蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

君臨すれど統治せず

令和4年06月01日
イギリスのエリザベス二世女王(イギリスのウィンザー朝第4代、全名エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・オブ・ウィンザー)が在位七十年(プラチナ・ジュビリー)になり、六月二日から四日間祝賀行事が行われる。九十六才の長寿だそうでまことにおめでたいかぎりだが、大航海時代から世界の海を制して地球上のあちこちに植民地をつくり、政治も経済も産業も社会制度も思想も言語も芸術も教育も宗教も倫理も、自由と民主主義の名のもとで世界をリードしてきた大英帝国も、この七十年で一気に凋落し、昔の面影もない。この七十年でイギリスが目立ったことと言えば、北アイルランド紛争や、ビートルズのビバプールサウンズや、サッチャー首相や、ダイアナ妃の悲劇、そして最近のEU離脱といったところがせいぜいで、エリザベス女王が、世界中が認めるその品位と信頼の名において、それにふさわしい、人種差別や貧富の格差や環境汚染や紛争地域への和平の呼びかけなど、ダイアナ妃がやったように、何か地球規模の問題に提言を発したり行動を起したり、それらしいことをしたであろうか。それどころか、伝統あるイギリス王室と言えばスキャンダルの連続で、そのたびに世界中に恥をかいた。とくに、チャールズ皇太子の不倫問題に甘く、ダイアナ妃亡きあと、元の恋人カミーラとの復縁を黙認し、あろうことか彼女を皇太子妃として処遇するなど、私たち日本人の倫理観から言えばあり得ないことを認めている。イギリス王室の品位も見識も地に堕ちたものである。
イギリスでは、国王は「君臨すれど統治せず」を伝統とした。フランスのルイ十四世が市民革命でギロチンに掛けられたことに学んで、国王が直接行政・立法・司法その他を統帥するリスクを避けたのだろう。日本の皇室も戦後、イギリス王室に範をとって「君臨すれども統治せず」を規範とした。軍服を着て元帥になった明治・大正・昭和の三代の天皇の統治権を敗戦とともに廃止したものであるが、例外として、ポツダム宣言受諾と玉音放送のご聖断は、昭和天皇に統治権がなかったら不可能で、日本は全土が焦土となり国として存続し得なかったことだけは、歴史の教訓である。
皮肉な見方だが、エリザベス女王のイギリス王室はほんとうに「君臨すれども統治せず」だったか、「君臨」とは語義的には「支配する」ことであるが、ここに言う「君臨」とは国民統合の象徴、すなわち国王への国民の尊敬・敬愛・信頼にもとづき国王のもとに国民が一致できること、具体的に言えば、例えば国民の間に対立や分断が起きた時、国王のもとに対立や分断を解消するというような、二・二六事件の時の昭和天皇のご聖断、御前会議でのポツダム宣言受諾のご聖断、そして全国民がひざまずいて聴いた玉音放送のような、皇室の崇高な権威のことである。しかし失礼ながら、今のエリザベス女王に、今のイギリス王室に、ほんとうの意味の「君臨」はなく、ただ世界一のセレブ、それも結構ふしだらな不倫・恋愛沙汰、さらに人種差別、それらの情報漏えいなど、その品位を疑いたくなる不始末が絶えない世界一のセレブファミリーにしか見えないのだ。
ひるがえって日本の皇室だが、まさに「君臨」し「統治」もした昭和天皇からわずか二代、現在の天皇陛下は「君臨すれど統治せず」はおろか、それどころか「国民に寄り添い、国民と共にある」スタンス。それも一見上流階級のセレブファミリーに見え、そこに昭和天皇のような威厳と権威を感じることはできない。皇室の在り方からすると、あまりに国民目線(戦後民主主義)に気を使い過ぎ、皇室本来の日本古来の歴史と伝統文化(それこそが日本の皇室の品位と権威の源泉)が国民に伝わってこないのである。
そこに、天皇陛下の弟君であり皇嗣の地位にある秋篠宮殿下のご家族に、皇室の伝統を汚し、国民とともにあるどころか、国民の過半数を敵に回し、悪びれることなく、自ら進んで下世話な結婚劇の主演女優を演じ、飛ぶ鳥跡をにごすように皇室からさっさと出て行った皇女様が現れました。平成天皇のもとでお育ちになったお二人のご子息が担う日本の皇室。イギリス王室のような開かれた王室より、閉ざされた皇室でも、昭和天皇のように、国民の尊敬と敬愛と信頼を集めた良き先例がある。「君臨すれども統治せず」とは、決して「国民に寄り添い国民と共にある」ことではなく、平素は宮中の奥深くにおられてもいざという時に天皇のもとで国民が一致団結できる、そういう存在である、という意味である。