蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

テレビが本質にふれない問題

令和5年07月01日
 この頃、社会を騒がせている問題でテレビの報道番組が問題の本質にふれない不思議を感じています。その一つは男女共同参画・女性活躍問題、その二はLGBT問題、その三が猿之助問題、その四がコロナ感染の五類移行、その五がマイナンバーカード問題、挙げれば切りがありませんが私の感じている不思議を述べてみたいと思います。
 まず第一の男女共同参画問題ですが、先日栃木県日光市でG7の「日光男女共同参画・女性活躍担当大臣会合」が行われましたが、この問題は職場や職能チームや国・地方の組織や国会・地方議会や内閣や大学や研究所等々での女性の数が欧米と比べて圧倒的に少ないことが問題なのですが、その本質はそうした外形的・数字的なことではなく、戦後の日本は民主主義・男女平等をかかげながら、まだ男主女従・男尊女卑・嫁姑の問題が日本人の深層心理にあって、欧米のような洗練された男女平等文化やレディーファーストのマナーが成熟していないこと、それが結局仕事を持つ女性と結婚した夫の家庭での在り方に現われ、亭主関白のような「おーいお茶」「めし・風呂・寝る」に、奥さんまかせの家計・掃除・洗濯・家の中の整理整頓・ゴミ出し、育児・家庭教育・進学・学校教育、無理してマイカーを買い、飲んで遊んでムダ使いし、その挙げ句に奥さんに家計や子供の教育費負担をさせ、いざとなると「嫁」扱い。家庭の中に男女共同参画環境がないのに、日本の社会が男女共同参画・女性活躍社会になるわけがありません。テレビの報道番組でその道の専門家とされる有識者がもっともなことを述べていますが、誰一人として戦後日本に欧米のような成熟した男女同権文化が確立していないことを言う人はいません。まだ高校に男子校・女子高があり、女子大があるのが不思議です。
 第二のLGBT問題ですが、この問題も同性婚を法律で認めるかどうかという差別や法制上の問題が本質なのではなく、根源的には生物の世界はほぼオス(雄)とメス(雌)から成り立っていて、身体をはじめとする生命活動に自ずから男女の区別があり、とくに子孫を残す生殖活動はメス(雌)の役割になっています。その重い負担を少しでも助けるため、オス(雄)は食(食物)を確保し、子を育てる巣(家)を作り、敵からメス(雌)と子を守ります。巢(家)の外で働くのはオス(雄)の役割です。『旧約聖書』の創世記は、アダムとその妻イブを人類の始祖として教えました。人類は男と女で成り立っている、これが性差別問題や性的マイノリティ問題の本質ですが、テレビの報道番組はなぜかLGBT問題でアダムとイブを言いません。
 第三の猿之助問題ですが、この問題は外形的には猿之助のパワハラ・セクハラ問題で、報じられているところによれば、日本の伝統文化の担い手である有名な歌舞伎役者が、世間的には通じない異常なパワハラ・セクハラ問題を起し、名門「澤瀉屋」の家名を傷つけ、猿之助という伝統ある芸名にドロを塗ったことを週刊誌が報じ、それを苦に一家心中を図ったという問題。ここにも男と女の混然問題が見え隠れしますが、テレビの報道番組は猿之助の犯罪行為の有無ばかり問題にしていて、警察発表がないためか本質的問題にふれません。
 第四のコロナ感染の五類移行ですが、沖縄で再び感染拡大がはじまり、医療機関は五類による対応に追われて苦慮しているとのことです。二類の時は、国が国・地方の関係機関や施設を督励し、限られた医療機関がひっ迫を繰り返しながら凌いできましたが、五類では原則としてどの医療機関も季節性インフルエンザと同じく患者を受け入れなければなりません。この問題の本質は、コロナ禍に見舞われていた過去三年、コロナ患者を受け入れなかった医療機関が多くあって、まじめに対応していた医療機関の医師や看護師ほかのスタッフが寝る時間もない異常な勤務を強いられていたにもかかわらず、一方でコロナとはまったく関係なく、同じ医師や看護師たちが寝る時間もなく、疲労困憊のなか緊急対応に追われているのを他人事のように傍観していた医療従事者が相当にいたということです。さまざまな経緯があったとは思いますが、テレビの報道番組はそれを言いませんでした。
 第五のマイナンバーカード問題ですが、消えた年金問題、国・地方のコロナ対応、そしてまたいつか来た道で、またぞろマイナンバーカード問題。外形的には保険証などの個人情報をデジタル技術でマイナンバーカードに一元化する政策ですが、それがやってみるとアナログで笑える問題が続出し、あれこれとうまく稼働せず、岸田政権の支持率急落の原因にまでなっている問題。この本質は、消えた年金問題、後手後手だったコロナ対応と同様、政府(総理官邸)が決めた政策を着実に国民に定着させるノウハウと準備と実務能力が霞が関の役所にないということ。これもテレビの報道番組は報じません。
 こんな愚痴を並べて何が言いたいか。毎日のように集中豪雨による河川の氾濫や家屋浸水や土砂崩れや道路冠水の被害が伝えられていますが、各市町村に大規模緊急避難施設を数ヵ所ずつ作るとか、道路の側溝を今の三倍の広さと深さに替えるとか、氾濫しやすい河川の川床をもっと深掘りするとか、護岸強化工事をするとか、新たな支流を整備するとか、自治会単位の自主防災体制を推進するとか、この国の温暖化現象・異常気象対策はやるべきことが山ほどあるのに、それが選挙公約になったことはありません。この国の政党にはそうした政策立案能力もなく、政府にはその政策実行能力もなく、霞が関のお役所には政策提案能力もないのだろうということ。
 災害対策でさえそうで、日本がウクライナのようになった時、私たち国民はいったい守られるのでしょうか。岸田政権は核エネルギー依存からの脱却に逆行し、休止中の原子力発電の再稼働にも前向きですが、再び放射性物質汚染事故が起きた時どうするのでしょう。原発の町に核シェルターもなく、隣の北朝鮮が核開発に躍起になっているというのに、私たちの町にも核シェルターはありません。水害から核汚染に至るまで、この国にはいざという時に国民の生命を守るインフラがまったくないのです。国民不在、国民置き去り国家、これが国民主権は建前だけの民主主義ニッポンの本質です。男女平等・男女共同は建前だけの、依然として男主女従の家庭と同じです。