蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

21世紀のヒットラー

令和4年04月01日
戦なき 日本の春の ありがたさ
二十一世紀になって、世界のあちこちで、一党独裁や軍事独裁や一人の独裁者による人権無視・言論弾圧の強権圧政が目立つようになったと思っていましたら、ロシアというよりもプーチンという一人の独裁者の感情爆発によって、おとなりのウクライナが悲惨な目に遭っていて、国外に避難した国民は約四〇〇万人、民間人の死者数が約一一〇〇人、うち子供が約一二〇人。実際はもっと多いと思われます。まさか二十一世紀になって一〇〇年前のヒットラーの再来を目の当たりにするとは、世界中が思ってもみなかったでしょう。
私はかねてから、人間は、中世から近世へ、近世から近代へ、近代から現代へ、時代を重ねるごとに進歩するという「進化」の考え方は疑わしく、実は今の方が昔よりも知力も体力も人間力も劣化しているのではないかという予感を抱いていました。そのことがプーチンのヒットラーと変らない「力ずくによる現状変更」=ウクライナ侵略によって現実のものとなりました。すなわち、プーチンという人は一〇〇年前のヒットラーの狂気から何も進歩していないということ。敢えて言えば逆に、人間としては「進化」どころか劣化しているということです。
人格攻撃をするつもりはありませんが、プーチン大統領の今の顔は若い頃の凛々しい顔だちとちがってサバンナの狩人ヒョウ・チータ・ライオンなど獰猛で警戒心の強い猛獣にそっくりで、よく見ると前頭葉の部分(ヒタイの上部)がさほど大きくなく、ということは大脳(新)皮質のうちの前頭前野があまり発達しておらず、理性・情動抑制・判断力・創造性などの人間らしい考え方や生き方を司る脳の機能が低く、攻撃的・情動的な「ワニの脳」や狡猾で自分本位の「ネズミの脳」(大脳辺縁系)に支配されているのではないかと思われます。
終ったと思われていた「東西冷戦」はまだ続いていました。ウクライナは地政学的に気の毒な国で、「NATO」(北大西洋条約機構、アメリカとヨーロッパの自由主義陣営(いわゆる西側)の安全保障体制)とプーチン大統領のソ連時代の強国に復活したい大いなる野望との間で難しいかじ取りを迫られていました。旧ソ連の一部だったウクライナはプーチン大統領から見れば当然ロシアに従属すべき国で、「NATO」に近づきひそかにアメリカの軍事力がウクライナに入ることなど許せるはずがありません。しかし、ウクライナのゼレンスキー政権は実際にそのように受け取られるような動きをしていて、プーチン大統領をいらだたせ怒らせていました。それがプーチン大統領の大脳辺縁系を刺激して二十世紀のヒットラーに駆り立てたのです。
それにしても、人間の劣化が表面化したかのように、独裁者が支配する国家が目立つようになった二十一世紀ですが、明らかなことは、いつの時代も独裁者は「裸の王様」で、国内で自分に都合の悪い情報や言論を権力で封殺できても、賢明な国民は黙って逆らわないだけで、心は独裁者から離れているということ、ひとつ間違えば権力の座はあやうく、誰も助けなくなり悲惨な末路が待っているということ。
「ウクライナ侵攻」はプーチンという独裁者一人のために起りました。いかなる理由があったにせよ、「プーチンの戦争」です。ロシアという国は、プーチン一人のために経済的財政的損失は言うに及ばず国際社会における信用を大きく毀損し孤立することになりました。このままいけば早晩、国家財政は破たんし、国債の償還や利払いにも事欠き、ルーブルは下落し、デフォルトが起きるでしょう。
スポーツの世界では、ロシアで開催予定だった国際大会が他国開催になったり、ロシア代表の選手が出場できなくなった国際大会もあります。スポーツのほかでもロシア「NO」がこれから起るでしょう。にもかかわらず、国際社会でロシアの信用・信頼を得るべき職務にある外交官の駐日ロシア大使が、居丈高に独裁者の不条理を代弁して悪びれないのも哀れなもので、立場上でしょうがそこにも権力者におもねり服従する人間の劣化が見て取れます。

NO WAR NO IMPERIALISM

時に、私たちにとってウクライナ問題は他人事ではありません。北海道の根室半島のすぐ東には北方領土の水晶島(歯舞諸島の一つ)があり、野付半島・知床半島のすぐ東には国後(クナシリ)島が入りこんでいます。プーチン大統領は、日本がウクライナ問題で西側諸国と歩調を合せロシアに対して厳しい経済的制裁措置に踏み切ったのに怒り、北方領土返還交渉を含む日露友好条約交渉から一方的に降りてしまいました。
問題は、ロシアが北方領土での軍事訓練にとどまらず国後(クナシリ)島にミサイル基地をつくったらどうなるかです。北海道に米軍基地と自衛隊の精鋭部隊を置かなくてはならなくなるでしょう。その一方で、南の海の尖閣諸島を中国が虎視眈々とねらっています。コロナ・コロナとコロナに気をとられているうちに、北と南で、日本はやっかいな軍事的パワーゲームを強いられることになりました。