蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

醜聞、皇室御息女のご結婚

令和3年10月15日
 皇室御息女のご結婚について苦言を呈することなど、国民の一人として望むところではありませんが、不本意ながら、かつ失礼ながら、日本の伝統文化を保守する立場から、このたびの秋篠宮家御息女のご結婚について再度私見を述べさせていただきます。
 戦後、新憲法の「主権在民」「国民主権」のもとで、皇室のあり方も「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」となりました。上皇様と上皇后様はそのことを具現するため、上皇様は民間から皇室に入られた上皇后様を温かく化導され、上皇后様はそれによくよく応えられ、時には体調を崩されてまで懸命に尽くしてこられました。そのご努力とご苦労に対し国民の誰もが納得し共感し、等しく慰労と感謝の念をいだいています。
 また、現在の天皇・皇后両陛下におかれましても、上皇様・上皇后様の歩まれた道を範とされ、「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」を真摯におつとめになられておられ、そのご労苦のなかで体調をこわされた皇后様に国民各層から激励やエールの声が寄せられています。
 さらに、皇室の御息女はそれぞれ、国民の大多数が納得・共感・祝福するご結婚をされ、ご結婚後も元皇族としてさまざまなお役やご活動を通じて社会に貢献されておられます。私の知る限り、未だかつて皇室の御息女がご結婚の件で国民から不評を買い、国民の半数近くから危惧や疑念が出され、メディアにも大きく報道され、一部メディアからは非難・批判を浴びるような不始末はありませんでした。
 然るにこのたび、「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」をないがしろにするかのように、国民の約半数が危惧し疑問視し納得・共感・祝福しないなか、秋篠宮家の御息女が大学時代から恋仲にある民間人男性とのご結婚を強行されるに至りました。敢えて強行と言いますのは、嫁ぎ先の母親に金銭トラブルや詐欺疑惑が報じられ、父親をはじめ身内には数人の自殺者がいると伝えられ、国民世論の約半数はこのご結婚に納得・共感・祝福できない世情があるからです。
 祝福されるべきご結婚が正式発表になっても、国民世論はむしろ冷ややかで声を出して「おめでとう」と言える雰囲気ではありません。メディアでは、テレ朝の「羽鳥慎一モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が「やっと二人の希望が叶った」と評し、TBSテレビの「サンデーモーニング」(司会:関口宏)でコメンテーターの田中優子氏(法政大学前総長、江戸文化研究者)が「好きな二人が一緒になるだけのこと」と言い捨てましたが、この発言は一般家庭の私たちの結婚と「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」という特別な家庭にある皇族の結婚をいっしょくたにした発言で、思考停止した戦後民主主義の左系の亡霊の声を聞くようです。
 玉川徹氏は、ことコロナ感染拡大の問題に関する限り、科学的で理性的・建設的な発言・提言を言い続けていて、ある意味でコロナ問題のテレビ界のオピニオンリーダーとも言え、敬意を表するにやぶさかではありませんが、この皇室御息女の結婚問題になると青臭い「二人さえよければ」論に終始し、私のような皇室の伝統を重んじる意見を「ネトウヨ(ネット右翼)」だと片づけます。それも、「羽鳥慎一モーニングショー」における玉川氏の役割・立ち位置と割り切って見てはいますが。
 玉川氏はご愛嬌でいいですが、田中優子氏の「好きな者同士が一緒になるだけのこと」には唖然としました。おそらく言葉足らずだったのだと好意的に思いたいですが、私立大学の総長まで務めた著名な学識経験者が皇室御息女のご結婚が「二人さえよければいい」で済まされることではないことを知らないはずがなく、それを「好きな者同士が一緒になるだけのこと」と矮小化して言い放ったのには耳を疑いましたし、日本の伝統文化に関する彼女の見識にも大きな疑問符を打ちました。彼女も「進歩的文化人」という化石標本の一人だったのです。
 言うまでもなく、皇室は宮中の神々をはじめ日本の神々を奉じ、その祭祀を行ってこの国と国民の安寧を祈る神職の代表一族です。従って、皇室の御息女のご結婚は、民間に嫁ぐ場合であっても、宮中に伝わる神道の古例に則り、納采の儀にはじまり一連の儀礼が行われます。このたびは宮中儀礼が行われないとのこと。それはお父上の秋篠宮様が記者会見で明らかにされた「(婚約相手の母の問題について、国民世論が納得できるような)何らかの具体的な対応が必要」「(それがなくて)今のままでは、納采の儀は行えない」状態のままだということを意味し、皇嗣のお立場の神職秋篠宮様にとっては耐え難い屈辱であり、まことに不本意な苦渋の婚礼を強いられる、ということです。
 神職の皇女が神道の儀礼なしでご結婚をするということは、自分が生まれ育ったルーツを否定することで、寺に生れ仏飯をいただいて育った子弟の僧侶が仏式の法要を否定するようなものであり、もっと言えば、大学でことのほかかわいがって教えた教え子が卒業するにあたって、卒業式に出席もせず、卒業証書(学位記)も受け取らずに、大学を去っていくことに似て、「好きな者同士が一緒になるだけのこと」などと強弁する田中氏は、そういう学生を「好きなようにすればいい」と割り切るのでしょうか。卒業式、すなわち卒業証書授与式は、大学などの教育機関にとって最重要の儀礼です。「仰げば尊し、わが師の恩」をかみしめ「身を立て、名を挙げ」を誓い、通い慣れた学び舎に別れを告げる儀礼です。なくてもいいものではありません。そういうことを「すっとばし」て、「好きなようにすればいい」で済むような話ではありません。再度言いますが、国民の約半数が危惧し懸念し、一部に非難も批判もある秋篠宮家御息女のご結婚を、著名な学識経験者がテレビ番組で「好きな二人が一緒になるだけのこと」と短兵急に放言するのは軽薄短小と言うほかありません。
 秋篠宮様は、記者会見の席で仕方なさそうに「憲法に両性の合意とあり」「結婚は認める、ということです」と言明されましたが、苦しい胸の内をあの場ではああ言うしかなかったのでしょう。民間から嫁がれたお母上の妃殿下のご心労もさぞかしと察せられます。皇室内でのお立場を考えますと、お気の毒で仕方がありません。
 御息女ご自身もPTSD(心的外傷後ストレス障害)だと公表されましたが、上皇様・上皇后様とて、また天皇・皇后両陛下とてそのご心痛は察するに余りあります。御息女にとっては一番の理解者であり庇護者であるお近い方々が心を悩まされ、ご自身もPTSDをかかえたご結婚のどこに「おめでとう」があるのでしょう。御息女はご自身のお心を病む前に親不孝であり、神職の皇女としては不謹慎であり、皇室のご親族にとってはご迷惑、という茨の道を歩もうとしています。
 最後に敢えて言いますが、大学時代に同じ大学に通う皇室の御息女と恋愛関係になり、一線を越えた一般家庭の男子学生を私は聞いたことがありません。例えばですが、学習院大学には多くの皇室子女が学ばれましたが、皇室との関係が深い学習院大学では、いくら若い青春時代といえども、学生やキャンパスライフには(良家のと言ってもいい)一定の節度と品位があり、皇室の御息女と恋仲になって一線を越えるような男子学生を耳にしたことがありません。
 秋篠宮家御息女と結婚相手は、皇室の尊厳や名誉に傷をつけ、皇室の伝統文化に汚点を残すという点で歴史に残ることになるでしょう。未熟であり、甘すぎた若気の至りのつけをこれから背負うことになります。結婚相手に学習院大学のような(良家ならばの)良識や品性が生来なかったのです。生まれ育った環境やルーツもこれから問われかねません。皇室は古来由緒正しきを尊ぶところです。結婚相手はやがてこの国の天皇になる方の義兄になるのです。いいのでしょうか。
 然るに、そうしたなか、ジャーナリストの篠原常一郎氏(ペンネーム:古是三春(フルンゼ・ミハイル)、志波耕治)が、御息女の婚約者の母を詐欺罪で刑事告発し、告発状を東京地検に提出しました。内容不十分で東京地検から再度提出しなおすよう言われた模様ですが、東京地検はこの告発を門前払いにしないようです。これがもし正式に受理されると、御息女の嫁ぎ先の母は事情聴取という取り調べを受け、悪くすれば・・・です。
 すなわち、国民の約半数に異議や疑義があり、「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」に沿わないことを強行すると、国民から厳しい目で見られ、時には厳しい態度に出られるという一例です。