蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成20年(2008)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
神仏を敬い心のまっとうな人を「上品(じょうぼん)」といい
神仏を敬うも心に愚痴ある人を「中品(ちゅうぼん)」といい
神仏を敬わず心もゆがんだ人を「下品(げぼん)」と言います
「偽」の国ニッポン、「下品(げぼん)」は「げひん」とも読みます
平成も20年
この国の国柄と人々が、どうか「上品」でありますよう
●右肩を あげて門松 飾りたし (弘隆坊)
 新年明けましておめでとうございます。
元旦・二日と檀信徒の皆様多数の初詣お参りをいただき、新春恒例の大護摩祈願を厳粛かつ盛大に厳修いたしました。年頭にあたり、皆さまの心願成就のほか各家家門繁栄・子孫長久を心を込めてご祈願いたしました。
●年男年女(子年生れ)
長所 正直で、人あたりがよく、愛嬌があり、よく気がつき、むだづかいせず、貯蓄心に富む。人間関係よし。
短所 小心、怒りっぽい、ひがむ、軽口が過ぎることあり、他人のうわさや批評を口にして失敗することがある。
運気 我をはることなく、ひとにあたたかく接すれば運気ひらけ、成功して幸福になれる。
守り本尊 千手観音
ご真言 オン バザラ タラマキリク ソワカ
●去年は「偽」の年でした。
有名な菓子メーカーや老舗料亭の食品偽装や使い回し。社会保険庁の底なしの犯罪的闇。安倍か小沢かの選択だと自分から言っておいて負けても居直った安倍前総理の虚言。防衛省前事務次官のあまりにアケスケな収賄。この国のリーダー的な立場にある人たちが平気でウソを生きているのが、こんなに噴出したこともありませんでした。日本人は一度時計の針を戦争に負けた時代に戻し、「恥」の文化を基本にしてやり直す必要があるのではないでしょうか。
●お正月に神社の御札を受けてお寺の御札は受けない方がいます。
神と仏が同居してはまずいでしょうか。神社への気兼ねでしょうか。明治の神仏分離の悪弊がまだ残っています。今、どの家にも神棚と仏壇があり神と仏が同居しています。神と仏はケンカしません。安心して両方の御札を受けてください。そもそも、古代から江戸時代の終りまで日本は神仏習合の国でした。明治政府が神道を国家宗教にするため政治的に神仏を分けましたが、日本の文化史上最大の汚点です。
●「千の風になって」という歌のCDが110万枚以上も売れたそうです。
これを買った人は主に中高年。か細い声を振り絞って苦しそうに歌うこの頃の歌手に不快感をおぼえていたのか、ちゃんと声楽を習った人が歌う曲に中高年が心を動かした? わかるような気もします。
 あの歌は、2002年の9月11日に起きたニューヨーク貿易センタービル同時テロでお父さんを亡くした11才の少女が、その一周年追悼式で朗読した詩を作家の新井満さんが日本語訳し曲をつけた鎮魂の歌。まさかですが、あの歌の深い悲しい背景が忘れられイケメンのテノール歌手の顔と声の方に関心がいっていないことを願います。あの歌に「偽」は不謹慎です。
●相撲界。
横綱の朝青龍もわがままですが高砂親方にほとんどの問題があります。国技の担い手を育てる相撲の親方はあんなに軽い人でいいのでしょうか。「偽」の見本です。弟子を殺しておいてリンチ殺人を隠した前の時津風親方も、教えることはできても育てることができない「偽」の見本。
●益子焼の人間国宝、島岡達三先生が亡くなられました。
栃木県を代表する陶芸の巨人のご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます。国際的に著名だった建築家の黒川紀章氏もあっというまに鬼籍に入られました。都知事選と次の参院選に相次いで出馬し、奇妙なパフォーマンスをみせてくれましたが、末期ガンで死を覚悟した男の最期の遊びだったのかもしれません。
●開創750年慶祝事業稼働の年
年が改まり、開創750年まであと3年(平成23年)となりました。かねて檀信徒の皆様には慶祝事業の基本計画と浄財勧募についてご案内させていただき、心と浄財の準備をお願いしてきたところでありますが、いよいよ本年6月から浄財勧募など慶祝事業の準備に入りたいと考えております。何かとご多端の折まことに恐縮ですがご理解とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
○5月末日に、浄財の具体的なお願いをさせていただく予定にしております。
○ご回答をいただいた方から浄財のご納入を始めていただきます。ご納入期間は5年、やむをえない事情のある場合は最長10年までを可とすることになっております。
○当山として今回実現しておきたい伽藍復興だけを選択し、慶祝事業としました。その総予算見込みに照らし、それぞれに浄財の「お願い額」を算出します。事業の全体に大きな狂いが生じることのないよう、何卒「お願い額」に沿い、ご回答・ご協力の程お願いいたします。
○消費税値上げが政治日程にあがってきました。年金や福祉のためにはやむを得ないのかもしれません。しかし税率が10%になれば、例えば1億円なら1千万円。皆様からの貴重な浄財から1千万単位の大金が消費税で消えてしまうのは大変つらいことで、値上げの前に工事着工をと状況認識を新たにしております。
○今回は、皆様からの浄財ご協力のご回答が出そろうのを待って浄財の総額を見極め、その上で事業計画全体の最終判断をしたいと考えております。その意味でできるだけスムースに浄財のご回答をお願いいたしたく、よろしくお願いいたします。
○そのためもあり、心と浄財の準備期間を1年間置かせていただきました。先にお届けをしました「お願い額」の「目安」を参考に、ご事情のある方もどうか5月末日までにはご回答の準備をしておいてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

■春号より■

●妙法蓮華(みょうほうれんげ)
初夏の朝早く、まだ薄暗い時間、蓮の花は開きます
汚い泥土に根を張りながら、清らかな花を咲かせ
ほのかに香しいかおりを放ちます
古代インドの仏教徒はこれを
汚れた世のなかに咲く美しい仏心の花にみたて
私たち人間の汚れた心にも、仏になる種が生まれながらにあり
仏心という花を咲かせると考えました
今年も早や花の季節
花を観てわが心の仏心を知る季節です
●慶祝事業関連ご報告
 開創750年慶祝事業が、必要となる用地の確保からすでに動き出しております。
○既報の通り、一昨年7月、当山の東側門前の割烹「新田川」の土地・建物(競売物件)を、慶祝事業の一つであります駐車場拡充の用地として買収しました。
○昨年6月、同じく東側門前のカラオケスナック「ドレミ」の土地・建物を、慶祝事業の一つであります駐車場拡充の用地ならびに境内伽藍整備用地として買収しました。
○本年3月~4月、かねてより立ち退きをお願いしておりました東側賃貸地の三家(約150坪)が立ち退きに応じてくださいました。10月末には退去完了予定になっております。この土地は新本堂の建設用地になります。
○これにより、実施予定の伽藍復興事業の用地がすべて確保されました。
○新本堂建設を中心とする伽藍整備工事を来年春からスタートさせるため、建設業者・仏具メーカー等を選定し、工事や製造の契約を締結しなければならない時期になっております。これまで、現本堂や客殿建設の際に匿名・入札・ネゴ等々いろいろなやり方を講じましたが、それぞれ一長一短ありました。その経験から、今回は実績・信用・経営状況ならびに支払い条件等を精査し、かつ寺社建築の専門で、安くていいものを作ることで定評のある、西東京市安田建設㈱に中心となる工事をお願いすることにしております。また仏具は、業界最大手の翠雲堂(東京、浅草)を予定しております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。
●ある法語から
家を継いできた歴史のタスキ 先祖があって私の今がある
タスキの重さがわかればこそ 先祖への感謝報恩を忘れない

お金には 悪銭もあれば 汚いお金もある
神仏のために 先祖のために ひと助けのために
使うお金を浄財(浄いお金)という
浄財はかならず 何倍にもなって返ってくる

人は 足りない足りないと 不平を言う
足りてもまた欲をかく 欲には際限がない
少欲知足 唯(ただ)、足ることを知る
心が足りていれば 何も恥じることはない

自分の不足を嘆くより ひとを満たす心をもちたい
自分の不遇を嘆くより ひとの幸運を喜べる人でありたい
●昨年夏の甲子園で
優勝した佐賀北高野球部の部室前のボードに掲げられているという詩「ピンチの裏側」(詩人山本よしき作)。

神様は決して
ピンチだけをお与えにならない
ピンチの裏側に必ず
ピンチと同じ大きさのチャンスを
用意して下さっている

グチをこぼしたりヤケを起こすと
チャンスを見つける目がくもり
ピンチを切り抜けるエネルギーさえ
失せてしまう

ピンチはチャンス
どっしりかまえて
ピンチの裏側に用意されている
チャンスを見つけよう
●世の中が乱れると「末法だ」「世も末だ」と言われます。
「末法」「末世」、両方とも仏教用語でお釈迦様の教えが忘れられ仏法がすたれること、またそうした人心荒廃の世の中のことです。具体的には、お釈迦様の教えが生きている正法の時代(1000年または500年)、お釈迦様の教えの影響力がだんだん弱くなる像法の時代(1000年)を経て、末法の時代(10000年)になるといわれ、日本では『末法灯明記』(天台宗の開祖、伝教大師最澄の作と伝えられるが近年は疑問視されている)により、鎌倉時代の永承7年(1052)が末法の始まりだとされています。以来、日本はずっと末法の時代です。
●今は平和と長生きの時代ですが、末法どころか超末法の時代。
 神仏との距離が遠くなり社会道徳は地に堕ち、日本人の人心の荒廃は極まれりです。
戦乱でもなく争乱でもないのに、やみくもに、わけもなく、いのちを奪われる世の中。犯人曰く「誰でもよかった」「悪いことをしたと思っていない」。さらに悪いことには、犯罪被害者やその家族の人権よりも加害者の人権の方が尊重されること。この国では加害者の人権保護のために毎年数百億もの税金が使われ、被害者やその家族の人権保護にはわずか12~13億。被害者やその家族はいつも泣き寝入りです。
●人権といえば、
チベットでの人権抑圧は今に始まったことではなく、1950年に中国人民解放軍がチベット族の反共運動を制圧しチベットの全域を中華人民共和国に併合したことに始まります。チベットの中国化や共産主義化が進むなか、それに反発した民衆が各地で蜂起して動乱に発展、その首謀者とみなされたダライ・ラマ法王は中国当局に拘禁される危険を避けるため1959年インドに亡命し、現在に至っています。