蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

学者の矜持

令和2年11月1日
 十億円からの国費(国民の税金)が使われている政府機関の「日本学術会議」で先日、会員の改選が行われたのですが(半数の一〇五人)、任命権者である菅総理は学術会議から推薦された一〇五人のうち、六人の学者の任命を拒否しました。そのことで「理由は何だハッキリ言え」「学問の自由を侵害した」などと、部外者までが騒いでざわついています。
 任命拒否の理由は簡単です。任命されなかった六人は政府にとって好ましからざる人物なのでしょう。菅総理に上げられる前に担当部局でおそらく忌避されたのです。具体的な理由はご本人が一番わかっているはずで、そんなことは表ざたにするものではありません。それを「ハッキリ言え」と言うのは子供じみたゲス(下衆)の物言いです。
 政府機関の人事問題で、任命権者の総理大臣が個別的な理由を言うわけがありません。そんなことを言えば、拒否されなかった人たちの理由もいちいち言わなければなりません。拒否の判断には杉田官房副長官の関与も言われています。この案件、杉田氏の名前が出たところで即ゲームセットです。杉田さんは警察・公安(国の治安機関)のトップ官僚です。日本の治安に関する機密情報を把握している立場です。政府にとって好ましからざる人物情報にも精通しているはずです。公安当局が六人をどう見ているか、これでわかったはずです。安保法制に反対したとか、そんな程度のことだけではないと見るのがオトナの感覚でしょう。

 たしかに日本学術会議は、従来通り規則に則って会員選考を行い、あとは当選証書授与と同じ意味の総理の任命書を待つだけだったのでしょう。しかしそれが、菅新総理の言う「霞が関の悪しき前例」に引っかかったのです。菅総理は悪しき前例の観点から、たとえ学者の集りであっても国民の税金が入っている政府機関の学術会議を例外とせず、国民の代表(主権在民)として、任命権者の立場から人事権を行使したわけです。
 しかし、学術会議会員の選任にあたっては、任命権者である総理大臣に人事権がないという奇妙な慣習法があるらしく、たぶん「学の独立」「学問の自由」からきているのでしょうが、政府機関であっても政府から独立しているというのです。国民の税金である国費が使われていても、国民の代表であり任命権者である総理大臣は、金だけ出して口は出すなということになっていたようです。学問・学者は特権階級なのでしょう。社会はそう見ていませんが、学術会議関係の学者はそう自負しているようです。それに対し菅新総理から「そうはいきません」と待ったがかかったわけです。

 こういう時、学者は「沈黙こそ金」です。黙っていることこそが学問の府に身を置く人の矜持です。役所の人事でも、会社の人事でも、組織の人事には不条理なことがあるのは世の常。いちいち不満タラタラ、ダダをこねたとて、自分の評価が上るわけではありません。一度決まった人事には、ああだこうだと言わないで黙って従うことです。野球にも、審判のミスジャッジで、ストライクがボールになり、セーフがアウトになり、ホームランがファウルになることがあります。過剰な抗議をすれば、監督でも退場を宣告されます。サッカーでは、審判の判定に文句を言うと即刻レッドカードです。

 私の知るかぎり、拒否された六人のうち、なかには総理官邸近くの街頭でマイクをにぎり不満を訴えたり、テレビ番組に出演して「私のどこが学術会議にふさわしくないのか、納得できる理由を言ってみろ」と言ったり、女々しいダダのこねぶり。学者は人格的にも立派な人間ばかりと思いきや、低いレベルの市民運動家と変わりない人もいるようです。

 まあしかしです、そもそも政府の方針や法案に反対の反政府的立場に立ち、時に野党の飼い犬のような役も引き受ける反政府的な学者が、政府機関である日本学術会議の会員になろうとすること自体、政府の御用学者の集りと揶揄される場を望むこと自体、そもそも気が知れません。また、それを拒否されたからといって、街頭に出たりテレビに出演して不満を述べること自体、自己矛盾です。反政府なら反政府で結構ですが、政府機関の学術会議になど自ら関わらないことが、まともな学者の矜持というものです。

 それから学問の自由を侵害するというドサクサまぎれの議論。先ず、六人の学者個々の大学における学術研究や学問の自由が侵害されたわけではありません。学問の自由を侵害するということは、例えば、その学者の研究内容や学術発表に対して国家権力(例えば、文部省や公安当局)が言いがかりをつけたり、検閲をしたり、撤回させたり、その学者の所属する大学内の人事に介入して不利に誘導したり、その学者をマークしたり、呼び出して取り調べをしたり拘束したり逮捕したり、そういうことです。治安維持法下の戦前にはよくありました。
 戦後、憲法で保障された「学問の自由」をもとに「学の独立」「大学の自治」が強化され、大学に国家権力が介入することはできなくなりました。東大紛争の際、機動隊(国家権力)が学内に入ることさえ教授会で相当な葛藤があったくらいです。学問の自由を侵害するというドサクサまぎれの議論は、その「学の独立」「大学の自治」を学術会議にかぶせた議論ですが、学術会議は政府機関であって学問の府ではありません。「学の独立」「大学の自治」は、時として反政府的な左傾の学者を生む温床となってきました。そこで育った左傾学者が、学術会議に「学問の自由」を持ち出しています。人文科学系に目立ちます。
 学術会議は、戦争に科学者も加担したとの反省から、学者の学識・良識・良心をもとに、例えば原子力政策などに提言をする活動をしてきましたが、そもそもが大学を定年退職するような年齢の老人学者の集りで(六人の平均年齢も六十才超)、科学的・社会的・経済的・政治的・法律的等々、さまざまな人間社会の問題について学術的な知見をもとに議論し、政府に具申する、時には政府の諮問に答える、政治の場(政府機関)です。これまでも、学者の名誉職で有名無実であることや会員選考や軍事(技術に転用可能な)研究拒否などでさまざまに問題があり、行政改革の議論の対象にもなってきました。

 敢えて言いますが、学問も思想信条も自由です。しかし、反政府の立場に立つ学者は、何かの機会に政治的な報復を受ける覚悟がなければ子供と同じです。言えることは、学者は自分の学問に驕り、反政府でありながら政府機関の学術会議のメンバーになろうなどと自己矛盾しないことです。