蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成17年(2005)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
気温が氷点下になっても、寒風が吹いても
大雪が降っても、春を告げる草花は急がずさわがず
その時を待って花をつけます
冬きたりなば 春遠からじ
不景気の終わりも もうそこに
●門松は 右肩あげて 飾るべし(弘隆坊)
年男年女(酉年生れ)。
長所 才気あふれ、交際上手で、世話好き、大望をいだく
短所 目先にとらわれ、気が多く、利己的で、落ちつかない
運気 忍耐力に乏しく、起伏の多い生活を送る。うぬぼれや高慢をつつしめば晩年よし
守り本尊 不動明王(お不動さま)
ご真言 ノウマク サマンダバザラダン カン
●長く低迷していた日本経済も、
いくらか明るさが伝えられるようになりましたが、この1年足利銀行の国有化で激震の走った栃木県経済は今が正念場です。苦しい時の神頼み。念ずれば花ひらく。苦境の時こそ神仏の前に静かに坐り、心を落ち着け、ありのままの自分をみつめ、心身ともに一度ゼロにもどすことが肝要。
 中小零細企業の「再生」の成否は、つまるところ経営者その人の人間力(性格・意欲・責任感・知性・教養・先見性・人間関係等)にかかっています。念頭にあたり、肩書きや役職をとったゼロの自分を問うてみるのも「一年の計は元旦にあり」ではないでしょうか。
●当山は「三鬼尊」(邪鬼・悪鬼ではなく、山の霊気のあらわれの善鬼)を
お祀りしている関係で、節分の時は「鬼は外」とは言わずに「福は内」「鬼も内」と言って福豆をまきます。節分は、立春の翌日、鬼(寒くて暗い冬)を追い払い、福(暖かく明るい春)を招く追儺(ついな、邪気・悪気を追い払う)の催事です。
 栃木県ではこの季節になると、初午に合わせてどこの家でも「しもつかれ」を作り、お稲荷さんにお供えし、私たちも食べたものでした。旬を過ぎスが入りはじめた大根・にんじんを鬼おろしで荒くおろし、お正月に残った新巻鮭の頭をぶつ切りにし、さらに節分で残った福豆を大釜か大鍋に入れ、調味料は何も使わずにコトコトと煮るのです。捨てるだけになっている食材の残りを、捨てずに保存食にした「もったいない」の知恵です。
●この冬、「ヨンフルエンザ」という流行病がはやっています。
韓国のドラマ「冬のソナタ」で人気絶頂の俳優ぺ・ヨンジュン(愛称「ヨン様」)の甘いマスクを追いかけ、日本のオバンたちがいい歳をして恥も外聞もなく、成田に渋谷にそしてソウルにまで押しかけ、「生まれて初めてのときめき」と涙にむせぶ姿のこと。
 妻であることを忘れ、母であることを忘れて、息子と同じ年代の人気アイドルに酔いしれる羞恥心なき「女」むきだしのフィーバー。怖いことは、自分のしていることの是非、無節操がいい歳をしてわかっていないこと。
●当山に眠る孤高の日本画家・田中一村の
生涯と画業をえがく映画がこの春一般公開されます。クランクインを前に、昨年の夏、主演の榎木孝明さんほか制作スタッフと関係者が当山に来られ、一村さんの墓前で撮影の無事と映画の成功を祈られました。一村さんが見すえた絵の世界には、実力が認められない貧しい画家の純粋な怒りがこめられていますが、さて、映画では。
●拉致家族やそれを支援する国会議員が
経済制裁を言いはじめましたが、ハマコーさんは常々経済制裁を日本の宣戦布告とみなす北朝鮮がミサイルを打ってきても、十分に勝てる軍事的準備をしているのかと。一般国民は拉致家族には深い同情を寄せますが、とはいえ拉致問題で戦争をする気は毛頭ありません。
●中国が小泉総理の靖国参拝を非難する時、
決って靖国神社に合祀されている「A級戦犯」をヤリ玉にあげます。これに日本のマスコミまで盲従し、60年前に死刑(絞首刑)・終身刑・有期禁固刑という重刑に従って戦争責任をとった「A級戦犯」をまだ犯罪者扱いしています。
 なぜ中国は「A級戦犯」にこだわるのでしょう。一言で言うと、戦前に日本に支配され戦争中に人民を殺された恨みを「A級戦犯」にぶっつけ、国民に反日をあおって日本以上の国になることを刷り込み、アジアの覇権をにぎろうとする野望に利用したいからです。
 東京裁判の判事を勤めたインドの国際法学者バール博士は、東京裁判が戦争に勝った国が敗けた国を裁くという(当時の)国際法が認めていない不法不当な裁判だと言い、戦犯を擁護しました。戦後何回も日本にきて東京裁判の不法性・不当性を訴えました。あの日本人憎しで有名だったウェッブ裁判長やキーナン検事も、あとになってそのことを認めています。中国共産党の言う「歴史」はそういう歴史とはちがって自分に都合のいいことばかりの「歴史」です。
●当山開創750年の勝縁まであと6年となりました。
昨年のこのページに住職の初夢を書いておきましたが、夢をどのようにどの程度現実のものにしていくかいろいろな角度から考えております。何といっても景気の回復が待たれます。
 当山の住職を拝命して以来休まずたゆまず33年やってきましたが、還暦を過ぎた年令にもなり、少子化で檀家さんが減っていくこれからの時代、お寺の経営はどうすればいいか、当山の将来のことをあれこれ考え、残りの人生をかけて、伽藍のたたずまいを真言宗の寺院らしいものにしておきたいという気持ちが大きくなってきました。当山は幕末に大火ですべてが焼けてしまってからまだまだ復興できていないからです。私にとって開創750年の記念事業が最後の大仕事になるでしょう。
 まずは駐車場の整備が喫緊の課題。それから真言宗の寺院らしいという点で、檀家の皆様のご先祖「供養のお堂」(できれば新本堂)と、護摩祈願や不特定多数の人が常時お参りができる「祈願のお堂」(開運厄除大師・三鬼尊などをお祀りするお堂)を是非実現したく思います。山門も永年の宿題です。できれば、将来桜や紅葉の名所となるような植栽も考えたいもの。これらの実現のためには多額の資金が必要になるでしょう。檀信徒の皆様のご理解を得て住職の夢の半分でも実現したいと念じております。

■春号より■

●春の嵐
インド独立の父ガンジーは
非暴力・非抵抗を貫きました
中国の総統だった蒋介石は
日本から受けたアダを恩で返しました
アジアには、その国固有の哲学を
実践した偉大な指導者がいました
昔、孔子(こうし)が儒教を教えた国で
儒教の教えの「仁」「義」「礼」「知」「信」もわきまえぬ指導者が
日本の資金と技術協力の「恩をアダで返す歴史」を作ろうとしています
●花まつりと世界平和祈願護摩
境内の桜と白木蓮が満開の去る4月8日、護寺会役員さんのご参列のもとお釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり(潅仏会)」が行われました。合わせて大護摩供を厳修し世界平和を祈りました。
●日本人は、もともと対立や争いごとを好みません。
意見や立場がぶつかりそうになると互いの言い分を生かすことに腐心します。対立を避け融和をはかる知恵です。
 ちがうものを両方生かす知恵は「和魂洋才」に象徴的です。洋服を日本の生活習慣に合わせたり、洋食を日本人の口に合うように和風したり、日本家屋に洋間や洋式バス・トイレ・洋風キッチンもあります。外来の文化や様式を採り入れ、それを日本の風土に溶けこませるのは得意わざです。
 「神仏習合」もそうです。日本では神様と仏様とがよく合体しています。世界遺産になった熊野三山では、本宮大社の主神・家都御子大神(けつみこのおおかみ)が阿弥陀如来(極楽浄土)に、那智大社の主神・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が千手観音(補陀落(ふだらく)浄土)に、速玉大社の主神・熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)が薬師如来(瑠璃光(るりこう)浄土)にみたてられ、神と仏が融和両立しています。
 この「対立を避け融和をはかる」知恵こそが、日本が世界に誇る「方法」です。ユネスコは、イスラムとユダヤが鋭く対立する今の世界情勢に照らし、昔から日本の紀伊山地の奥に息づいていた「神仏習合」の「方法」を世界の遺産に認定したのです。
●仏教ではお釈迦様の誕生日(花まつり)の4月8日、
バチカンでは亡き法王の葬儀が行われました。イギリスでは、この日に予定されていたチャールズ皇太子の「再婚式」が一日延期になりました。法王の葬儀とぶつかるとは神も二人の結婚にあきれている?
 ローマ法王の葬儀に世界各国の元首や首脳がみなバチカンに集ったというのに、日本からは総理大臣特使の川口前外相だけ。日本はカトリックの国ではありませんが、いくらなんでもこれはバチカンに対して無礼千万な話。宗教の世界では、最高の礼を表わすこういう時の失礼は致命的です。死者、いや法王の場合は聖者、への敬意を表わさなかったに等しいからです。
●名古屋が元気です。
街中に活気があります。名古屋の経済の好調ぶりがわかります。人でいっぱいの「愛、地球博」(愛知万博)、業績好調の世界のトヨタ、セリーグ優勝の中日ドラゴンス、春の選抜甲子園優勝の名電工、オープンしたセントレア空港、女子フィギアスケートの浅田真央。明るいニュースに事欠きません。
●中国のデモさわぎのウラ読みです。
前門の郵政民営化反対(綿貫民輔(経世会))、後門の「抗日有理 愛国無罪」(反日には道理があり、反日=愛国のためなら乱暴狼藉も無罪)の反日デモ(中国政府(=親経世会))。これ共に「経世会」をぶち壊す小泉総理に対し恨みをもつ者同士。その両者が呼応し煽っている小泉内閣の倒閣運動ではないか。
 小泉さんの構造改革とは、自民党や日本の政界を支配してきた「経世会」(旧田中・竹下派、親中国派)をガタガタにし日本の政治権力の中枢から引きずり降ろすことです。これは小泉さんの師・福田赳夫元総理以来「清和会」(旧岸・福田・安倍派、親台湾派)に続く隠された執念。小泉さんが手をつけた党・内閣の人事や道路公団改革・郵政改革を目玉とする行財政改革は、「経世会」の利権うずまく牙城をぶち壊すことです。
 中国もそう。田中元総理が手がけた日中国交回復以来、中国は旧田中・竹下派が仕切るようになりました。これによりそれまで中国の正式な政府だった台湾政権とは国交がなくなり、台湾派だった福田派は中国のパイプを失いました。角・福戦争で敗れた福田さんでしたが、復活して総理になると、中国の神経を逆なでするようなA級戦犯の靖国合祀を行いました。中国のデモさわぎのウラは福田系の小泉さんへの報復? そう透けて見えます。ところが福田元総理の息子で小泉派の福田康夫は中国ベッタリの親中国。福田康夫という人は親の七光りで総理にまでなれた人ですが、政治センスは劣等です。
●ホリエモンを見ていると、
若さの率直さと危うさと、東大出の頭の良さと態度の大きさと、心の冷たさとモノサシの小ささ、を感じます。この頃の日本人を皮肉る「無魂米才」(日本人の魂がないアメリカ流合理主義)とは、彼のようなITモードの新人類を言うのでしょうか?
 ITモードにはまりこむと、「ゲーム脳」という病(精神障害)が起きると言います。3年間電脳ゲームに熱中すると、脳の活性化能力が減退して動物の脳のようになってしまい、人間らしい理性や知性や心がなくなるのだそうです。先端技術文明が人間を原始に戻すという大いなる皮肉です。
●「ニート」。Not in employment education and training。略して「NEET」。
職もなく(働かず)、勉強もせず(学ばず)、訓練もせず(職業的な訓練もせず)、親に食べさせてもらっている若者。この人たちの言い分は「今のままチンタラしていた方が楽でいい」。この人たちの特徴は「人間的に未熟で、自分に甘く、やる気のない自分を正当化するのは一人前」。世間ではこれを「臆病者の言い訳」といいますが・・・。
●今様落首(某企業川柳選)
○「ペ」といえば 母は「ヨンジュン」 父「カトちゃん」
○リストラで 「冬のアナタ」と 妻は言い
○左遷だぞ 妻よよろこべ クビじゃない
○「オレオレ」に 亭主と知りつつ 電話切り
●この「寺だより」ですでに何度かお伝えをしてきましたように、
平成23年(6年後)に当山は開創750年を迎えます。住職の夢を以前にもお示ししましたが、住職としましてはこの勝縁をまたとない機会ととらえ、檀信徒の皆様のご信助をいただき、当山の歴史と寺格にふさわしい真言寺院としての山容整備を行いたいと考えております。おそらく、当山にとりましても100年に一度の大事業となるでしょう。予算規模も相当なものになると思います。
 大事業の理由を示しておきますと、神仏を敬い、ご先祖を大事にし、きちんと財を蓄え、菩提寺に協力的な今の世代がだんだん少なくなります。この世代が終ってしまわないうちに大事業はやっておかなければなりません。ローン世代の次の世代にお願いするのは経済的に容易ではないことは誰の目にも明らかです。今しかない、これが理由です。

■秋号より■

●地球がまた怒っている
大地震や津波が町や村を破壊し
台風や集中豪雨が川を氾濫させ
山を崩し道を壊わし家をつぶし
そして多くの尊い人命を奪う
「今までこんなことはなかった」地震が起きています
「今までこんなことはなかった」大雨が降ります
「今までこんなことはなかった」川の氾濫が起きています
「今までこんなことはなかった」土砂崩れ・山崩れが起きています
「今までこんなことはなかった」大雪が降ります
「今までこんなことはなかった」暑い日が続きます
地球を温暖化させた人間が
化石燃料消費・排気ガス放出の傲慢を止めなければ
地球の怒りはおさまらないでしょう
自然災害だけでもたくさんです
核開発などしている時ではありません
●お詫び
 去る6月11日、住職が心筋梗塞を発症し壬生町の獨協医大病院に緊急入院いたしました。幸いに軽症で合併症も後遺症もなく、順調な回復経過をたどり7月11日に退院しました。その後は、7月8月のお盆行事など夏の職務を休ませていただきましたが、秋彼岸の「施餓鬼会」法要から職務復帰したいと考えております。
 檀信徒の皆様にはご心配ご迷惑をおかけしました上、ご葬儀やご法事の際に大変失礼をしてしまいました。深くお詫び申し上げます。また、固くご辞退をしたのでしたが、役員さんをはじめ多くの方からお見舞いやお励ましや心のこもった品を頂戴しました。厚く御礼申し上げます。
 このたびの緊急事態に際し、救急車と循環器先進医療の両面で二人の檀家さんの若いご子息にいのちを助けてもらいました。偶然とはいえ、これまさに仏天のご加護であり、住職として本懐のできごとでした。
●一つまちがえば「死」ぬかも知れない病気を発症し、
救急車で病院に搬送されている間、坊さんらしい「最期」というのはどうすればいいのかを考えていました。弘法大師は、自らの死の日時を弟子に予告し、その通りに瞑想に入ったまま息絶えました。凡人の私には、せめて家内の手を握り「お前のお蔭でいい人生だったよ」とさだ・まさしの歌の一節でも言ってシャレてみたいものですが、そんなドラマのようなことはできませんでした。できたことは「南無大師遍照金剛」「オン キリク ギャク ウン ソワカ」(お聖天様のご真言)「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」(お薬師様のご真言)を繰り返していただけでした。
●おかしいと思い救急車を早めにお願いしたのがよかったらしく
結果は軽症で済みましたが、それでも胸(心臓のあたり)の痛みが続いた時には、このまま死ぬのではないかと不安になりました。そういう時私は「南無大師遍照金剛」やご真言を称えると心が落ち着きます。このままあの世に行くのならばお大師様と同行二人でいい、もし生きられるならば元気で開創750年記念事業ができますように、そう念じました。
●入院中、
かつて高田好胤師(奈良・薬師寺元管長)が、『般若心経』を「こだわらない心、かたよらない心、とらわれない心、広く広くもっと広く」を教えるお経だと言っていたのを思い出しました。もしそうなら『般若心経』は、「病気を治そう」「元気になろう」「生きたい」「仕事に復帰しなければ」とがんばる入院患者に、生きることに執着をするな、元気になることにこだわるな、と言っているのと同じです。これでは人生否定、人間否定で、病人は救われません。高田師は『般若心経』がわかっていない、デタラメを言うな、と思いました。
●最近、
生命科学者の柳澤桂子という人が書いた「生きて死ぬ智慧」とかいう『般若心経』の本が売れているとか。もし、難病と永年闘ってきた柳澤氏が『般若心経』と出会い、生きる上でのさまざまな執着やこだわりを捨てられるようになったなどという内容の本だとしたら、それは『般若心経』の読みまちがえです。『般若心経』はそんな「捨てる」とか「あきらめる」ことを説いているお経ではありません。
 秋のお彼岸になると、彼岸花(曼珠沙華)が「その時」を知っているかのように咲きはじめます。花は生きる(咲く)ことも死ぬ(散る)ことも、「その時」が来るまで決して急ぎません。「生きながら死んだつもり・・・の智慧」など、花を見ているとウソっぽく思えます。
●小泉さんの圧勝に不気味な後味が残りました。
郵便局関連の支援団体に代って自民党の巨大な支援団体と化した公明党・創価学会。郵政民営化法案反対の人は構造改革を邪魔だてする人、という決めつけ方で失脚させるやり方。常識や伝統で政治が動くデモクラシー(民主政治)が流行や世論で政治が動くマスクラシー(大衆政治、下手すると愚衆政治)に変質したこと。うつろいやすい世論をまた「民意」だと。気まぐれな民衆感情を「民意」だという日本の選挙はほんとうに民主主義の根幹でしょうか。
 小泉さんの、小泉さんによる、小泉さんのための、小泉劇場でした。民主党はこの劇の舞台に上がらせてもらえず、仕方なくほかに芝居小屋を用意し年金・子育てのにわか芝居を演じてはみましたが、一向にお客が盛り上がらず、主演男優は顔を引きつらせる毎日でした。
●選挙中、
共産党の志位委員長がいいことを言っていました。「人間が人間らしく生きられない今の日本」と。弱者切り捨てのことを言ったようですが、党首の言葉としては一番に光っていました。ただ、弱者救済の財源となると決り文句の「大企業から税金を取れ」。しかしそんなことをすれば、大企業傘下の中小零細企業や町工場に結局シワ寄せが及び、弱者救済が弱者いじめになる矛盾。これ、どうします?
●秋彼岸を前に、
リハビリを兼ねてお墓の掃除を3回ほどやりました。立ったり座ったり、けっこう身体にこたえます。雑草、落ち葉、お墓のすみにたまった枯葉、枯れた供花、古いお供物、こぼれたお線香、割れたコップ・茶碗、置き去りのペットボトル、カラスの抜け羽、犬のふん、セミの脱けがら、ポイ捨てたばこ、等々。一汗かいて水分補給の休憩をしながらふと思いました。檀家さんのご先祖様はちゃんと私のやることを見ていて、私のいのちを惜しんでくれたのではないか、と。