蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

安倍元総理の国葬

令和4年08月01日
先月行われた参議院選挙の応援演説中に凶弾に倒れた安倍元総理の国葬について、国民世論は賛成反対の二つに分かれ、「心からの哀悼」「静かにお見送り」「ご苦労様でした」で国民の気持ちが一致しないまま、九月二十七日(火)の当日を迎えることになりそうです。
なぜか。賛成の要因を言うと、その一は安倍元総理の外交実績の数々と日本の国際的地位の向上。その二はアベノミクスによる日本経済の立て直し、とくに株価の改善。その三は歴代総理で最長の七年八カ月という長期政権。その四には岸元総理の孫、佐藤元総理の甥という政界サラブレッドとしての存在感、ですが、決め手となる決定的な事由がありません。なのになぜ国葬か。そこに岸田総理の自民党最大派閥安倍派への配慮という党内事情。安倍元総理がおさえていた自民党を支持する保守層への配慮という政権安定のための苦肉の策がささやかれています。
反対の要因はというと、その一はアベノミクスは国民の実質所得(家計)まで潤さなかったこと。野党に言わせれば経済政策の失敗。その二は官邸主導で霞が関掌握を行った結果、霞が関の官僚が元総理およびその周辺スタッフにまで忖度するようになったこと。すなわち、霞が関に総理やその周辺には都合の悪いことの隠ぺい工作が平気で行われるようになったこと。その三はそれらのなかで起きた「森友学園」「加計学園」問題。さらにその四は「さくらを観る会」。そこに見え隠れした安倍元総理の政治家としての脇の甘さ。それが、政治の世界から失脚するスキャンダルに発展し国会や世間をさわがせたこと。夫人も夫人だったということ。
私は、安倍総理を日本では稀有な、牽引力また外交センスに富んだ政治家として好感をもっていた反面、夫人も含めてどこか脇が甘く、人間的に政治的に一国の宰相の器として評価できないでいました。今回の悲劇も、事件の現場への自らの対応も含め政治家としての危機管理の面で甘くはなかったか、国防に熱心だった人が自分の身の防護に緩みはなかったか、脇の甘さが命取りにならなかったか、そう思えてなりません。
死者に鞭打つことは控えなければなりませんが、安倍元総理の国葬に国民の多くが素直に賛成できない事実は、単に国民の税金で費用をまかなうのはこんな時期にどうかという問題ではなく、岸田総理や自民党の思惑とは裏腹に、意外に安倍元総理に対する国民の評価が本音のところでは低かったことを意味しているのかもしれません。たしかにまだまだ活動的だった元総理へのテロは衝撃的でした。お気の毒以外に言葉をもちません。しかし、国民の大多数が素直に国葬を是とするほど、安倍元総理が国民の誇るこの国のリーダーだったかどうか、今問われているのではないでしょうか。それにしても、警視庁のSP、奈良県警、奈良市警察の警護はずさんでした。テレビ番組でこの筋のOBがコメントした当日あの場であるべきだった警備の方法を聴いて、あまりのちがいに驚きました。銃撃の瞬間、誰一人元総理を伏せさせて守ろうとする警護員がいないとは。コロナ感染問題に対する国や地方自治体の対応のちぐはぐを身近に感ずるにつけ、国民を危急の事態から守るこの国の危機管理の不備を痛感してきましたが、安倍元総理の悲劇はこの国の脆弱で甘い甘い危機管理の象徴です。
最後にいわゆる「統一教会」という「カルト」のことです。私たち伝統宗教に身を置く者は「統一教会」のような反社会性・異常性が顕著な団体を「宗教」団体とは言わず「カルト」と言っています。テレビなどでは「統一教会」を「宗教」団体と言っていますが、「宗教」団体ではなく「カルト」集団です。「カルト」とは、ご存じのように、過激で、異常で、反社会的な活動、とくにその資金の集め方に問題がある、信仰を表看板にした新興集団を言いますが、フランスは「カルト」を見分ける基準として、次の10の基準を決めています。
  1. ①精神の不安定化(不幸・不遇・悲哀・逆境・病気・災いにつけ込む執拗な勧誘)
  2. ②法外な金銭要求(通常の経済観念を越える法外な献金・寄付・上納金)
  3. ③元の生活からの意図的な引き離し(家族親戚縁者・仕事からの引き離し)
  4. ④身体の完全性への侵害(健康被害を無視した活動、あるいは飲食物の強要)
  5. ⑤児童の強制加入(会員・信者の子供の強制的で巧みな導入活動と入会)
  6. ⑥何らかの反社会的言質(社会の公正な秩序に反する言論、宣伝活動)
  7. ⑦公序への侵害(社会の公正な秩序に反する活動)
  8. ⑧多大な司法的訴訟(会員・信者との人権・経済訴訟)
  9. ⑨通常の経済流通経路からの逸脱(霊感商法・詐欺商法、宗教グッズ・アイテムの高額販売)
  10. ⑩公権力への浸透への企て(政権・政党・政治家・高級官僚などへの浸透・癒着)
安倍元総理を襲撃した犯人は、母親の入会にはじまる多額の献金でわが家族を破産・借金・自殺に追い込み、自分にもまた過酷な人生を強いた「統一教会」に恨みをもち、「統一教会」の関連団体の集会にメッセージを送った安倍元総理に恨みの矛先を向け、また安倍元総理と「統一教会」の関係は元総理の祖父の岸元総理にさかのぼり、当時教祖と親交のあった岸氏が日本に紹介した、と報じられています。おそらく、そうした経緯を孫の安倍総理は無下にはできず、「統一教会」のいかがわしさを知りながら別組織の「平和活動」団体の集会だということでメッセージを送ったのでしょう。あるいは自分の選挙の際、山口県の地元で、「統一教会」の会員に選挙ボランティアをやってもらっていたのかもしれませんが、政治家として「カルト」との付き合いは当然自粛すべきでした。安倍元総理だけに、私たち一般国民には知る由もないウラ事情があったのかもしれませんが、反社会的な「カルト」集団には厳しく対処すべきでした。日本を代表する政治家だっただけに惜しまれますが、やはり身の処し方に脇の甘さがあったのではないでしょうか。
ちなみに、私は安倍元総理の国葬には疑問があり、一人静かに九月二十七日は瞑目合掌したいと思っています。国会議員の葬儀は、どんなに高い地位にいた人でも、最後は地元選挙区で、有権者・支持者に見守られて有終の美をかざるのがベストだと思います。