蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

ダメだ、こりゃ

令和3年11月01日
 皇室の御息女のご結婚のことで、まじめくさって皇室の伝統などをブログにしていたことがいかにバカバカしく空しいことだったか、問題の二人の記者会見を仄聞してよくわかりました。ドリフターズのいかりや長介さんの決めゼリフだった「ダメだ、こりゃ」が頭をよぎりました。民間人になられたので失礼を承知で申し上げますが、三十才になる大人としては、オツムの程度も人格性も社会性も一般国民のレベルよりも相当に低いことを痛感しました。「ボク、アタシは悪くないのに」とダダをこねる幼児の如しで、自分たちを批判する国民世論から何かを学び取るどころか、敵対的な反発・反論、自己主張・自己弁護・自己正当化に終始していました。
 眞子さんは、皇族として生まれ育ちながら、皇族の結婚記者会見という公式の席での基本的な発言礼儀である、上皇様・上皇后様、天皇・皇后両陛下、そしてご両親である秋篠宮様ご夫妻への感謝の言葉、さらには「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」の一員として国民の理解と協力に対する感謝の言葉がなく、ご両親や国民世論への反発ともとれる発言が目立って「飛ぶ鳥、跡をにごす」を強く印象づけた上、納采の儀をはじめとする結婚関連の宮中儀礼が執り行われなかった重大さに無頓着、加えて社会対応や法律にも無知・無頓着のようで、とんでもなく重大なことを口にしました。曰く「圭さんのお母さまの元婚約者の方への対応は私がお願いした方向で進めていただきました」。すなわち、この四月に唐突に公表された例の「小室文書」や解決金のことも、ウラで眞子さんが指図していたことを明言したのです。
 これは、明らかに一般国民の金銭トラブル(民事事案)に皇室が恣意的に介入していた(圧力をかけた)ことになり、また小室某はこの問題で皇室を利用したことになります。つまりは、皇室のあり方、もっと言えば憲法違反の問題にも発展しかねない問題発言で、こんな重大なことを眞子さんに言わせてしまう小室某に、法律家になる資質がいったいあるのか大きな疑問をおぼえました。
 それにしても、こんな問題発言を不用意に記者会見の席でシラっと言ってしまうところがいかにも子供っぽく、恋愛関係になってからずっと二人だけの価値観の世界に閉じこもったきり、人間的・社会的な成長も止まったままの未熟さを世間にさらしました。
 加えて、雑誌協会の「(二人の結婚に)「納得と祝福」が広がらない理由には、①小室さんの母親の金銭トラブルが解決されていないこと、②小室さんの経歴には皇室利用と受けとめられかねない事柄があることだと考えます」という質問に対し、文書を読み上げて先ず「このような質問に会場で口頭でお答えすることを想像すると、恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそうで、口頭で質問にお答えすることは不可能であると思いました」と自分が種をまいた問題であることをそっちのけに自己弁護し、「誤った情報が事実であるかの様な印象を与えかねない質問が含まれていた~」「根拠のない多くの厳しい批判にさらされてきた圭さんが、私と結婚するという意思を持ち続けてくれたことに感謝しています。私との結婚を諦めれば、圭さんはこれだけの根拠のない批判に数年間にわたってさらされ続けることはなかったはずです」と反論や自己正当化をしながらノロケも忘れませんでした。
 まるで雑誌協会などのマスコミに対するうっぷん晴らしのような、取りようによっては国民世論への挑戦のような、とても直前まで「国民とともにある皇室」「国民に寄り添う皇室」の一員だったは思えない、国民への感謝や敬意が感じられない国民不在・国民無視の弁解・言い訳でした。おそらく二人だけで考えたのでしょう、自分たちのことしか頭にない子供っぽさや未熟な自己正当化で、誰のおかげで今日があるのか、と反問したくなります。あれでは秋篠宮家のご両親がいかに良識をもって話したところで馬の耳に念仏だったに相違なく、ご心労を重ねた結果ご両親ともに疲れ果て、恥も外聞もなく、「ダメだ、こりゃ」になったのでしょう。
 記者会見の日、都内では日比谷公園に一三〇人が集まって二人の結婚に反対するサイレントデモが行われ、YouTubeでもライブ中継されましたが、コメント欄には反対のコメントが殺到したとのことです。主張の是非はともかくとして、皇室の御息女の結婚に反対する国民のデモがあったこと自体、名誉あるわが国の皇室にとって前代未聞の不名誉で、二人の結婚は長い皇室の歴史に汚点を残しました。