蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

祇園祭と五山の送り火

令和5年08月01日
 七月の京都は祇園祭、八月は五山の送り火(大文字焼き)。祇園祭は、八坂神社の牛頭天王(ごずてんのう)に疫病の防除を祈る京都町衆の祭。五山の送り火は、お盆でわが家に帰っていた先祖の霊をあの世に送るお盆行事。現在では夏の京都に観光客があふれるイベントと化していますが、もともとはいずれも厳粛な神事・仏事です。
 牛頭天王は、八坂神社(主祭神:スサノオノミコト)の祇園社に祀られている除疫の神で、神仏習合で薬師如来の垂迹(すいじゃく、化身)です。元来は疫病を流行させる荒魂(あらたま)で、非常に霊力が強いのですが、お聖天(歓喜天)様の信仰と同じく、これを丁重に敬い、慇懃に祀り、信じれば、逆に疫病を防除すると信じられました。
 伝説によれば、牛頭天王は当初武塔神(むとうしん)と言われ、北海の神で、南の海に妻を求めて行った際、巨旦(こたん)将来・蘇民(そみん)将来という名の兄弟に出会い、弟で裕福な巨旦に一夜の宿を願い出たところがすげなく断られ、代って兄で貧しい蘇民が粗末ながらも心をこめて宿泊させたところ、武塔神がのちにまた将来兄弟のところに来て、兄の蘇民へのお礼として娘の首に「茅の輪」をかけ、弟の巨旦の方は一族を皆殺しにし、自分はスサノオノミコトであり、今後はこの「茅の輪」を首にかけていれば疫病が退散すると告げたと言われています。スサノオノミコトとは後世の付会で、暴虐ながら正義感が強い主祭神スサノオの神威力を牛頭天王に重ねたものと思われます。
 祇園祭の山鉾を持つ町内では、会所に御守などの授与品やお灯明のロウソクや厄除「ちまき」をそろえ、浴衣姿の女の子たちが声をそろえて「○○のお守りはこれより出ます。常は出ません今晩かぎり。ご信心のおん方さまは受けてお帰りなされましょう。ロウソク一丁、献じられましょう。ロウソク、どうですかー、ちまき、どうですかー」とわらべ歌を歌い、見物客に厄除縁起物の購入を勧めますが、厄除「ちまき」に付けられた護符には「蘇民将来之子孫也」とかならず表示されています。「ちまき」は「茅巻き」で、餅を茅がやの葉で巻いたもの。蘇民が一夜の宿で牛頭天王に供した粗末な食べ物であり、もともとは疫病を流行させる神だった牛頭天王(荒魂)を鎮め、逆に疫病を防ぎ除く神に変身させた食べものです。その意味で、武塔神が蘇民の娘の首にかけた「茅の輪」は「茅巻き」と同義です。
 祇園祭は疫病除けの祭ですが、京の都には平安京の時代から疫病が流行する原因は怨霊のタタリで、怨霊を鎮め(魂鎮め)て御霊(ごりょう)とし、これを祀り奉じて怨霊のタタリ、すなわち疫病の流行を防ぐ信仰が続いてきました。いわゆる御霊信仰です。
 その最初は貞観五年(八六三)に行われた神泉苑での御霊会で、祀られた御霊は①早良親王(桓武天皇の弟)・②伊予親王(桓武天皇の皇子)・③その母吉子(桓武天皇の第二夫人)・④橘逸勢(平安時代の朝廷官僚、空海と同じ船で渡唐、日本三筆の一人)・⑤文屋宮田麻呂(平安時代の朝廷官僚)・⑥藤原広嗣(同)と伝えられています(六所御霊)。このほかに、吉備真備と火雷天神(菅原道真)を加えた「八所御霊」もありますが、①の早良親王が幽閉された乙訓寺は、桓武天皇の次の次を継いだ嵯峨天皇が空海を別当に任じて早良の怨霊を鎮めたほか、②の伊予親王は空海の叔父である阿刀大足が侍講(家庭教師)を勤めていて、空海とは近しい関係にあり、空海はこの伊予とその母藤原吉子の怨霊も鎮めました。また④の橘逸勢は空海と同じく第十六次遣唐使船で唐に渡り長安で学んだ留学生仲間で、その怨霊を鎮めたのも空海にちがいありません。
 このように怨霊鎮めの御霊会は当初宮中行事でしたが、次第に東寺・西寺における仏事となり、やがてこの祇園祭のように町衆による神仏習合の祭礼に替ってきました。
 五山の送り火は、東山如意ヶ嶽の「大(文字)」、松ヶ崎万灯籠山・大黒天山の「妙」「法」、西賀茂船山の「船形」、鷹峯大文字山の「(左)大(文字)」、嵯峨鳥居本曼荼羅山の「鳥居」で、私には「大(文字)」は弘法大師の「大」、「妙」「法」は『妙法蓮華経』の「妙法」、「船形」は先祖をあの世に送る渡し船(海上他界)、「(左)大(文字)」は大日如来、「鳥居」は先祖が帰るあの世の入口、すなわちこの世との結界を意味し、「大(文字)」「(左)大(文字)」は真言宗、「妙」「法」は天台宗、「船形」「鳥居」は日本独自の他界信仰で、そこに真言・天台の両密教と密教ならではの神仏習合が感じられます。
 というのも、それぞれの点火場所には火床や点火台が設けられていて、精霊送りの八月十六日、午後八時、如意ヶ嶽の「大(文字)」に先ず点火され、「妙」「法」、「船形」、「(左)大(文字)」、「鳥居」と順に火が上がるのですが、「鳥居」以外は松などを割った木材をキャンプファイヤーのように井桁に組み上げ、それに点火します。明らかに密教の護摩法です。私は、五山の送り火が密教の護摩法だと言う識者を今まで聞いたことがないのですが、如意ヶ嶽に上ってみると、「大(文字)」の一番上の火床の上部に何と弘法大師を祀る祠があります。「大(文字)」の火は、この弘法大師を祀る祠の前での法要にはじまり、弘法大師に灯された灯明から採火されるのです。さらには、麓の浄土院(銀閣寺の左隣り、浄土宗)近くでは、弘法大師と書かれた提灯を仮説のテントに掲げ、護摩木(細い添え木)を販売しています。まさに如意ヶ嶽の「大(文字)」は弘法大師を本尊とする壮大な護摩法で、「妙」「法」も「船形」も「(左)大(文字)」もそれに同じです。すなわち、古い都京都のお盆は、弘法大師が見守るなかでの護摩法の火を最初に、五山に灯された送り火で先祖をあの世に送る仏事です。
 お盆にちなんで蛇足ながら、仙台や平塚の商店街で有名になった七月七日の「七夕(たなばた)」は、今は「機織りの少女織姫(おりひめ)と牛飼いの牛郎(牽牛(けんぎゅう))」との一年に一度の逢瀬を祝う中国の伝説がもとになっていますが、本来は「棚幡(たなばた)」で、「棚」とは盆棚(お盆の精霊棚)、「幡(はた)」は五色の幡、すなわち密教で言う五如来(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)を表わす五色幡です。それからこの時季家族で楽しむ花火も本来は先祖を迎える迎え火で、花火大会はその地域みんなでわが家に帰った先祖たちを喜ばせるための歓迎行事。さらに盆踊りはもともと念仏踊りですが、読んで字の如く、お盆に先祖を迎えた喜びを地域ぐるみで楽しむ団らん行事です。徳島の阿波踊りも、郡上八幡の郡上踊りも、越中八尾のおわら風の盆も、そういう意味では本来観光踊りでもなく、地域イベントでもなく、先祖とともに楽しむ先祖供養の盆踊りです。