたいくつなストレスや、保健・医療関係者の配置など、いざとなると問題があるようです。
 やはり、臨時に借りたホテルなどではなく、いつでも緊急事態の時に国民が安全に安心して避難や隔離や療養生活ができる医療と福祉が完備した施設がこれからますます必要で、そういうものが先進国のあるべき国民主権のセイフティネットです。