蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成18年(2006)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
新しい年を迎え、改まった気持で
わが身わが家の安穏を神仏に祈ります
この頃 安全とか無事とか
事故や不幸の起きないことを
切実に祈ることが多過ぎます
貧すれば鈍する
不景気を人の心まで貧しくします
明るくなり始めた経済が人の心も暖めてくれますように
●門松は 右肩あげて 飾るもの(弘隆坊)
景気の本格回復を象徴する個人消費が上昇の傾向となり、年末商戦も活況だったようです。栃木市周辺でも業種によりますがバブル期より忙しい会社も出てきています。栃木県内の高校生の就職率も何年かぶりに好転し、どうやら日本の経済は暗雲から抜け出しそうです。ただし気がつけば優勝劣敗の差がハッキリする時代、負け組となった会社や商店の「再生」が気がかりです。まだ足銀ショックを引きずる市町村の地域経済の一日も早い回復を祈らずにはいられません。
●年男年女(戌年生れ)。
長所 義理深く、まちがったことが嫌い。がまん強くまじめ一徹で直言直行型。
短所 頑固、強情、偏屈、凝り性。時に冷たく、愚痴が多い。
運気 家庭的に恵まれないことがあるが、歴史的人物になる人が多い。中年まで苦労多い、晩年相当な地位を得る。
守り本尊 阿弥陀如来
ご真言 オン アミリタ テイセイ カラ ウン
●新年に当り、
2年続きで「まっとう(真っ当)」という言葉を皆さんに贈ります。昨年暮、新潟県小千谷市山間部の真人町(まっとちょう)で長く棚田を耕し、日本一の魚沼産のコシヒカリを作ってこられた稲持康平(いなもちやすへい)さんの「まっとう」な人間性に心打たれ、そのコシヒカリをお歳暮に使わせてもらいました。
 稲持さんは、中越地震1周年の日、NHKテレビが棚田農家の復興のご苦労を特集した番組で、画面に何度も出てきたあのご夫婦です。大地震で地割れと土砂崩れに見舞われた棚田に田植えの時期が来ても市による改修工事が間に合わず、稲持さんは悩んだ末にどうしてもお米を作りたいと借金し、棚田を自分と手伝いの人たちの手(自力)で直しました。わが子のように稲を育て、毎年同じことを繰り返し、微力ながらお国のために役立ちたい、そうしなければいられないのが百姓魂だ、と言います。
 感激をして早速コシヒカリの注文電話をしたところ、電話の向うで稲持さんはうれしそうに農作業の苦労を語り、なかなか電話を切ろうとしない稲持さんの重い言葉の連発に相づちをうちながら、私もうれしさでいっぱいになりました。人間、他のためになることをすると、自分をうれしくさせてくれることをつくづく思いました。
 数日してコシヒカリが届き、早速試食しました。稲持さんの「まっとう」な心をいただいた気がしました。静かな自然とおだやかな人間の環境で暮らしていると「まっとう」な人間になるのでしょう。「ふるさと」という歌はそういう風景を連想させます。

兎(うさぎ)追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何(いか)にいます父母 恙(つつが)なしや友垣(ともがき)
雨に風につけても 思い出(いづ)る故郷

志(こころざし)を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷.
●皇室典範が改められ「女系天皇」に道が開かれるようです。
あまり聞きなれないこの「女系天皇」。単に女性天皇という意味ではありません。例えば、今の皇太子殿下のお子さんの愛子様が仮に天皇になられたとします。この場合は女性天皇ですが、男子である皇太子殿下のお子さんなので「男系天皇」と言います。しかしもし愛子様がお婿さんを迎えて天皇になられ、授かったお子さんが男子であろうと女子であろうと天皇になられる時は、女子の愛子様のお世継ぎなので「女系天皇」となります。2000年も続いた男系の万世一系もたしかに大事なのですが、脇腹(側室)が許されない今、現在の天皇家のご様子では「女系天皇」もやむを得ないのではないでしょうか。
 いずれにしても、時代は女性の時代。レストランでも、デパートでも、観光地でも、ホテルでも、よくしゃべり、よく食べ、よく消費するのは女性。女性が個人消費を担い、景気の回復に一役買っていると思えば、それもまたいいのかもしれません。
●世界の農工業生産と物流の「量」が
アメリカ・ヨーロッパを抜いてアジアが一番になりました。これから世界経済の中心はアジアに移るそうです。世界の経済の覇権をめざす中国は、靖国問題で日本をけん制しながら巧妙にシベリア油田に進出し東シナ海の天然ガス開発をして日本を出し抜いています。古都西安(唐の都長安)は世界の経済・物流・ハイテクの中心として「再生」する勢いです。
 急成長する中国経済にうろたえ、小泉総理が靖国参拝を中止して日中が仲良くしなければと言う人もいますが、事はそんなに単純ではありません。国と国の付き合いは右手で握手しながら左手でビンタをしてるようなもの。右手は経済、左手は政治。当面それでいいのでは。
●憲法改正の話になるとすぐ、
「日本が戦争をする国になる」「子供を戦場に送りたくない」、9条改悪反対、戦争か平和か、という硬直した話になりうんざりします。
 憲法は9条だけの問題ではありません。例えば「信教の自由」もよく考えなければならない一つです。現憲法の「信教の自由」は、戦前軍国主義の背景となり軍人に「天皇陛下バンザイ」を刷り込んだ「狂信的な国家神道」(大東亜戦争の開戦の頃、アメリカの駐日大使だったジョセフ・グルーの言葉)の排除と、その国家神道に心を支配されている日本人をアメリカはじめ西欧の文化に染めるため、巧妙に仕組まれた日本人の精神的変質政策です。
 連合軍は「天皇陛下バンザイ」で突っ込んでくる日本兵の精神の強さに苦しめられたので、日本人から強い精神性を骨抜きにしたかったのです。「信教の自由」は日本人の無宗教化策です。悲惨な事件が起きるたびに生命尊重が叫ばれ、時に宗教心の欠如が言われますが、戦後日本人から高い精神性や宗教心がなぜ欠如したのかも議論されなければなりません。

■春号より■

●日本人たる気概
昔、日本の皇太子「タリシヒコ」、すなわち聖徳太子は
隋(ずい、中国)の皇帝に親書を送り
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」
(太陽が昇る東の国の天皇が、太陽が沈む西の国の皇帝に親書を送ります、
お元気ですか?)
と言いいました
今、WBC(ワールドベースボールクラシック)の「王 JAPAN」が
そしてニッポン男児イチローが
日本人たる気概をなくした私たちに、それを身をもって教えてくれました
王監督、キャプテン・イチロー、有難う
●3月21日の
「御影供」(みえく、弘法大師のご命日法要)にちなみ、春彼岸入りの3月18日に、お申込みをいただきました各家ご先祖春彼岸塔婆供養の法会を厳修いたしました。
 当日は、当山の檀徒役員さんをはじめお参りいただいた多くの檀家の皆様とともに、弘法大師の「御影」(みえ、掛け軸)に香をたむけ、各家ご先祖様の菩提を祈ると共に、お大師様の象徴の「大五鈷」(だいごこ)に触れてそのお徳を偲びました。
●今年の桜は
寒さのせいか散るのがおそく長く楽しめました。「日本三大桜」の一つである福島県三春町の「滝桜」は一見の価値あり。この栃木市にも太平山だけではなく宮町の永野川堤にみごとな桜堤があります。散る桜を見て、武士道は散り際の「いさぎよさ」を学びました。これからの新緑の候、萌える緑からは「生きる力」を学べます。
願わくは 桜の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃西行法師
散る桜 残る桜も 散る桜良寛和尚
●延暦23年(804)5月、
弘法大師空海が30才で唐に渡り、私費留学生として唐の都長安で修学すること約2年。たぐい稀なその才能が短期間に認められ、当時の中国で最も盛んだった密教(最後期の仏教)の最高の師・恵果(けいか)和尚から、千人を越える弟子たちをさしおいて密教の正統後継者の位を与えられ、悠揚として帰国してから今年で1200年になります。
●大師が長安で学び持ち帰られたものは、
密教の経典儀軌・絵図・法具から諸芸の文物・知識に至るまで世界レベルのものばかりでした。大師が長安で見聞したものは、世界の国家体制であり、都市計画であり、市(経済)であり、多様な人種であり、多様な宗教であり、多様な言語であり、多様な文化だったでしょう。若き留学生だった大師は密教の最高の師となったばかりか、世界の文化に通じた日本で最初の一級品の国際人として帰ってきたのです。
●帰国後の大師は、
平安京や南都(奈良)を舞台に新しい国家体制づくりに協力をするのですが、そのもとになったのは大師独創の真言密教の考えでした。その中心となる考えを一言でいえば、仏と人間、物と心、父と母、男と女、新と旧、空と海、大と小、貴族と庶民、敵と味方など、相矛盾する双方を同時に両立させる「二つで一つ」の考えでした。今生きておられれば、一神教の限界を説きイスラム教とユダヤ教の憎悪殺戮の歴史を止めるでしょう。
●明治維新という革命を最初に動かしたのは、
長州・萩(現、山口県萩市)の吉田松陰とその私塾「松下村塾」の門下生でした。木戸孝允(=桂小五郎)、久坂玄瑞・高杉晋作・吉田稔麿・入江九一(杉蔵)の四天王や、前原一誠・栗原良蔵・品川弥二郎・伊藤俊輔(博文)・井上聞多(馨)・山形狂助(有朋)など、文武両道の俊才たちがこの国の政権を交代させたのです。
 時が移り、あの松下幸之助が設立した「松下政経塾」に学んだ民主党の若きリーダーたちの軽さ・未熟さ。政権交代をお題目にしましたが、国民は彼らを見放しました。
●「格差社会」という言葉の流行に、
ちょっとした違和感を感じます。リストラ・倒産・借金地獄・孤独で病気がちな高齢者世帯、弱者・負け組、同情するのに何の躊躇もありません。本当に気の毒な境遇の人は皆で助けなければなりません。しかし、弱者救済の施策にも人の善意にも限界があり、結局ご本人に問題が返っていきます。人にはそれぞれ能力・学歴・労働環境・家庭環境・人間関係、また本人の努力・運・苦労・生きる力等の差があります。それを無視して格差・格差と騒ぎたて、国や地方の救済責任を声高に言ったとて、自己責任・自力更生と言われればそれまでです。
●子や孫に残す、まっとうな心の遺産
当山は、幕末の文久2年(1862)の全山焼失、明治時代の仏教弾圧・資産没収・諸堂諸仏破壊・金属仏具略奪・住職無住、戦後の農地解放・生活困窮という苦難の時代を、檀信徒の皆様のご理解ご信助に支えられて乗り越えてまいりました。これからも、檀信徒の皆様のご理解とご協力を支えに伽藍復興の道を歩まなければなりません。
 開創750年慶祝は、これまで当山を支えてきてくださった檀信徒各位のご先祖様に感謝の誠をささげることが第一の意義だと考えております。合わせて、当山歴代の先師先徳にも報恩感謝の意を表したいと思います。また、これら先人たちのご労苦に思いを致し、それに報いる報恩感謝の意味で今の時代を生きる私たちにおいて有意義な慶祝事業を実施し、その意味するところをまた後世の子や孫に伝え残したいと思います。これが第二の意義だと考えております。
 伽藍復興とは、全山焼失した往時の立派な伽藍を想い、それを徐々に復元していくという意味であります。到底住職一代でできるものではありませんが、このたび仮に大規模となるにしましても伽藍復興の基盤整備を行っておくことが、いろいろ生活の不安定要素をかかえる次世代に大きな負担をかけないで済むことになるのではないかと考えております。その意味から「まっとうな時代を生きた、まっとうな人たちが、子供や孫に残す、まっとうな心の遺産」の伝承事業でありたいと思っております。
 菩提寺を立派にすることに反対をする人は誰もおりません。要は、浄財寄進の負担ができるかどうか、そこが檀信徒の皆様の心配なところであります。このたびは何を行うにしても大規模な予算を伴うことが予測されますので、長期分割納入を可能にするなど浄財の勧募にはいろいろ工夫をしたいと考えております。今年中にはお願いのご案内を予定しております。ご多端の折ではありますが、趣旨ご理解の上50年に一度の大事業にご理解ご協力の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

■秋号より■

●美しい国? ニッポン
昔、としよりは頑固で威張っていた
あれから60年、今、若い者に遠慮し正論・小言も言えない弱者
昔、父は威厳があり重く大きかった
あれから60年、今、威厳どころか言葉が軽く、存在感のないパパ
昔、母は貧しくてもわが子を養った。
あれから60年、今、彼との生活の邪魔になったとわが子に手をかける鬼女
昔、子供は親に従い先生を敬った
あれから60年、今、親をも殺し、先生を殴る蹴るの修羅童子。
●戦後60年、
8月15日が来るたびに靖国の杜(もり)が騒がしくなりますが、「英霊」とは名ばかりで、いまだに戦地から帰れない遺骨が、南の島に、北の大地に、東の海に、西の森に、数多く残っていることを忘れてはなりますまい。「施餓鬼会」には、大東亜戦争の英霊と犠牲者各霊のお位牌を飾り、有縁無縁の隔てなく供養の誠をささげますが、遺族の方も高齢化し、関係者も減り、戦地に残る遺骸のことが忘れ去られることを危惧します。
●8月15日に
予想通り小泉総理が意地で靖国神社を参拝し、それをめぐってA級戦犯の靖国分祀までが騒がれましたが、恥ずかしいことに私たちは昭和史、つまり自分の国のついこの間の史実すらよくわかっていないのです。
●以下、A級戦犯の問題の要点を整理してみました。
  1. A級戦犯を決めたのは極東軍事裁判(東京裁判)ですが、この裁判が当時の国際法が認めていなかった「戦争に勝った国が負けた国を裁く」という違法で不当な報復裁判であったことは、国際社会も日本の識者・政治家も認めている常識です。
  2. A級とは「平和に対する罪」、B級とは「通常の戦争犯罪」、C級とは「人道に対する罪」。この基準は、ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判と同様、この裁判でとってつけられた「事後法」として有名です。
  3. A級戦犯は28人です。東条首相などの軍人のほか、外交官や民間の思想家もいます。うち、絞首刑になった人が7人、病気などで獄死した人が7人。この14人が靖国に合祀されています。
  4. 処刑された7人、獄死した7人は、この違法な裁判の判決にかかわらず、自らの戦争責任を取って自決する覚悟でしたが、「アメリカに仕掛けられた自衛のためのやむなき戦争だった」ことを法廷で主張するために生き恥をさらした、と言われています。
     残りの14人は、サンフランシスコ講和条約締結後に釈放されました。中国・韓国が靖国に合祀されている14人だけを目のカタキにするのは、史実無視のいいがかりです。
  5. サンフランシスコ講和条約締結により戦犯の釈放が行われるはずでしたが、GHQは渋りました。そこで、昭和24年から25年にかけて戦犯の名誉回復の世論が高まり、政府(旧厚生省)は巣鴨で処刑死・獄死したA級14人も戦死者とみなし、他の戦死者と同様に遺族補償と靖国合祀を行ったのです。
  6. 東京裁判の違法性は、国際法の専門判事として終始戦犯の人たちを弁護したインド・カルカッタ大学のパール博士によって、裁判中も裁判後も強く主張されました。博士は戦後何回も日本を訪れ、全国でそのことを講演し日本人に訴えました。
  7. 昭和天皇がA級戦犯14人の合祀以後靖国に参拝されなかった件ですが、昭和天皇に仕えた富田朝彦元宮内庁長官の残したメモ(「富田メモ」)によれば、昭和天皇がその外交官としての行状を好ましく思っておられなかった白鳥敏夫と松岡洋右の(二人の外交官は二人とも刑期中に病死しましたが、その)靖国合祀について、宮内庁当局は「軍人でもなく死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい」と抗議し、陛下は「松岡・白鳥までもが(合祀とは・・・)」「あれ以来、私は参拝していない、それが私の心だ」と不快感を示された、と。
●9・11。
世界の覇権国家アメリカにとって大きな屈辱の日です。ニューヨークの被災現場では追悼式が行われ、参列者の嘆き悲しむ姿がテレビに映し出されました。しかし不謹慎ながら、その姿がどうも大げさに思えてなりません。アメリカは原爆という人類初の卑劣な爆弾でヒロシマ・ナガサキの罪なき人々を何人殺したか、申し訳ないけれど9・11では数千人、こちらは何十万人です。いつも世界のどこかで米軍が跋扈し他国の人々の血を流すことに平気なくせに、マンハッタンでは珍しくもない高層ビルが二つやられた程度で、また数千人の犠牲者で、あの嘆き悲しみ方は大げさでは、という異見なのですが。
●栃木県いや日本を代表する竹工芸の大御所であり、
当山で個展を開かれ住職とも親交のあった八木澤啓造先生(大田原市)が、去る8月9日亡くなられました。作品が高価になるのを嫌い、名誉よりも実力を重んじ、皇后陛下ご愛用のハンドバッグほか立派な作品を多く残されましたが、素朴で優しくユーモラスで控え目なお人柄が何とも言えない魅力でした。ご冥福をお祈りいたします。
●お彼岸の「施餓鬼会」法要の前に住職の法話があり、開創750年慶祝事業について基本的な話がありました。
  1. このたびの750年慶祝事業は、当山の栄枯盛衰の歴史を振り返り、幕末に蒙った全山焼失の痛手から100年後の今も、復興の道をたどっている当山の現状に照らし、お寺の護持も難しくなる今後のことを考え、この時期、今の住職の代でなければできない伽藍の復興事業をやり遂げること。
  2. 住職の胸の中には10件を越す伽藍の復興事業が去来していますが、そのなかから、今この時期として、
    1. 当山の歴史と寺格にふさわしい新しい本堂(「供養堂」)の建設
    2. それにともなう客殿と新本堂を結ぶ渡り廊下の建設
    3. 喫緊の課題の駐車場の拡充整備
    4. 現本堂の大師堂(「祈祷堂」「参拝堂」)への衣替え
    5. その他の境内整備の実現
  3. これからの予定として、
    平成18年秋檀信徒の皆様にご理解を仰ぐため『当山開創750年慶祝のしるべ』(冊子)を全檀家に配布。
    平成19年春檀信徒の皆様に浄財のお願い通知(平成20年春までの1年間は心と浄財の準備期間)。
    平成20年春浄財納入期間(5年間)開始。
    平成21年春新本堂等建設工事着工。
    平成22年暮同    工事完成。
    平成23年春境内整備完了、開創750年慶祝兼新本堂等落慶法要、各種記念事業。
    平成25年春浄財納入期間終了(延長可)。
などが明らかにされました。
 当山にとって100年に一度の大事業。住職もこれまでの経験・知識と檀信徒の皆様との信頼関係をもとに命がけで取組みます。大変ご苦労をおかけしますが、何卒ご理解ご協力のほどお願い申し上げます。