蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

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世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。内容は愚考駄文ばかりでまことに恥ずかしいものですが、檀家の皆さんのなかにはいつも読んでいる方がけっこうおられ、励みになっております。
 坊さんの世界では、三十・四十はまだ小僧、五十で半人前、還暦を過ぎてやっと一人前で、有難くなるのは七十過ぎ、と言われますが、その半人前の頃、ワードプロセッサーのキーをたたいてはじめたのが寺だよりでした。三十三の時はじめた私立幼稚園(学校法人ぼだいじゅ幼稚園)から引き、残りの人生を当山の復興と檀信徒教化に傾注しようと心に決め、最初にはじめたのが寺だよりでした。若い頃に智山教化研究所で学んだものを活かし、檀信徒が読んで・わかり・うなずき・ためになる教化資料をめざそうと思いました。

 かねがね、寺だよりや文書伝道の分野で一番参考にしたのが故小宮勝憲師(東京、東覚寺)の『法燈』と、故小峰令丸師(東京、総持寺)の掲示伝道法語でした。『法燈』で最も勉強になったのは、何げない日常のできごと(世事)を題材に仏法を説く(法談)という布教の要諦でした。また小峰師の伝道法語は、それをそっくり紙に墨書し毎月境内の掲示板に張ったものでしたが、その一句一文が明快で説得力があり、人の心に訴える力がありました。
ひるがえって私の「世事法談」は、『法燈』のような妙味に欠け、小峰師の伝道法語のような単純明快ではありませんでした。駄弁を弄し過激になったり辛辣になったり、淡々と法を説くレベルになりませんでした。能力と言ってしまえばそれまでですが、心の修行が足りないのです。やはり半人前であることが書いていてわかりました。

 平成も10年をちょっと過ぎた頃、パソコンで寺だよりを作るようになりました。この時期に記事内容は『法燈』や伝道法語のレベルをあきらめ、自分流にしました。自分流とは宗教習俗的にも文化的にも政治的にも保守の目線で書くということです。お寺の住職の仕事は、日本の古き良き伝統文化や宗教習俗を守り伝え、そのカタチとココロを保守することにあるということ、それからニッポンを忘れアメリカのマネゴトのような民主主義に無自覚的に身を任せ、戦後復興という名のモノ・カネ・テクノロジーに酔う戦後の日本に批判的だったからです。