蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

「国民の健康・いのちとオリンピックとどっちが大事なのか」に答えられないこの国の総理大臣

令和3年6月10日
 この国の危機管理の最高責任者である菅総理に、素朴なおたずねをします。
 非常事態宣言が出されている地域はもちろん、非常事態宣言が出されていない町でも、児童・生徒が楽しみしている一年に一度の運動会は自粛中止なのに、(競技会場となる)東京と首都圏では目下非常事態宣言発令中で、思うように感染ステージが下がらないこんな状況下で、世界のアスリートの運動会(オリンピック)は何故行われるのですか?
 児童・生徒の運動会は学校教育活動の大切な一つであり、何よりも子供の頃の思い出、学校生活の思い出になります。児童・生徒は、学校でのクラスター発生防止のために、社会に迷惑をかけないために、我慢をして、一生の思い出になる楽しみを犠牲にしています。世界のアスリートはオリンピック出場の希望がかなえられるでしょうが、児童・生徒の希望はかなえられません。
 一方では児童・生徒の運動会を自粛にさせておいて、一方では世界のアスリートの運動会をこの国の総力を挙げて協力し行う。こうした「ダブルスタンダード」「不条理」「不公平」がまかり通る、あるいはこれを許す、その理由を教えてください。
 変異型コロナウィルスの感染が拡大しているなか、また新しい変異ウィルス(インド由来)が急拡大し、東京・大阪をはじめ主要大都市圏では医療現場がひっ迫し、陽性が判明して要入院と判断された人がすぐには入院できず、自宅で待機中にに急死することまで起き、全国的に厳重警戒体制にあるなか、一日一日迫ってくる東京オリンピックについて「こんな時期にオリンピックをやるのは普通ではない」と政府分科会の尾身会長まで普通じゃない声を挙げました。感染症の専門家からすれば、こんな時にオリンピックなんてとんもない話だということに相違ありません。
 一方、「こんな時にオリンピックか?」「そんなにしてまで強行するオリンピックの意義は?」「国民の健康・いのちとオリンピックはどっちが優先するのか?」と聞かれても、「私はオリンピックの中止を決める立場にない」「国民の皆さんのいのちを守り、安心・安全なオリンピックができるようにするのが私のつとめ」「それには、ワクチンの接種を早めたい」と、聞かれていることにまともに答えられず、コトバをにごし、話をはぐらかすことしか能がない菅総理。
 国家的な危急の時に、国民をイライラさせるだけで頼りにもあてにもならず、国民の心を打つコトバ力もなく、国民の心をつかむ求心力もなく、国民がついていく人間的魅力もなく、国会の答弁もメディアへの受け答えも木で鼻をくくったような官僚答弁に終始し、質問をしている人を小馬鹿にしたような虚勢を張り、そのことが皮肉にも政治家としての実力不足と、一国の総理大臣の器ではないことを証明している菅総理に、「ダメだ、こりゃ」と呆れた若者がコンビニの駐車場や都会の路上にたむろして外酒を飲み、いい加減な年配者が電車のなかで酒を飲んで酔っ払い若者にたしなめられて逆ギレし、タバコ吸いは使用禁止になった喫煙スポットのまわりに吸殻をポイ捨てし、ストレスを発散させています、きょうはパロディーもまじえて簡単な質問を試み、私は私のやり方でストレス発散に及んだ次第です。

 かく言う私は高校時代、受験校にいながら勉強などそっちのけで卓球に明け暮れ、夢中でインターハイを目指していたアスリート予備軍で、卓球・野球をはじめスポーツなら何でもやりたがる体育会系のスポーツファンですが、ことオリンピックに関しては懐疑的・否定的で好きになれません。理由は、いつの頃からか「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というクーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)はキレイごとになり、IOCはきわめて政治的でアメリカの三大ネットワークと組んで商業主義オリンピックに傾斜し、大きな権益と権力を手にし、特権的なスポーツ貴族に成り上がっていることに強い怒りをおぼえているからです。今回の東京オリンピックは、そのIOCのポチになり、コロナ禍中の国民がそれどころではなく、とても歓迎する気になどならないのに、オリンピックを自明のこととして強行する組織委員会・JOC・東京都・政府は、完全に国民から支持されていません。

 思えば、東京オリンピックは当初、フクシマの原発事故による放射性物質の汚染が「アンダーコントロール」にあって、放射性物質の汚染も心配なく復興の道を歩む東北・東日本の姿を世界に伝えるための「復興五輪」でした。それが、この頃は東北の「と」も、東日本の「ひ」もオリンピックの話から消えました。その一方で、コロナがまだ終息していないのに、「コロナ克服五輪」などという不謹慎・不心得なキャッチが聞こえてきます。
 東京オリンピックは、石原慎太郎知事が何の目的だったか、大震災のあとの東京の都市再開発のためだったか、独断的に仕掛けたのがはじまりで、当初から国民的な盛りあがりに欠け、続いて石原知事のあとを受けた猪瀬・舛添両知事が政治とお金の問題で失脚したのをはじめとして、一度決定した国立競技場の設計はすったもんだの挙げ句やり直しになり、一度決定したロゴマークが盗作さわぎで再募集になり、オリンピック関連の施設になる築地市場の移転先の「豊洲」から毒物が検出されて大騒ぎになり、そこへ未曽有のコロナウィルスの襲撃です。
 そんなケチがつきっぱなしの東京オリンピック。コロナ禍のなかでワクチン接種の予約もまだ取れないでいる高齢者をはじめ、時短協力金がまだもらえない飲食業の人や、協力金どころではない食品納入業者や、そもそも運動会も取り上げられた児童・生徒は、オリンピックどころではなく、むしろ苦々しく思っています。