蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

たまには立憲民主党

令和3年12月01日
 年末になると赤穂浪士の忠臣蔵。
 徳川幕府も第五代将軍綱吉の時。太平の世が続き、武士の魂である「忠義」という最高道徳がゆらぎはじめていた元禄十五年。主君である浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇(あだ)討ちのため、十二月十四日夜、国家老大石内蔵助率いる赤穂藩浪士四十七人が、仇(かたき)である幕府高家筆頭の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の屋敷に押し入り、上野介を打ち果して江戸市中の町民から喝采を浴びたという話。昔から日本にはこの仇討ちや源義経のような悲運に味方する「判官びいき」がありますが、今の日本の政界では、この「判官びいき」(国民の支持)が得られない野党が苦戦をしています。
 そこで、たまには立憲民主党です。
 そもそも、この党はかつて政権にあった民主党が国民から見放され、野に下って小池都知事のゆさぶり(希望の党)に分裂して右往左往し、紆余曲折を経て旧民主党の生き残りなどが再結集した、実態は不明ですが中道リベラル(左派)といわれる党。
 先月末に代表選がありました。逢坂誠二元総理大臣補佐官、小川淳也国会対策副委員長、泉健太政務調査会長、西村智奈美元厚生労働副大臣の四人が立候補しました。泉・小川・逢坂・西村さんの順に中道➝リベラル(左派)とのことでした。
 なるほど、一番左系の西村さんの主張は社民党・共産党と変わりがありませんでした。この人は何でも政府自民党との対立軸で考える人らしく、何を言うにもふたこと目に政府自民党が出てきました。すなわち、この人の思考回路は、野党対政府、反権力対権力、弱者対強者、貧困に苦しむ者対富める者という対立構図。まるで資本家(経営者)対労働者階級というかつての階級闘争の構図です。「(世の中の)理不尽と闘う」とくり返し言ったのもその構図でしょう。この人の言う「理不尽」とは、現時点では、コロナウィルスの感染下で困難に直面している人に、政府自民党は何もしていないという意味のようですが、もともとは森友問題で自死した財務省職員のこと、財務省の公文書改ざん・隠ぺい・安倍総理への忖度、安倍元総理夫人の自覚に欠けた振舞い、加計学園の問題や桜を見る会の問題の安倍元総理の友達・後援会優遇問題。要するに、死者が出ているのに権力の側は安泰でぬくぬくとしている、「理不尽」だというわけですが、コロナで困難に直面している人たちの場合は「理不尽」なのはコロナウィルスです。それが彼女の思考回路では政府自民党のせいだとなるのでしょう。こういう、ためにする幼稚なこじつけ理屈は、賢明な国民有権者の心に響きません。そういう人が新幹事長に抜擢されましたが、ただの党内バランスや女性よいしょで、何もできずに終わらないか危惧されます。自民党のカウンターパートは頭の良さでは政界随一でアメリカの通商代表にハード・ネゴシエーターと言わせた茂木幹事長です。
 逢坂さんはリベラルの頭脳派のようで、西村さんのような幼稚な対立議論を意識的に避け、前向きな政策論を言っていました。私は逢坂さんあたりが代表に選ばれるのが今の立憲民主党にはふさわしいと思いましたが、頭脳派はどんな組織でもトップにはなれないのでしょう。北海道のニセコ町長を経て国政に参画したとのことで、立民党も維新の会のように地方から地盤を固め、首長や地方議会で優位を占めるべきではと言う橋本元大阪府知事・大阪市長の意見に大きくうなずいていたのが印象的でした。
 小川さんは、衆院選香川1区で前デジタル庁大臣の平井卓也さんを選挙区で破った人で、その言葉づかいと主張はなかなかで、わかりやすさと国民との距離感の近さは日頃の活動が地に足がついている証拠です。一朝一夕にはあの語り口はできません。枝野前代表の演説のように、これでもかこれでもかと、たたみかけるようなお説教をガナリたてるのは聴いている人の心に響かないもので、小川さんの語り口からは階級闘争のような古い嫌みが感じられませんでした。政府自民党との対決姿勢も見せましたが、穏健中道の立ち位置で、自民党は小川さんが勝って国民の支持を広げることを警戒していたそうです。
 泉さんが代表に選ばれた理由はよくわかりませんが、党歴や役職経験が一番多く、また小沢さんのグループに支持されたことも大きかったのでしょう。どんな政治力やリーダーシップがあるのかわかりませんが、以前から代表への意欲が強かったことはよく知られていました。候補者のなかで一番右寄りの泉さんが代表に選ばれたことが今の立民党のどんな事情を意味しているのか、今後の進み方に関心を寄せていこうと思います。
 問題は、共産党との選挙協力問題や政権を取った時に共産党が閣外協力をする問題もさることながら、私にはもっと根本的に、いつまでも労組依存の選挙なのか、地方組織が弱いままでいいのか、そんなことで政権を取りにいくなどと絵に画いたモチを口にしていいのか、連合さえいつまでも労組だのみではダメだと言っているではないかということと、選挙公約も、街頭演説も、国会質問も、昔の労働者階級闘争を思わせる政府対野党、権力対反権力、強者対弱者、富める者対貧困に苦しむ者という対立構図で、結局自民党(権力)への批判勢力で、国民生活のための建設的な政策提案ができない、(西村さんのような)階級闘争のコピーのような、対立構図の思考停止から脱皮することが緊急の課題だと見ています。
 いっそのこと、立民党がめざすのは、税金は髙いながらも医療費も教育費も無料で、介護も年金も安心して老後を過ごせるスエーデンのような、高福祉・高負担の北欧型社会民主主義国だとでもたまには思い切って言ってみたらどうでしょう。政府自民党のあげ足取りや無能大臣のこきおろし(いじめ)や大臣のスキャンダル追及ばかりが目立つ政局あそびの政党では、国民の支持と信頼は遠のくばかりです。