蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

ゴールデンウィーク・憲法記念日・広島サミット・イギリス国王戴冠式

令和5年05月01日
ゴールデンウィークもはじまり、コロナで我慢を強いられていた分、高速道路や観光地周辺の道路は車・車・車、新幹線・旅客機・観光地・イベント会場は人・人・人になるでしょう。大自然のなかや旅先で英気を養うのはけっこうなことですが、どうかただの物見遊山、お金の浪費、ガソリンのムダ使いなどで終らないよう願いたいものです。
すなわち、ゴールデンウィークはなぜ国民の休日なのか、ただ出かけて遊びを楽しむためなのか。理屈をこねれば、四月二十九日は以前の天皇誕生日(現在は「みどりの日」から「昭和の日」)で、国民が昭和天皇の誕生日を祝い安穏長寿を祈る祝祷の日。国民とともにある天皇(皇室)を祝う日。五月三日は憲法記念日で、戦後の民主憲法発布の日。戦後日本の国として国民としての在りようをふり返り、現行憲法の基本精神や法的評価を主権者たる国民がチェックする日。五月五日はこどもの日で、五月人形(武者人形・兜など)をかざり鯉のぼりを立て、男の子の健やかな無事成長を祈る「端午の節句」(三月三日(「上巳の節句」「ひな祭り」)は、女の子の桃の節句)。「端午の節句」も「ひな祭り」も中国伝来の「五節句」の一つです。
以上を省みれば、ゴールデンウィークは遊び半分の物見遊山・お金の浪費・ガソリンのムダ使いでいいのか、国民の休日のもともとの意味すら知らず遊び呆けていていいのか、ほんとうの遊びとは、無目的に遊興三昧するのではなく、例えば、鯉のぼりを立ててチマキをみんなで食べるといった、古き良き日本の伝統を味わうことなのですが・・・。「柱のきずはおととしの 五月五日の背くらべ 粽(チマキ)食べ食べ兄さんが 計ってくれた背の丈(たけ)~」(童謡「背くらべ」)です。
憲法記念日ですが、今年も改憲派・護憲派がセレモニー化した集会を開催し、片や「自主憲法制定」「自衛隊を憲法に明記せよ」、片や「憲法改悪反対」「戦争反対」「九条改悪反対」「自衛隊違憲」を叫ぶのでしょう。左右対立のこうした不毛の論議に国民はとっくに愛想が尽きていますが、やっと国会で憲法論議の場が稼働したと思ったら、野党の某議員が衆議院の憲法審査会が毎週開催されることを「猿がやることだ」「蛮族の行為で野蛮だ」などと批判し騒ぎになりました。いつになったら、昭和二十年の敗戦国日本に占領軍(アメリカ主導の戦勝国軍)が強制した日本國憲法の、七十年後の日本にふさわしい法理論と政治情勢にもとづく冷静な議論ができないのでしょう。憲法というと、直情的・条件反射的にすぐ「九条改悪反対」「戦争反対」「自衛隊違憲」を口にし、理性的な議論にうしろ向きな人たちを見ると、そもそもが憲法学や政治学や国家論や国際情勢や軍事知識に自信がなかったり無知だったりするのではないかと勘ぐりたくなります。
五月十九日から二十一日まで、広島市で第四十九回先進国首脳会議(広島サミット、G7)が行われます。サミットはもともと、世界の経済を牽引する日本・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダの先進七カ国が、主に世界経済・貿易・国際金融などの問題について議論し調整する会議でしたが、ソ連のアフガニスタン侵攻や9・11(イスラム過激組織アルカーイダによるアメリカ同時多発テロ)を機に、ロシア・中国・イラン・シリア・キューバ・北朝鮮などの反西側陣営との政治的対立の問題を議論・調整する場にもなりました。
今回のサミットのホストであり議長をつとめる岸田総理の強い意向で、総理の郷里であり選挙区である広島で開催されることになり、ヒロシマらしく核兵器廃絶の問題を主要議題にするようですが、サミットに集まる七カ国のうち核兵器保有国の首脳が本気で真剣に核廃絶を議論するのか甚だ疑問で、被爆地ヒロシマ・ナガサキや岸田総理へのリップサービスで済ませられたり、「平和記念資料館」を見学して原爆のむごたらしさや被爆地ヒロシマの悲惨さを知った・学んだで終ったりしないように願っています。
時にドイツはすでに脱原発を国是としました。フクシマの原発事故であわや首都東京を含む東日本全体が放射性物質によって汚染され、人間も海も野も山も町も村も壊滅する寸前の危機を経験し、「ノーモア原発」「原発はもう要らない」が国民的コンセンサスになっていた日本も、当然脱原発を国是とし、太陽光・風力・地熱・バイオなどのクリーンエネルギー発電に移行するものだと思っていた矢先、岸田内閣はこれに逆行するかのように、原発維持・新しい原発推進に舵を切りました。この脱核エネルギーに逆行する姿勢の岸田総理が広島サミットで核廃絶の議論を要請したところで、七カ国の首脳はまじめに議論するでしょうか。
二十一世紀は、人間が核兵器や原子力発電など核エネルギーに依存することを卒業する時代にならなければなりません。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと三回も放射能汚染の経験をした日本、世界で唯一の核被爆国の日本は、その先頭に立つべきです。岸田総理にその覚悟があるか、説得力があるか、指導力があるか、WBCで大谷選手が見せたあのみごとなリーダーシップを同じ日本人として見習うべきです。彼が決勝のアメリカ戦を前にロッカールームで皆に言った「メジャーの選手にあこがれを持ったら彼らを超えられないので、ぼくらはトップになるために来たのだから、きょう一日だけは彼らへのあこがれを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。さあ、行こう」の激は名言でした。岸田総理も「きょうはヒロシマ・ナガサキの被爆者と、フクシマで強制避難を経験した国民に代り、またかけがえのない地球を守るべき一人として、また心ある人類の一人として、皆さんに訴えます、核兵器を早く捨てましょう、原子力発電を早く止めましょう、核エネルギーへの依存を早く克服することを考えましょう」くらい言えないものでしょうか。
蛇足ながら、五月六日にはチャールズ国王(イギリス)の戴冠式があります。日本からは天皇陛下のご名代として「皇嗣」の秋篠宮様ご夫妻が参列されますが、これに対して意外にも厳しい反応があると一部マスコミは伝えています。理由は小室問題だけではなさそうですが、チャールズ嫌いの私などは逆に、秋篠宮様さえ行く必要はなく宮内庁長官でいいとさえ思います。私は、ダイアナ妃亡きあと、さっさと元カノのカミラと再婚し、それをまたエリザベス女王が認め、公式に皇太子妃にしたことに、ダイアナに味方する一人として痛烈な怒りと不道徳感をおぼえているからです。
私の目には、イギリス王室ほど男女間のふしだらさが目立つ王室はなく、その象徴がチャールズでした。女王陛下を母にもち、幼少期から実質的に母のいない環境にあって、健全な人格形成ができなかったのかもしれませんが、彼がカミラとの関係を切らず、ダイアナに負わせた心の傷と犯した背徳は、人として低俗に類するもので、皇太子の地位はく奪に値し、当然国王になるような話ではありません。そのようなチャールズが戴冠式を迎えて正式に国王になり、自分が坐るはずだった王妃の座にカミラが坐ることなど、地下に眠るダイアナが許すでしょうか。七十四才の戴冠式、普通ならもう国王を退位する年令です。ただ猿面の老人にしか見えないのは私だけでしょうか。