蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成25年(2013)

■新年号より■

●謹賀新年 「再生」ニッポン
縁起のいい「巳年」の年明けです
ヘビは生命力が強く簡単にへこたれません
脱皮をくりかえし長く生きます
政権も代りました
中国や韓国にバカにされるほど落ちぶれたこの国を
どうやって立ち直らせるか
ヘビのようにへこたれず、執念深く
再生・再建・再起・再出発
●右肩を あげていこうよ この日本(弘隆坊)
 新年明けましておめでとうございます。
 平成25年、巳年、西暦2013年が明けました。
 今年の(歳神様がいる)恵方は西北西の方角です。
●年男・年女(巳年生れ)
長所 容貌よく、知恵に恵まれる、積極的で、世話好き、貯蓄ができる、強気。
短所 猜疑心・嫉妬心あり、強情・わがまま、浮気性。
運気 もめごとあるも、人生通じて不自由なく、近親・友人・家族と円満ならば、中年に一大吉運あり。
守り本尊 普賢菩薩
ご真言 オン サンマヤサ トバン
●一、富士(ふじ)、二、鷹(たか)、三、茄子(なすび)。
初夢で縁起のいいトップスリーです。富士は日本一の山で「末広がり」「無事(ぶじ)」。鷹は空高く飛ぶ百鳥の王で「上昇機運」「高い」。茄子は「生す(子を産む)」「成す(成し遂げる)」で、「事を成す」「夢が叶う」。
●平成も25年、4半世紀になりました。
政治もそうですが、人心の乱れが頂点に達した観のあるニッポン。罪のない人の生命を平気で奪い、コンビニやスーパーや書店で平然と万引きし、ケイタイメールで友だちに「死ね」と無神経に言う。しかも罪を犯して逃げる・隠す・悪びれず。罪を自ら認める潔さもなく、言訳を繰り返し逆切れするタチの悪さ。老いも若きも他を顧みない自己愛・自己中。世界でも珍しい不道徳天国になり果てました。「物の豊かさ」と「自由」という「我利我欲」を野放図に開放すると人間がここまで劣化する見本です。
仏教はこの人間の業欲を2500年も昔に見抜き、五つの戒め(五戒)を説きました。
  1. 不殺生(命あるものを殺傷してはいけない)
  2. 不偸盗(他人の持ち物を盗んではいけない)
  3. 不邪淫(他人の妻や夫と通じてはいけない)
  4. 不妄語(ウソを言ってはいけない)
  5. 不飲酒(人が人でなくなる酒類を飲んではいけない)
です。
●民主党の惨敗、自民党の圧勝でした。
300の議席が白から黒へ、黒から白へ、いっぺんに変る、まるでオセロゲームのようです。3年半前にそんなに国民の福祉のためにいいことをしてくれるのなら、一度民主党にこの国をまかせてみたらどうかと国民は民主党に政権を担わせてみました。政権運営は未経験ながら、プロの政治家が集っているのだからマニフェストで約束したことを実現するだろうと誰もが期待をしました。
 しかし実際は、高速道路の無料化も、子供手当も、税金のムダ使い見直しも、年金の改革も、普天間基地も、八ッ場ダムも、ほとんどウソでした。そればかりか、「トラストミー」という口の軽さや、尖閣諸島事件や大震災・福島原発事故の不手際、生活不安の民になお負担を強いる消費税の値上げと、3人の総理がしたことは期待を裏切ることばかり。どこが国民目線の「民主」なのでしょう。国民大衆が落胆と怒りをこめて民主党に「NO」を突きつけるのは当然です
◆中国の新しい指導者になった習近平という人はどうも親日派ではないようです。
昨年、尖閣諸島の国有化をきっかけに中国各地で起きた反日デモは彼の指図だったとか。就任早々尖閣諸島上空で領空侵犯をやっています。中華民族の「中華意識」(世界の中心は中国という民族意識)高揚をさかんに言い出しました。きっと学校で子供たちに教え込むのでしょう。日中友好の基礎を作った世代とまるで様変わり。いざとなれば日本は敵国になりかねません。後に「平成の時代は失敗の時代」、その最たるものは中国に気前よくお金と技術を提供したこと、その結果中国を経済大国にしてしまったこと、上から目線で見られるようになってしまったこと、と言われます。
●ならば、
「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」(吉田松陰)。大和魂などと言うと戦前の軍国精神・右翼ナショナリズムと思われそうですが、そうではありません。祖国を思う心のことです。日本の歴史で今ほど日本人であることの自覚や祖国の歴史や伝統への関心や理解が低下した時代はありません。戦争に負け、良くも悪くもアメリカ流になることが日本の道でしたが、そろそろ脱アメリカ。礼節を知らない下品な隣国にバカにされない強国になるには、品格ある大和魂をもつ日本人が必要でしょう。
●当山の副住職としてつとめていました
住職の弟・長澤隆雄(栃木市平井町恵光院住職)が、去る11月23日、急性心不全により逝去いたしました。行年63才。生前賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます。
 前ぶれもない突然の死でした。その日の朝も親しい方を訪ね贈答品を届けていました。生まれつき身心虚弱の障害を持った独り身の人生でしたが、置かれた場所で、まじめに目立たない花を一輪咲かせることを本懐としていました。写真・カメラは上手でしたが、口下手でうまく言葉や気持ちを表わせないところがあり、檀信徒の皆様に失礼があったかと思います。どうかご寛恕の程お願い申し上げます。

■春号より■

●世界文化遺産「富士山」
富士山は本来、神仏信仰と修行の山で
「霊峰」「霊山」といわれてきました
昔の行者はこの山を大日如来に見立て
白衣姿で金剛杖(こんごうづえ)を持ち
登山口の「みそぎ場」で身を清め
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と
口に唱えながら山頂(仏界)を目指しました
山に入って大日如来と一体となり、
山を二つとない山=「不二山(ふじさん)」と呼びましだ
今は俗化して山ガールとゴミの山
なので世界「自然」遺産登録はNOでした
今回の世界「文化」遺産登録を通じ
富士山を金の落ちる観光の山ではなく
「文化」の山に戻すことを教えられました
●この頃、仏事用の「のし袋」に
「御霊前」と「御仏前」とが出回り、その使い分けを聞かれることが多くなりました。結論は、「御霊前」であれ「御仏前」であれ、「霊」と「仏」どちらも「死者を敬っての言い方・言い換え」でちがいはなく、「死者にお供えする」という意味では「お香典」や「御香料」「御香資」と同じ意味で、「霊」と「仏」の使い分けの必要はまったくありません。但しそれでも割り切れない方は「御霊前」「御仏前」を使わず、お通夜・ご葬儀の時は「御香典」「御香奠」を使い、ご法事の時は無文字の「のし袋」に「御香料」とか「御香資」と書き入れてはいかがでしょう。
 新聞・雑誌等で仏事マナーの知識人とやらが知ったかぶりをして、お通夜・ご葬儀の時は「御霊前」、その後のご法事の時は「御仏前」で、通夜・葬儀の段階では死者がまだ成仏していないので「霊」、その後は成仏しているので「仏」などと言ったり、四十九日忌まで(喪中)は「御霊前」、四十九日忌のあとは「御仏前」で、四十九日忌まではまだ成仏していないので「霊」、四十九日忌以後は成仏しているので「仏」などというへ理屈をこねるため、それに惑わされる方が増えています。
 そんなことは根拠のない作り話で、それならば「英霊」や「戦没者」の「霊」はどうなるのでしょう。「霊」だと成仏していないのでしょうか。亡くなった人に失礼な話です。ついでながら、ご法事などの際の「のし袋」の上書きについてしばしば聞かれますが、無字の「のし袋」に「供養料」と書くのが一番いいと思います。「供養料」とは、亡き人への報恩感謝の気持ちを表わし、亡き人の御霊にお供えするという意味で、仏事の主旨に沿うからです。「供養料」とはつまり、亡き人への「感謝料」です。
●永代供養のお勧め
いろいろな事情により、
  • 先祖代々のお墓をたくす後継者がなく、自分の代以降お墓を守る人がいなくなる方。
  • 現在縁戚のお墓を代理で守っておられる方で、それを断念される方。
  • 夫婦二人だけなので新規に墓所を求めるまでもなく、自分たち亡きあとの供養もお寺に頼める、二人だけのお墓(夫婦墓)をお考えの方。
  • 独り身で、自分だけ入れればいいお墓をお考えの方。
などのために、この度当山の境内墓地の一角に「永代供養墓」を造り、ご希望の皆様のお申込みに応じてまいりたいと計画しております。
 まず当山檀家の皆様を優先に応じていきますが、世相を反映してか「永代供養墓」の関心と需要が多く、檀家ではない方にも広く応じていかなければならないとも予測しております。該当する皆様には、別紙「要領」をご一読いただき、ご検討の上、お申込み、または住職とのご相談をお勧めいたします。
●「私のあとはお墓を守る者がいなくなるんです、
そういう場合はどうすればいいでしょう」「絶えてしまった○○家のお墓をこれまで守ってきましたが、私も歳なのでどうすれば」「私たちは子供がいないのでお墓を作ってもあとをやる人がいませんから、永代供養墓に入れれば」「私はずっと一人でしたから、自分が入るお墓さえあれば」。
 こういうご相談が現実に増えてまいりました。からだが動くうちに、元気なうちに、お金がなんとかできるうちに、永代供養をしてキチンとしておきたいものです。
●永代供養をしなければ結局「無縁(墓)」になります。
お参りする人もなく、放置されたままのお墓(無縁墓)が当山にもいくつかありますが、ご先祖のご遺骨をほったらかしにして、当事者や縁者の方はよく平気でいられるものだと悲しくもなります。これは、死体遺棄・遺骨遺棄と同じことです。

■秋号より■

●東京オリンピック@2020
2020年(平成32年)に、また東京で
オリンピック・パラリンピックが開催されることになりました
めでたし、めでたし
15年も続いたデフレと、
中国・韓国・北朝鮮の嫌がらせで
意気のあがらなかったこの国に
元気とやる気と景気が戻るのでは
56年前の東京オリンピックは、発展途上の日本
今回は、品格ある先進国ニッポン
●高円宮妃殿下の気品に満ちたスピーチ、
滝川クリステルのチャーミングで本物のフランス語と「お・も・て・な・し」、共に感服・感動でした。舞台裏では、韓国がフクシマの水産物をIOC総会直前に全面輸入禁止にし、汚染水問題をわざと大きくして嫌がらせしました。中国は、東京開催=軍国主義の復活などと言い、東京落選のためのウラ工作をしていたとのこと。東京開催が決まった翌日には早速中国艦船が尖閣の海に侵入し、無人機・爆撃機を飛ばして嫌がらせです。
 そこまでして東京オリンピックを妨害し反日を言いたい傍若無人の国は、東京大会に参加しなくて結構です。下品な応援団がまた日の丸にケチをつけたり、何をするかわかりませんから。
●韓国のいう歴史問題とは、元従軍慰安婦への国の謝罪と賠償。
日韓条約によって国家間では解決済みの問題ですが、それでも日本の政府は民間の活動(アジア女性基金)を通じて人道上の償いを行い、韓国の元慰安婦でそれを受け取った人もいましたが、韓国内の反日団体(「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協=現、日本軍性奴隷制問題解決の為の正義記憶連帯)」)などの激しい反対で、今はこれが拒否されています。ついこの間までキーセンパーティーとやらで、日本から来た観光客を上客にして稼いでいた買春商法は一体どこの国だったでしょう。
 中国のいう歴史問題とは、日本の総理大臣の靖国参拝と最近は尖閣諸島の国有化問題。A級戦犯の人は死刑(絞首刑)や禁固刑などによって戦争責任を負い、亡くなったことで戦死者と同じく英霊として靖国神社に祀られていますが、中国はその英霊を日中戦争の犯罪人として今も恨んでいます。歴史の償いとして日本は資金援助と技術協力により中国の経済発展を大いに助けましたが、ムダな努力でした。後に「平成の大失敗」と言われるでしょう。
 韓流ドラマを時々見ます。一番お気に入りは「トンイ」。「チャングムの誓い」「武人時代」もつい最終回まで見ました。しかし韓流ドラマは「やられたらかならずやり返す」「恨みはかならず晴らす」のがほとんど。それが朝鮮半島の人たちの血なのでしょう。中国にはへつらい、日本には尊大になる、それは昔から韓国の悲しい術。
●伊勢神宮と出雲大社がそろって今年は式年遷宮です。
伊勢神宮は20年に一度、出雲大社は60年ぶり。主祭神を祀るお社と調度品等を全て新しくし、神様に新宮へお移りいただく神道の一大行事。伊勢はこれから内宮が10月2日、外宮が10月5日、出雲は5月10日に行われました。
 伊勢神宮は、内宮が皇室のご祖神で、日本の総氏神様の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮が豊穣と衣食住の神・豊受大御神(とようけのおおみかみ)、出雲大社は「国づくり」「国ゆずり」と縁結びで有名な大国主大神(おおくにぬしのおおみかみ)がご祭神です。
●暑さ寒さも彼岸まで。
猛暑・炎暑・酷暑に加え、全国各地で大雨・濁流・浸水・崖崩れ・竜巻による災害が続きました。ようやく秋、お彼岸も終ってひといきです。

きょう彼岸 菩提の種を まく日かな
戦陣に 散りし御霊に 彼岸花
花を買う 彼岸の母に 逢うために
羽(はね)休め 石塔の頂 アキアカネ

彼岸とは「彼の岸」「向う岸」。つまり、私たちが生きている「この世」に対して仏様の世界の「あの世」。「彼の岸」に渡った亡き人に想いをはせ、春と秋一年に2回、お墓やお仏壇にお花・お線香・おはぎなどをお供えし、「ご先祖のおかげ」を感謝する仏事。
●去る9月25日、
おおぜいの檀信徒のご参加と、法縁のご寺院方ご出仕のもと、秋彼岸恒例の「施餓鬼会」法要が盛大に行われ、皆様の各家先祖代々諸精霊の施食供養が厳修されました。
 毎年法話でお話していることですが、施餓鬼という供養は、江戸時代、飢饉(ききん)等で餓死した人の遺体をお寺に集め、その名前を調べて過去帳に記録し、祭壇を設けて種々の食物を供え、飢えた御霊に施食したことに始まります。
 あとの時代になって檀信徒各位のご先祖の戒名を記録した過去帳の御霊にも施食供養を志す人が増えたため、「施餓鬼会」の当日、受付で「付け施餓鬼」(「施餓鬼会」に合せて志す先祖供養、御札や塔婆が用意される)のお申込みをしていただき法要に参加していただくようになりました。
 当山でも、昭和40年頃までは檀徒総代の方々が受付をし、参加者にお昼ご飯をふるまい、午前と午後、2回法要を行ったものでした。ということで、施餓鬼供養はご先祖様のためのほかに「有縁無縁のへだてなく一切の精霊に施す」といって、例えば今は亡き恩師・友だち、そのほかよくお世話になった人たちなど、ひいては先の大戦で南の島・北の大地・東の海・西の異郷で戦陣に散った英霊や、原爆や空襲で亡くなった犠牲者のために、血縁の有る無しを越えて供養の心を広げることに意義があります。その他縁の人の御霊まで供養することを、仏教では尊い行い(利他行)としています。
●NHK大河ドラマ「八重の桜」は、
動乱の幕末から明治・大正・昭和を強く生きた会津女性で、京都同志社大学の創設者新島襄の夫人新島八重の物語。第1回からもう8ヵ月が過ぎ、ドラマは痛恨の会津戦争が終って舞台は京都に移り、夫とともにキリスト教の学校「同志社」を造るために苦労している場面です。
 この春、八重が亡くなるまで住んでいたという京都御所東側の旧居を見てきました。会津戦争に負けた会津藩は藩を挙げて農作物も育たない下北半島の斗南(となみ)原野に押し込まれ、皆食うや食わずの困窮を耐え忍びましたが、京都に出た八重は恵まれた境遇で藩のみんなの苦難をどう思っていたか、ドラマはそれに触れませんが。
●副住職が亡くなってまもなく一年。
一周忌に合わせ、写真家だった副住職の遺作のなかからこれはと思うもの数十点を集め、『遺作品集』を制作しています。野山の草花に始まり、尾瀬や那須や戦場ヶ原や白根山や甲斐駒ケ岳の高山植物、そして厳冬の富士山へと被写体は移っていきましたが、自然の美しさを終始追っているようでした。口下手でしたが根は純粋で正直な人間でした。