蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

ワクチン接種の愚策ほか

令和3年9月1日
ワクチン接種の実施が具体化する際、医療従事者を最優先にするのは当然として、その次に高齢者を優先すると聞いて「バカじゃないか、逆だろう、外(人ごみ・三密のなか)に出て感染する可能性が高い20才代~50才代を先にするべきだ」と言って周囲からひんしゅくを買ったことがありました。
高齢者は重症化して死亡する率が高く、高齢者の感染がさらに拡大すればやがて医療現場がひっ迫し命を救えなくなる恐れがあるから、という理由はいかにもごもっともでしたが、今となっては誤算・愚策でした。感染力が強い変種「デルタ株」の急速なまん延によって、10才代未満~50才代の感染が拡大し、次々と働き盛りの人たちが亡くなり、時には働き手の若い両親が感染して入院あるいは隔離され、お子さんが親のいない家で孤立する気の毒な事案まで出ているほか、10才以下の子供たちにまで感染が広まり、今では感染者の約20%が10才以下の子供たちです。まさに緊急事態ですが、学校の先生や職員が優先的にワクチンの職域接種を受けた話は耳にしたことがなく、保育園・幼稚園(多くが認定こども園)の教職員が接種済みだという話も聞いたことがありません。
こうなると、当初はひんしゅくを買いましたが、私が言ったように、高齢者からではなく、集団感染が心配される職域で働く20才代~50才代の人たちからはじめるべきでした。もう少しまっとうにいえば、基本的に職域感染ひいては家庭内感染を防ぐために、20才代~50才代から接種をはじめ、同時に高齢者も急ぐべき人からはじめるという、柔軟な対応があってもよかったということです。製造・販売・サービスをはじめ世の中の第一線で働いている20才代~50才代からはじめていれば、夜の飲食店は休業や時間短縮営業に追い込まれることもなく、観光地のホテル・旅館・交通機関も「GO TO キャンペーン」をアテにする必要もありませんでした。政府つまりは菅総理の誤算・愚策のおかげで、休業・廃業・破産に追い込まれた気の毒な人たちがどれだけいるか、加えてこの国のトップ・リーダーの危機管理の無能さによって毎日数十、働き盛りがコロナで亡くなっています。親を亡くした若年層のことを思うといたたまれません。

その誤算・愚策の菅総理を、前回のこのブログで「宰相の器」ではないと酷評し、この夏の感染急拡大は菅総理に愛想をつかし総理の「お願い」に耳を貸さなくなった国民の「菅総理ではダメ」の声なきレジスタンスだと言ったところですが、自民党の総裁選と衆議院選挙を目前にして、国民の厳しい声に耐えかねた党内から造反が続出し、ようやく事態の深刻さに気がついたようで、「裸の王様」が王座から降りる表明をしました。国民生活の窮状を代弁して菅総理や担当大臣を追及する野党質問に答える自信がないため、とうとう国会を開こうとしなかった答弁恐怖症の王様でした。秋田県の田舎から出てきて法政大学では苦学した苦労人だというふれこみでしたが、いつの間にか霞が関のエリートになって過信し、国民の窮状や苦しみがわからない「裸の王様」になっていました。テレビの街頭インタビューに応じ「総理大臣の器ではなかったということ」と吐き捨てた人がいましたが、私の酷評が的外れでなかったことが証明されました。
それにしても、東京をはじめ首都圏が緊急事態宣言発出中日に日に高まった「こんな時にオリンピックを開催するのか」の声に耳をふさぎ、終始開催にこだわった東京オリンピック・パラリンピックがまだ終わらない時期に、開催国の責任者の職を放り出す表明は何たることでしょう。要するに、菅総理にとって東京オリンピック・パラリンピックは、総裁選での再選、自分の誤算・愚策で低下した支持率の回復、逆風における衆議院選挙での自民党敗北の防止、ひいては自分の政治的延命、それら「政争の具」だったに相違ありません。

余事ながら、秋篠宮様の御息女のもつれた結婚話の件。先日「年内に結婚」「納采の儀等皇室関連の結婚儀礼なし」「1億3000万といわれる持参金辞退」「ニューヨークで婚約相手の母共々生活」などといったニュースが急に飛び交いました。
世間の一部には、「皇室の御息女にも「個人の意志の尊重」あるべし」との理由から「やっと彼女の希望が叶えられてよかった」などという安直な論評がありますが、これは皇族(ロイヤルファミリー)も一般国民もいっしょくたにして自由・平等を語る、おおかたは左系の戦後民主主義信者の世迷い言ですが、この件はそんな軽薄短小の人権問題ではありません。皇族の御婚礼は私たち一般国民のものとわけがちがいます。すなわち、「お互いが好きならばいいじゃないか」(「両性の合意」)で済む話ではありません。ですから、旧皇族筋の識者や、皇室の歴史や伝統に詳しい研究者や、皇室を永年取材してきたジャーナリストが問題にして発言しているのです。さらに言えば、秋篠宮様の御息女の結婚話が、従来のような皇族らしいものであり、国民の理解と共感と祝福を得られるものなら、誰も目くじらを立てないということです。
私見ですが、この件で一番問題なことは、皇室に生れ育った御息女が「個人の意志の尊重」を盾に、(自ら率先して遵守すべき)皇室の婚礼に関する伝統や文化をないがしろにする形で結婚していいのか、ということ。ありていに言えば、婚約相手の家は皇室の御息女が嫁ぐにふさわしい家かということです。
「やっと彼女の希望が叶えられてよかった」と言う人に聞いてみたいものですが、「これまで大事に育ててきた娘が結婚したいと言う相手の家が、母には金銭トラブルや不可解なことがつきまとい、その上、父は自殺、祖父母も自殺、そのほか二人が不審死という場合、そういう家に娘を嫁がせますか。そもそも彼氏とてまだ定職についていない無収入の状態、これからどんな苦労が待っているかわからないのに」と。まともな親なら誰でも反対するでしょう。こんな結婚話に賛成する親がいたら顔を見てみたいものです。親にも娘にまともな結婚をするよう指導・助言し、時には叱正する権利があります。
秋篠宮家御息女のこのもつれた結婚話が、先の報道のように推移するなら、そういうことがまた堂々と通るなら、民間の一般家庭から皇室に嫁がれて皇室の伝統や文化と戦後民主主義の「個人の意志の尊重」のはざまで苦悩され葛藤された上皇后様や皇后様や御母堂様のご苦労はいったい何だったのか、ということになります。時には失語症・適応障害など、体調の異変に悩まれました。並大抵のご苦労ではありません。御息女は、上皇后様や皇后陛下や御母堂様のご苦労に耳目をふさぎ、敢えて言えばそのご苦労を踏みにじるも同然です。島津家・黒田家等に嫁がれた先輩皇女の実績も彼女には無意味なのでしょうか。皆様各人各様、皇室のお立場を保持した上で戦後民主主義との折り合いをつけておられます。
もう一つ言えば、婚約相手先が皇室の御息女が嫁ぐにふさわしい家かという世論の批判的忠告を無視するということは、国民の理解や共感や祝福を半数得られないまま結婚を強行するということ。そして、そこに透けて見える彼女の未熟さやわがままによって皇室に対する国民の信頼が著しくそこなわれるということ。それは、上皇様・上皇后様、天皇・皇后両陛下、皇嗣たる秋篠宮様ご両親をはじめ、さらには宮家の皆様それぞれが努力して重ねてこられた「国民とともにある皇室」への反逆行為に等しく、同時に極めつけの親不孝です。「個人の意志の尊重」という戦後民主主義をふりかざすなら、同じ戦後民主主義の「国民主権」「主権在民」、言い換えれば「国民とともにある皇室」、皇室といえども国民的な理解や共感なしに個人的な自己都合を勝手に強行できないことを肝に銘じていただきたいものです。