今年の流行語大賞、今年の一字
令和6年12月20日
今年の流行語大賞は「ふてほど」。
後期高齢者でこの頃はテレビドラマなど全く見ない私には、何のことだかさっぱりわかりませんでした。「不適切にもほどがある!」というドラマのタイトル短縮語だそうですが、はたして今年一年国民の多くが共有した流行語だったでしょうか。「ケイタイ」だとか「スマホ」だとか「デジカメ」だとか「パソコン」だとか「ネトウヨ」だとか「コンビニ」だとか「ファミマ」だとか「スタバ」だとか「就活」だとか「さとふる」だとか「メタボ」だとか「めっちゃ」だとか、さらには隠語のような若者言葉、その流行には、ラインという短文情報感染症による言語能力すなわち知能の低下がひそんでいます。NHKテレビが毎週日曜日の大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部が越前和紙に「源氏物語」を筆書きするシーンや和歌を詠むシーンをよく流していましたが、長文の物語や短文の和歌を紙に筆で書くアナログ文化を通して、現代の日本人の短文依存症、言語力・知能低下による軽薄短小、大脳皮質の劣化に警告を鳴らしているように見えました。
京都では、清水寺の貫主が恒例の今年の一文字を「金」と大書しました。金メダルと裏金問題をかけて「金」だそうですが、何だか薄っぺらな感じがします。仏教寺院の年末俗事だとしても、一般公募の結果を発表するのではなく、日本を代表する清水寺らしく、仏教僧らしいトンチの効いたコトバを選んで独自の発表ができないものでしょうか。寺院・僧侶が発信する字やコトバが人々を納得させるいい機会なのに、清水寺の貫主はただひとが選んだ一文字を墨書するだけ。安易です。
後期高齢者でこの頃はテレビドラマなど全く見ない私には、何のことだかさっぱりわかりませんでした。「不適切にもほどがある!」というドラマのタイトル短縮語だそうですが、はたして今年一年国民の多くが共有した流行語だったでしょうか。「ケイタイ」だとか「スマホ」だとか「デジカメ」だとか「パソコン」だとか「ネトウヨ」だとか「コンビニ」だとか「ファミマ」だとか「スタバ」だとか「就活」だとか「さとふる」だとか「メタボ」だとか「めっちゃ」だとか、さらには隠語のような若者言葉、その流行には、ラインという短文情報感染症による言語能力すなわち知能の低下がひそんでいます。NHKテレビが毎週日曜日の大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部が越前和紙に「源氏物語」を筆書きするシーンや和歌を詠むシーンをよく流していましたが、長文の物語や短文の和歌を紙に筆で書くアナログ文化を通して、現代の日本人の短文依存症、言語力・知能低下による軽薄短小、大脳皮質の劣化に警告を鳴らしているように見えました。
京都では、清水寺の貫主が恒例の今年の一文字を「金」と大書しました。金メダルと裏金問題をかけて「金」だそうですが、何だか薄っぺらな感じがします。仏教寺院の年末俗事だとしても、一般公募の結果を発表するのではなく、日本を代表する清水寺らしく、仏教僧らしいトンチの効いたコトバを選んで独自の発表ができないものでしょうか。寺院・僧侶が発信する字やコトバが人々を納得させるいい機会なのに、清水寺の貫主はただひとが選んだ一文字を墨書するだけ。安易です。
私が選んだ今年の流行語大賞は「SNS」、今年の一字は「翔」です。
「SNS」は今後、選挙のたびに大きな問題になるでしょう。「X」(元Twitter)「LINE」「facabook」「YouTube」といったソーシャル・ネットワーク・システムがあっという間に選挙情報戦(いわゆる空中戦)の主役となり、これを巧みに用いれば無名の新人候補が数日で支持率を上げ、売名的な泡沫候補までが当選をする可能性が指摘されています。
東京都知事選・衆議院選・兵庫県知事選で、バーチャル空間において「SNS」による「扇動」が行われ、それを若い無党派の有権者が信じ込み、リアルな現実空間で投票行動に発展しました。ひとたびネット上の「扇動」に乗ってしまった有権者は、集団心理という一時的な興奮状態になり、まるで過激な宗教団体の信者のように心が一辺倒に固まります。彼らはスマホ片手に新興宗教の信者のようになり、「SNS」情報に埋没し、人生ではじめて感じた政治的興奮に快感をおぼえ、それに酔うのが新鮮なのです。コトバ・思考よりも感情が先に上すべりする「SNS」依存症・「SNS」中毒症の病理で、政策など関係なく、気に入った候補者の当選だけが目的になります。
この「SNS」、イーロン・マスクの「STARLINK」も他国の大統領・総理大臣選挙に悪用されるのは時間の問題で、ネット空間の巧妙な使用の前に公職選挙法など何の役にも立ちません。街頭演説や政策チラシ(法定)もほとんど意味がなくなります。「SNS」がそれを使える候補者を有利にし、政策などそっちのけで大衆扇動の武器と化します。今年はその幕開けの年でした。どぶ板選挙などという言葉が死語になる日がもうそこに来ています。四月に行われた韓国の国会議員選挙での野党の圧勝や、今回の大統領弾劾のために、仕事もせず学校にも行かず、連日国会前に集結して坐り込み拳を挙げてシュプレヒコールをくり返している人たちの背後にも、どこかの国から「SNS」が飛んできていることは想像に難くありません。
「翔」は言うまでもなく大谷翔平選手の「翔」です。今年はバッターだけのシーズンでしたが、名前の通り大きくはばたいて、立派な成績を残しました。野球選手として、スポーツアスリートとして、私たち日本人の誇りとなりましたが、彼はそればかりか、その人間性、とりわけ日本的な謙虚さや責任感や礼儀正しさで、ドジャース首脳陣や選手やスタッフをはじめ多くのアメリカ人が認めるところとなりました。アメリカ人がはじめて日本人を心からリスペクトしたのです。おおげさに言えば、太平洋戦争が残した日米のわだかまりがやっと溶解しはじめたのです。歴代の総理大臣も外務大臣も日米大使もトランプや安倍元総理もできなかったことを、大谷選手はやってのけたのです。
「SNS」は今後、選挙のたびに大きな問題になるでしょう。「X」(元Twitter)「LINE」「facabook」「YouTube」といったソーシャル・ネットワーク・システムがあっという間に選挙情報戦(いわゆる空中戦)の主役となり、これを巧みに用いれば無名の新人候補が数日で支持率を上げ、売名的な泡沫候補までが当選をする可能性が指摘されています。
東京都知事選・衆議院選・兵庫県知事選で、バーチャル空間において「SNS」による「扇動」が行われ、それを若い無党派の有権者が信じ込み、リアルな現実空間で投票行動に発展しました。ひとたびネット上の「扇動」に乗ってしまった有権者は、集団心理という一時的な興奮状態になり、まるで過激な宗教団体の信者のように心が一辺倒に固まります。彼らはスマホ片手に新興宗教の信者のようになり、「SNS」情報に埋没し、人生ではじめて感じた政治的興奮に快感をおぼえ、それに酔うのが新鮮なのです。コトバ・思考よりも感情が先に上すべりする「SNS」依存症・「SNS」中毒症の病理で、政策など関係なく、気に入った候補者の当選だけが目的になります。
この「SNS」、イーロン・マスクの「STARLINK」も他国の大統領・総理大臣選挙に悪用されるのは時間の問題で、ネット空間の巧妙な使用の前に公職選挙法など何の役にも立ちません。街頭演説や政策チラシ(法定)もほとんど意味がなくなります。「SNS」がそれを使える候補者を有利にし、政策などそっちのけで大衆扇動の武器と化します。今年はその幕開けの年でした。どぶ板選挙などという言葉が死語になる日がもうそこに来ています。四月に行われた韓国の国会議員選挙での野党の圧勝や、今回の大統領弾劾のために、仕事もせず学校にも行かず、連日国会前に集結して坐り込み拳を挙げてシュプレヒコールをくり返している人たちの背後にも、どこかの国から「SNS」が飛んできていることは想像に難くありません。
「翔」は言うまでもなく大谷翔平選手の「翔」です。今年はバッターだけのシーズンでしたが、名前の通り大きくはばたいて、立派な成績を残しました。野球選手として、スポーツアスリートとして、私たち日本人の誇りとなりましたが、彼はそればかりか、その人間性、とりわけ日本的な謙虚さや責任感や礼儀正しさで、ドジャース首脳陣や選手やスタッフをはじめ多くのアメリカ人が認めるところとなりました。アメリカ人がはじめて日本人を心からリスペクトしたのです。おおげさに言えば、太平洋戦争が残した日米のわだかまりがやっと溶解しはじめたのです。歴代の総理大臣も外務大臣も日米大使もトランプや安倍元総理もできなかったことを、大谷選手はやってのけたのです。
海外では、独裁者の横暴が目立つ一年でした。ウクライナ・パレスチナ・レバノン・シリア、そしてまたまた揺らぐ大衆ファッショの国韓国、さらには台湾有事。日本は、ロシア・中国・北朝鮮・韓国と対峙するオホーツク海・日本海・東シナ海の海と空を守る防衛力整備が急がれる時に、降ってわいたような一〇三万円の壁の問題で、いくらお金があっても間に合いません。国の借金は増えるばかりで、そのつけは誰が払うのでしょう。能登半島は一年が経つというのにまったく片づきません。大きな復興資金が必要です。さて来年はどうなるか。一心祈願世界平和、一心祈願国家安穏。