蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

安倍元総理の国葬:岸田総理と一部野党の度量の低さ

令和4年10月01日
去る9月27日、東京九段の日本武道館において、安倍元総理の国葬が、秋篠宮殿下ご夫妻や皇族をはじめ外国首脳を含む国内外の招待者約四〇〇〇人の参列のもと行われました。周辺では一部の野党党首や著名な元ジャーナリスト・弁護士などがマイクを握って「安倍国葬反対」を叫び、一五〇〇〇人からの人たちが式場近辺で街頭デモを行い、全国各地で同じようにデモが行われました。最近の世論調査では、国葬賛成が32%、反対が57%でした。
国民世論が大きく二分されるなか、国民的コンセンサスもなく、岸田総理から国民がおおむね納得する説明もなく、敢えて強行突破されたようなかたちになりましたが、賛否両論のうずまくなか、反対デモは最後には感情的になり、本葬儀が政治化されてしまい、迷惑し哀れだったのは安倍元総理の御霊でした。
岸田総理が、自分自身の政権安定のために、安倍元総理をトップとする右寄りの自民党国会議員および支持者に忖度し、国費で行う国葬なのに野党の内々の承諾も得ず、国権の最高機関たる国会にも諮らず、あせって早々と「国葬儀」を閣議決定したことがまちがいのはじまりで、国葬の日が安倍元総理の死から二ヵ月半もあとだったことも災いしました。そもそも、いくら選挙応援中に銃弾に倒れたと言っても、総理たる者一度冷静になって、中曽根元総理など歴代総理の時と同じく内閣と自民党の合同葬にしておけば、国論を二分して政治化するようなことにならなかったはずで、野党の人たちも参列しやすかったはずです。つまりは、岸田総理の政権延命のために安倍元総理の葬儀が利用されたようなもので、国葬にかかった十六億からの費用は国庫から支出せず岸田総理個人が負担すべきだと言いたくもなります。いずれにしても安倍元総理の国葬は岸田総理の政治家としての度量のなさを露呈しました。
政治家の度量のなさと言えば、総理大臣経験者でありながら国葬を欠席した鳩山由紀夫・菅直人両元総理。同じ党の野田佳彦元総理が言った「総理大臣経験者として国葬に欠席するのは私の人生観にはない」という名言を肝に銘じるべきでしょう。さらに安倍元総理の国葬をライバルの非業の死を悼み冥福を祈る表舞台と咀嚼するどころか、ことさら政治化し当日欠席した立憲民主党役員ならびに国会議員、共産党、社民党、れいわの代表と国会議員。ことに国葬当日に街頭に立ちあるいはデモのなかに立って「国葬反対」を叫んでいた野党代表の人たち。私も国葬には賛成できませんでしたが、せめて国葬当日くらいは武士の情け、静かに自宅で式場の「黙祷」に合わせ瞑目合掌しているべきでした。人の葬儀を政治化するのはゲスというものです。人の命の尊厳に敬虔でいられない人が憲法九条を守れとは、自己矛盾です。