蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成15年(2003)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
一心祈願
金融再生 経済再生 産業再生 企業再生
財政再建 地方再生 環境再生 資源再生
学校再生 家庭再生 地域再生 社会再生
勤勉や節約や、倫理道徳や公徳心や
伝統文化や純朴な子供は、今どこに
「再生」とは「日本」を取り戻すこと
年頭にあたり、皆様のご多幸をお祈りいたします
●門松は 右肩上げて 飾りたし(弘隆坊)
「平成」の世も15年になりました。「平成」とは「平らかに成る」。何ごとも平穏にうまくゆくはずでしたが、平成になってからこの国はおかしくなりました。「おごれる者は久しからず」とは『平家物語』の冒頭にある言葉ですが、経済大国から借金大国に転落。国家再生の緊急時となりました。いっそのこと「平成」という元号をやめて「再生」としたらいかがでしょう。経済ばかりでなく、家庭も学校も、地域も社会全体も、また私たち日本人の心も。
●年男年女(未年生れ)。
長所 気品よし、哀れみ深い、従順型、一芸一能にすぐれ、人に好かれる。
短所 内気小心、多感多情、執着心が強く、愚痴も多い、他人のことばに迷いやすい。
守り本尊 大日如来。
ご真言  オン バザラダト バン。
●「再生」に効く、「大師まつり」の「心のお薬」
病気をお持ちの方、不安や悩みをお持ちの方、お大師様(弘法大師)から「心のお薬」をいただける「大師まつり」にご参加ください。
○「心のお薬」1 お砂踏み(四国八十八ヶ所の簡易なお遍路)(5月予定)。
○「心のお薬」2 やすらぎ寄席(落語・大喜利ほか)(10月予定)。
○「心のお薬」3 万灯会(世界平和を祈る万灯・護摩祈願)(10月予定)。
●昨年11月の「大師まつり」で、
四国八十八ヵ所を2時間で巡拝できる「お砂踏み」を行いました。お大師さまから「心のお薬」をいただき、心に万灯が。心地よい疲れの結願でした。
●同じく「大師まつり」で、
関西のお笑い桂文福一座を招き「やすらぎ寄席」を開催しました。笑う門には福来る。一心祈願「除災笑福」。
●同じく「万灯会」で、
参道や境内に並べた100個のボンボリと本堂の100個の灯篭に明かりをつけ、護摩を焚いて世界平和を祈りました。
●なぜ、今空海なのか。
これは昨年夏出版された『『空海の風景』を旅する』(NHK出版)の第一章のタイトル。かずかずの作品を通じ「この国のかたち」を書きつづけた作家の司馬遼太郎さんが、弘法大師空海をとりあげて何を言おうとしたのか、という問い。
 司馬さんは「空海は、ながい日本歴史のなかで、国家や民族という瑣々(ささ)たる特殊性から脱けだして、人間もしくは人類という普遍的世界に入りえた数少ないひとりであったといえる」と言います(『空海の風景』)。テロと報復の時代、国家や民族や宗教対立のにくしみ合いを超えられない今、空海の密教が示した宇宙大の普遍的な視座こそ「今」なのでしょう。
 住職が事務局長を務める密教21フォーラムでは、空海とその密教のすべてを画像と音声によって連想リンクで紹介をするデジタルアーカイブの「試作版」をビデオとCD(パソコン用)で制作。こちらは、マルチメディアを着て現代によみがえる空海。これも、なぜ、今、空海なのか、「再生」の試みです。
●キライダ
1、食堂やレストランで、大きな声で笑いしゃべりまくる、関西(弁)のオバちゃん。
2、食堂やレストランで、帽子もとらず食べている中高年。家でもそうなのですか。
3、新幹線のなかで、会社の仕事のことをまわりに聞こえる声で延々と議論している上司と部下。
4、新幹線のなかで、ノートパソコンのキーをパチャパチャと、音を立ててまわりも気にせず打っているビジネスマン。
●アブナイ
1、ブッシュ大統領。独裁国家。テロを奨励する宗教。
2、地球温暖化。クローン人間。薬物。
3、幼児虐待。中高生の顔・髪・服装・言葉の乱れ。

■春号より■

●春、また血の歴史
ユダヤ人を憎むパレスチナ人
パレスチナ人を憎むユダヤ人
ブッシュを憎むフセイン
フセインを憎むブッシュ
やられたらやりかえす
終りのない血で血を洗う歴史
一神教のキリスト教やイスラム教とちがい
多神多仏の仏教は血の臭いのない平和主義
●日本はもちろん世界の経済が冷え込むなか、
アメリカ大統領ブッシュが切れてイラク戦争がはじまりました。ブッシュもフセインもどっちもどっちで石油利権と憎しみのぶつかり合い、簡単には終わりそうもありません。元はといえば、フセインが湾岸戦争後、国際的な約束を守らず大量破壊兵器を隠して国連の査察を12年間妨害してきたというのですが、ほんとうに大量破壊兵器はイラクにあるのでしょうか。
●所詮国連というところは、
世界の平和を守れない口げんかの場のようです。フランスもロシアも、イラクの油田に利権をもちお金も貸しています。アメリカにイラクをとられたら自分の利権が危ないというエゴだけ。
 アナンという事務総長、「アメリカは国連憲章に違反している」なんて嘆いていないで、フランスとロシアに国連平和軍を出させてイラクに駐留させ、自らはワシントンとバグダッドに飛んでブッシュとフセインをどなりつけたらどうでしょう。だいたい12年もフセインに脅され続けイラクの大量破壊兵器の査察もろくにできなかったのは国連でした。ダメな国連に世界で一番お金を出す日本。そのお金、中小零細企業に回した方がずっといいのでは。
●「人間の盾」という勇ましい反戦運動があって、
いま空爆最中のバグダッドで身をさらし戦争反対を叫んでいます。日本人も、数名まだやっています。ところが現実は「怪」、イラク政府は有難がっていないようです。
 平和ボケの日本から「オレが戦争を止める」と勇んで成田を飛び立っていった若者も思い上がりだったと後悔しているとか。アメリカ大使館に抗議デモをする人はどうしてイラクの大使館には行かないのでしょう。反戦なのか、反米なのか、やっているご当人がわかっていないのではないでしょうか。
●いま流行の言葉「ネオ・コンサーバティブ」。
略して「ネオ・コン」。アメリカの思うようにならない国や敵対する者は容赦なくやっつけるという、国連など無視のアメリカ第一主義・アメリカ独善主義のこと。ブッシュ政権の中枢は皆これで、しかも石油利権の人たちと言われています。「9・11」以来、アメリカも「ならず者国家」になりました。日本はそのならず者国家にこれからもオンブにダッコなのです。お隣にも怖い将軍様がいますから。
●山車会館や美術館の建設・開設をはじめとする
蔵の街とちぎのまちづくりや、55万人の観光客を呼んだ秋まつりや、栃木駅高架事業と区画整理や、大通りのシンボルロードや、教育福祉施設の新整備や、工業団地と企業誘致や、商店街活性化など、遅れていた栃木市の都市基盤整備を飛躍的に発展させた大物市長が勇退します。代って、40代の候補同士の市長選。若さ故の批判精神は結構ですが、前任者の労苦をねぎらうくらいの礼儀はあって欲しく、付けやきばや票欲しさのデマ流しはいけません。「散る桜」があってこその「咲く桜」です。
●弘法大師が第十六次遣唐使船に乗って、
摂津(せっつ、今の大阪)の難波ノ津(なにわのつ)から唐の都・長安をめざして出発したのが、延暦23年(804)5月12日。1200年前の初夏のことでした。
 大師の渡唐留学、そして帰国までの2年弱には、奇跡的な幸運がたくさんありました。実はこの第十六次遣唐使船、前年に出航したものの瀬戸内海の暴風雨で船が壊れて引き返し、翌年の出発になったのです。大師は前年には乗っていませんでしたから幸運でした。この幸運がなかったら、大師は第十七次遣唐使船(836)まで30年あまり待たなければなりませんでした。これは事実上、大師の入唐留学はおろか密教という新しい仏教の伝来もなかったことを意味します。
 次の幸運は、乗った船が東シナ海で暴風雨にあい、難破しながらも命からがら中国の南方の海岸(赤岸鎮とよばれる海岸、現在の福建省霞浦県赤岸村)にたどりついたことです。四船からの船団で出たのですが、助かったのは大師の乗った第2船と最澄(後の伝教大師、天台宗開祖)の第1船でした。やっとたどりついたものの村人にあやしまれ、上陸できずに困っていたところ、大師が書いた訴えの文書が中国の役人を驚かせ許可が出たばかりか、正式な国使として長安に着くまで丁重にもてなされました。これもまた稀な文才書才の奇跡でした。
 長安では早速仏教とくに密教やサンスクリット語(古代のインド語)を勉強し、唐に渡って2年もたたないうちに、当時の中国仏教界の第一人者恵果和尚(けいかわじょう)に認められ、1000人を越す弟子をさしおいてすべての法を授けられ、密教の正統の継承者として認められました。
 大師はこの奇跡的な幸運に遭遇し、20年と決められた留学期間を2年で切りあげて帰国します。運良く長安に来ていた国使・高階遠成(たかしなのとおなり)の船で日本に帰らなければ(806)、大師は20年唐にとどまらざるを得ず、そこで生涯を終えていたかもしれません。

■秋号より■

●夏、靖国の杜
8月15日がくるたびに、靖国の杜が騒がしくなります
もともとこの国では、みな神棚を祀り仏壇を飾って
同じ屋根の下で神と仏とが仲よく暮していました
明治政府の廃仏毀釈・国家神道・神仏分離は
仏堂を破壊し、仏像を焼き、経典を破り
僧侶を還俗させ軍需工場へ農地へ送りました
日本の文化史上、これ以上ない過ちでした
●お盆(盂蘭盆、うらぼん)は
『仏説盂蘭盆経』(ぶっせつうらぼんきょう)という中国でつくられたお経に由来します。このお経の主旨は、過去の父母(=祖父母、曾祖父母)や現世の父母への孝養を説くことです。
ーお釈迦様の弟子で神通(じんつう、神通力)第一の目連(もくれん)尊者が、ある夜、神通力で亡くなった母の姿を見てみると、母は餓鬼道(がきどう)に堕ちて針のようにやせ細り、食べる物がみな口から出る炎に焼かれて炭になってしまう哀れな姿になっていました。
 そこで母を餓鬼道から救うため、お釈迦様のもとに行って教えを乞いました。お釈迦様は「おまえの母は罪根が深く、おまえの神通力ではどうすることもできない。だから出家の僧が雨季の修行を終える7月15日に、飯・百味(おいしいもの多種)・五果(五種の果実)を用意し、供養の座を設けてすべての僧に施しなさい。僧は食事の前に真言・ダラニを唱えて七世の父母・現世の父母が天に生ずるのを祈願するのだ」と諭しました。その通りにすると、目連の母はその日のうちに餓鬼の苦しみから逃れられたー
という親孝行の物語です。
●お盆の由来となった『仏説盂蘭盆経』は、
中国の儒教(じゅきょう)の影響を受けて、父母への「孝」(孝養・孝行)を強調します。お盆とは、親孝行の「方法」なのです。
 日本では、お盆になると家族みんなが帰省して親の元に集り、親戚も来て盆棚の前で酒食を共にしてきました。古くはこれを「斎会(さいえ)」といい、ご先祖様や父母への孝養でした。今でも、たとえ高速道路が渋滞しても、新幹線や飛行機のキャンセル待ちをしてでも、お盆にはかならずふるさとに帰る人が多くいます。
 久しぶりに見る親の顔、ご先祖様の眠るお寺や野辺の墓地、ふるさとの野や山や川や空気にふれて、自分のルーツを感じるのです。「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」。これは日本という国が「健康な」時の唱歌です。
 家族のきずなや親の顔が見えない少年犯罪があるたびに昔の「一家団欒(いっかだんらん)」を思い出します。衝動的に幼児を平気で殺してしまう「いのち」に鈍感な少年は、きっと「一家団欒」を知らずに育ったのでしょう。
●8月15日は終戦の日。
8月6日はヒロシマに原爆が投下された日、9日は長崎に原爆が落とされた日。多くの罪なき市民(非戦闘員)の「いのち」が奪われました。
 この時期になるといつも思います。あの当時のアメリカ大統領で、原爆投下の命令を下したトルーマンはどうして戦犯として訴追されないのでしょう。戦争に勝てば非人道の爆弾で大量殺戮をしても免責なのでしょうか。
●夏の朝早く、蓮の花が咲きます。
ひそやかにかぐわしく、とてもいい匂いを発します。まさに「妙法蓮華(みょうほうれんげ)」。「妙法蓮華」とは『法華経(ほけきょう)』というお経の題名に使われた言葉ですが、「すぐれた仏法の象徴のような蓮の花」といった意味で、少し詳しく言いますと、蓮の花は泥田に根を広げますが、それはお金や仕事や人間関係や家族問題などで悩む苦の娑婆の私たちの比喩。そして泥田から芽を伸ばし、茎を伸ばしますが、それは苦の娑婆に生きる私たち人間に生れながらに宿っている仏種(仏になれる種)が成長する比喩。そしてかぐわしい花を咲かせますが、それは私たちの仏種がこの苦の娑婆でサトリという花を咲かせる比喩。最後に花や茎は枯れますが、実がこぼれて泥田に落ち、またそれから芽が出ます。それがまた私たちの心の奥の仏種の比喩。『妙法蓮華経』はそのような仏法をいくつもの物語で教えてくれます。
 『法華経』というお経はお題目を唱えることに関心が集まりがちですが、漢訳やサンスクリット語の原文をきちんと読んでみますと大変深い教えの物語集で、また「諸法実相」などの仏教思想史上の重要な教義も含まれています。
●この地域の中学校の修学旅行が、
相変わらず奈良・京都のようです。「いのち」「生きる力」の問題こそ今の中学生にとって切実な「修学」問題なのに、古都の神社仏閣や雅の世界から何を「修学」するというのでしょう。
 古い歴史と文化を「修学」するのも大切ですが、奈良・京都での実態は「観光」旅行です。ヒロシマ・ナガサキの平和公園・原爆資料館、鹿児島県・知覧の特攻平和会館、沖縄の摩文仁の丘・ひめゆりの塔ほか。60年前に同じ年令の子供たちが経験した悲しい「いのち」の歴史を学ぶ、大人(先生や親)が子供(中学生)に勧めるべき「修学」とはそういうことではないでしょうか。
●長崎で、またやり場のない少年犯罪が起きました。
幼児を高いビルの屋上から投げ落としておいて、自首もせず悪びれもせず、平然と学校に通う「いのち」に鈍感な神経。
 ある精神科医の談。「いとも簡単に他(人間・動物)を傷つけ、自分が傷つくことには過剰に反応する、つっぱる、切れる、傷つける、今の中学生・高校生・若者に共通なのは「自己愛」過剰症候群」と。
●当山の難問「三」積
1、手狭な駐車場
お正月、春秋のお彼岸、お盆迎えの日、ご法事の多い土・日、駐車場が狭いためすぐ満車になり、お参りの皆様に大変ご不便をおかけしております。
2、よく吠える犬
墓地のおとなりの番犬が人が通るたびに大きな声で吠え、吠え出すと止まりません。西側からお墓参りにこられる方や蔵の街観光に来られた方を困らせています。飼い主は留意してくれません。
3、廃棄物放置・ゴミ廃棄
美化整備をしたばかりの西側参道わきに、家屋の廃材や粗大ゴミが山になっています。寺の聖域の入口ですので清潔にしたいのですが、当山の敷地ではないため、ラチがあきません。
また、お墓の枯れ花や紙くずを入れるゴミかごのところに、深夜営業の飲食店から出る食べ残しや麺・油・野菜・肉の古くなったものが捨てられて困っています。