蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成30年(2018)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
元旦の早朝5時30分、
正式な衣冠束帯を身につけた天皇陛下は
神嘉殿(しんかでん)南庭での
「四方拝」(しほうはい)に続き
宮中三殿(さんでん)を拝礼し
神々に五穀豊穣・万民豊楽を祈ります
全国のお寺では、家内安全・商売繁昌
厄災消除・交通安全などの祈祷を行い、
ご本尊様に祈願者の無事安穏・開運招福を祈ります
この国の新年は、そこから始まります
●新年明けましておめでとうございます。
 平成30年、西暦2018年、戌歳です。
 今年の恵方は、丙(ひのえ)の方角、南南東の少し南。
●年男・年女(戌歳生れ)
長所 義理にあつく正義感があり、がまん強く協調性に富む。堅実でまじめ。器用で働き者が多い。親切でいばらず、人情味があり面倒見もいい。
短所 陰気になりやすく、被害者意識が強い。ねたみ・いじ悪が目立つ。強情で自分のまちがいを認めずあやまらない。グチ多く執念深いところがある。
運気 歴史的人物が多い。家庭的に恵まれるとはかぎらない。中年までは苦労多いが、晩年は運気よし。
守り本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)
ご真言 オン アミリタ テイセイカラ ウン
●日本の宗教は古来、
土着の神々とインド・中国から来た外来の仏たちが一体化(習合)され、神と仏が両立共存していました。大きなお寺の境内には、かならず土地の神を祀る社があり、鹿沼の古峰ヶ原神社も栃木の太平山神社ももとはお寺のなかの社でした。
 この神仏習合の元祖は弘法大師です。大師は、高野山を開く際に、麓の丹生都比売神(にうつひめのかみ)と狩場明神(かりばみょうじん)を山上にお祀りしました。以来千何百年、明治政府の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で神と仏が政治的強制的に分離されるまで、日本は神と仏とが仲よく共存した国でした。
 檀信徒の皆様のなかに、神社の御札を毎年受けているのでお寺の護摩祈願は遠慮するといった古い縛りを続けている方がまだおられるようです。それは明治の「廃仏毀釈」の負の遺産で、時代はもう平成30年、廃仏毀釈から150年です。神社の御札とお寺の護摩札とがケンカをするわけではありません。お家では神棚と仏壇とが違和感もなく昔から祀られていて、神と仏が共存しています。
●初詣 素人「川柳」五首
初詣 賽銭(さいせん)ひろって お年玉
おさいせん いくらで合格 できますか?
初詣 ことしの願いは 発毛出(はつもうで)
神様も おさいせんは 紙がいい
初詣 きのうは神社 きょうお寺
●新年最初の宮中祭祀「四方拝(しほうはい)」。
天皇陛下は大晦日の夜、世間では紅白歌合戦が浮かれている時、御湯(みゆ)でお身体を清められ、元旦の早朝5時30分、天皇しか着られない「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」で威儀を正し、「宮中三殿」西側の「神嘉殿(しんかでん)」南庭にご出御され、そこに設けられた仮屋内の「御座(ぎょざ)」から、先ず伊勢神宮の皇大神宮・豊受大神宮の二宮に拝礼、続いて東西南北四方の神々(伊勢神宮に祀られている神々、天神地祇、神武天皇陵、明治・大正・昭和3代の父祖天皇陵、氷川神社(さいたま市)、賀茂別雷神社・賀茂御祖神社(京都市)、石清水八幡宮(八幡市)、熱田神宮(名古屋市)、鹿島神宮(鹿嶋市)、香取神宮(香取市))を拝礼されます。その後、「賢所(かしこどころ)」・「皇霊殿(こうれいでん)」・「神殿(しんでん)」の「宮中三殿」に拝礼され、国家・国民の安穏と五穀の豊穣を祈ります。
●新年の仏教祭祀「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」。
昔、弘法大師は宮中に内道場の「真言院」を建立させ、そこで真言宗形式の国家鎮護・玉体(天皇のお身体)安穏・五穀豊穣・万民豊楽を祈るご祈祷を行いました。時が移り、今は東寺(とうじ、京都市)の「潅頂院(かんじょういん)」で、毎年1月8日~14日、早朝から夕刻まで一日三度、真言宗の18の本山から管長様をはじめ15人の長老僧が参集し、天皇陛下の無病息災(昔は玉体安穏)を祈るため、陛下の「御衣(ぎょい)」をお加持します。「御衣」は、8日に宮内庁京都事務所より「唐櫃(からびつ)」に入れられて運ばれ、道場の壇上に安置されます。真言宗は、開祖である弘法大師が嵯峨天皇のブレーンであったことから、国家の中枢にあって天皇の玉体安穏や国家安全を祈る大きな役割を担っていました。
●年末恒例のNHK紅白歌合戦。
年配者には出場芸能人の名前や歌がほとんどわかりません。つまらないのです。だから見なくなりました。年寄りの冷や水かもしれませんが、日頃はお堅いNHKがなぜ毎年大晦日にバカ騒ぎを芸能人総動員で長時間やらなきゃいけないのか。流行歌やお笑いの番組は民放にまかせ、国を代表する公共放送らしく、そろそろ視聴率競争とは関係ない品格のある大晦日特別番組をやれないものでしょうか。
●政界では、憲法改正問題が現実化してきました。
とくに第9条の「戦争放棄」(平和主義)と国民大多数が認めている自衛隊(軍事力)の関係をどう法制化するか。9条を全部書き換えて自衛隊条項も明記すべきという人から、現憲法に手を加えることすら絶対にダメ、自衛隊も憲法違反という人までいます。いずれにしても、北朝鮮の現状を直視し、いざという時を想定し、現実的な防衛戦略と冷静かつ慎重な大人の憲法論議を聞きたいものです。
●昨年の秋、韓国はトランプ米大統領歓迎晩さん会の席で、
元慰安婦と独島(ドクト)エビで日本に嫌がらせをしました。そういう子供じみた韓国に言いたくなるのですが、
  • かつてベトナム戦争の戦場で韓国軍兵士がベトナムの女性に何をしたか。
  • 現在もベトナムで差別の対象となっている「ライダイハン」(韓国軍兵士に強姦されたベトナム女性がしかたなく産んだ父のいない混血児)。
  • 多くの韓国軍兵士は家や村を焼き払い、村人を虐殺し、若い女性を強姦し、時にそれも殺しました。
  • この兵士たち、韓国では英雄扱い。
  • 韓国政府はまだベトナムに謝罪すらしていません。
慰安婦問題を言うのなら、先ず韓国大統領が「ライダイハン」に土下座して謝罪し模範を示したらいかがか。
●大相撲がピンチです。
日馬富士が引退させられ、鶴竜と稀勢の里も体調不良・成績不振で引退に追い込まれるかもしれません。白鵬もすでに32才、峠を越えています。2人の大関も休場が多くて横綱は望めず、若手にも横綱候補が見あたらず横綱不在の場所がくるかもしれません。こんな時、相撲協会は内輪もめしていてよいのでしょうか。
●デジタル通信技術は、
コンピュータ・携帯電話・スマホ・端末タブレットなどの便利なツールを生み、超高速計算や高速・大容量のデータ通信を可能にし、社会生活に大きな恩恵をもたらしました。第三次産業革命です。
 一方「歩きスマホ」「自転車スマホ」「車を運転しながらスマホ」「電車のなかでずっとスマホ」「授業中スマホ」「ひまつぶしスマホ」「ライン中毒」等々「スマホ依存症」という文明病が大流行しています。結果、漢字の読み書きができない、本を読まない、読解力がない、思考力がない、考えが単純になる、結論を急ぐ、すぐに怒る、ウツになる、人間関係がうまくできないなど、スマホ依存は「頭と心の糖尿病」と言われていて頭痛・めまいも起します。

■春号より■

●沖縄慰霊
昔、琉球王国の王様が治め
人びとが平和に暮していた島が
大東亜戦争の末期、おびただしい死者を出しました
悲劇の島になった
軍人・軍属28,228人
準軍属55,246人
一般島民38,754人
一般の島民のなかには、米兵に追われ
集団自決した女学生が多くいました
戦後70年余、沖縄は依然としてキナくさく、平和とは遠い島でした
●40年ぶりの沖縄慰霊
戦後、人気の高い流行歌手だった伊藤久雄が歌い、人々の涙を誘った哀歌「ひめゆりの塔」(古関裕而作曲・西条八十作詞)をおぼえている人が今いるでしょうか。
  1. 首途(かどで)の朝は 愛らしき
    笑顔に 母をふりかえり
    ふりしハンケチ 今いずこ
    ああ 沖縄の 夜あらしに
    悲しく散りし ひめゆりの花
  2. 生れの町も もえさかる
    炎の底に つつまれて
    飛ぶは宿なき はぐれ鳥
    ああ 鳴けばとて 鳴けばとて
    花びら折れし ひめゆりの花
  3. 黒潮むせぶ 沖縄の
    米須の浜の 月かげに
    ぬれて淋しき 石の塚
    母よぶ声の 永久(とこしえ)に
    流れて悲し ひめゆりの花
(ネット上で、伊藤久雄の歌を聴くことができます)

 この歌を聞き知った高校生の時から、私は「ひめゆり学徒隊」の悲劇に心を痛めてきました。戦後70年を過ぎ、私の年令も75才。思うところあって40年ぶりに沖縄の慰霊に行ってきました。
 まず那覇空港から糸満市にある「ひめゆりの塔」に直行。「ひめゆり学徒隊」の慰霊碑です。入口の売店で献花を買い、碑の前の献花台に供え合掌・黙祷。
 昭和20年3月、沖縄戦の末期、沖縄師範学校女子部と県立高等女学校の先生・生徒240人は、沖縄陸軍病院の看護用員として従軍し「ひめゆり学徒隊」と言われました。悲劇はまもなく起きました。圧倒的なアメリカ軍の攻撃にさらされ、第三病院の地下壕に逃げましたが生き残れたのはわずか数名という惨劇。他の学徒隊も同様の運命たどりました。
 次に、糸満市摩文仁(まぶに)の丘の「平和祈念公園」へ。広い園内を迷いながら、まず「栃木の塔」へ。栃木県出身者で、
 沖縄戦戦没者 676柱
 南方諸地域戦没者 30,819柱
合計31,495柱の御霊に献花・読経・黙祷しました。さらに「平和の礎(いしじ)」に向い、栃木県の犠牲者名を刻んだ碑に合掌・黙祷。
 「平和の礎」碑の前では、修学旅行らしい高校生の一団が自分たちで考案したのであろう「平和・不戦の誓い」を厳粛に唱和していました。前々から、高校の修学旅行は、京都・奈良の物見遊山観光はもうやめて、広島・長崎の原爆資料館とか、鹿児島県知覧(ちらん)の特攻隊基地資料館とか、沖縄の「ひめゆりの塔」や「平和祈念公園」などの見学学習にし、戦争の悲惨を学び平和の大切さを心に刻み込むものにしてはと考えていましたので、高校生の清々しい真摯な姿を見て目頭が熱くなりました。
 次いで念願の喜屋武岬(きやんみさき)へ。この最南端の悲劇の岬で、沖縄戦末期、アメリカ軍に追いつめられた島民が高い崖から身を投げて自決しました。「アメリカ兵に捕まるとひどい目にあう」と徹底教育された島民の悲劇です。数知れない犠牲者の霊に合掌し、読経・黙祷しました。誰もいない岬は、戦争の悲劇などなかったかのような潮騒だけが聞こえる静かさでした。
●沖縄の伝統宗教は自然崇拝で、
海の向う水平線のかなたの神の国=ニライカナイから神様を招き、豊かな実りと平和な暮しを祈るものでした。祈りの儀式は、琉球王国の王様の命令のもと、「御嶽(ウタキ)」といわれる神聖な場所で「ノロ」と呼ばれる巫女(みこ)によって行われました。「ノロ」の女性は普段いろいろな仕事に従事していて、かならずしも専門職ではありませんが、中心となる「ノロ」は位も高く、「御嶽」は男子禁制で王でさえ身心を清めてからでなくては立ち入れないものでした。世界文化遺産になった「斎場御嶽(せーふぁウタキ)」を見学してきました。
●沖縄では先祖・おバア・子供の順に大切にされ、
先祖の祀りごとには一族が全員集り、お墓の前の広場で参拝の後一日中飲み食い踊って過ごします。お墓は独特のものでとても大きく「死者の家」とも言われます。古くは、小高い土盛りに横穴を大きく掘り、なかの空洞を内から固めて石で押さえたものでした。琉球王国の王族や王府の役人の家柄ではとてつもない規模のお墓が当たり前でした。
昨今、とくに霊園のお墓は、石で加工された家の形をしたものを地面に建てる例が多いようですが、200万~300万は当たり前で、タクシーの運転手さんは1200万もかけたと当然のように言っていました。
●沖縄ではお葬式が大変です。
この頃首都圏・関東地方では家族葬だの直葬だの、葬式は要らないだの戒名は要らないだの、宗教学者までがバカげたことを言っていますが、お墓も生活用品同様に安ければいいというこちらの消費者感覚、沖縄の人の前では笑いものです。
 沖縄のお葬式はまず、沖縄タイムス・琉球新報という二大新聞のおくやみ欄に、葬儀広告を出すことから始まります。沖縄タイムスは、ひと枠、ヨコ5㎝の2段組で11万、その2倍の枠で22万円。会社経営者で子会社も持っている場合は、本社の広告を先頭に子会社まで出します。通夜・告別式には、一族のほか友人・知人・その他の関係者が何百人も参列します。後日の命日供養の日には一族郎党集り、終日飲んで食べて歌って踊って過ごします。死者→先祖を敬い、その祀りごとにお金も時間もかける沖縄の伝統文化です。

■秋号より■

●地球が怒り狂っている
集中豪雨で西日本に大水害が起きたと思えば
2ヶ月もつづく30℃以上の日が続く猛暑
沖縄より熊谷・館林・佐野そして栃木の方が暑い
考えられない異常気象の夏
地球温暖化が言われて久しいのに、
トランプ米大統領は世界の気候変動抑制協定から離脱し
北極の氷山が溶け出しています
皆が勝手をしている間に地球が怒り狂ってしまいました
昔の日本人なら、ひたすら天地の神に祈り
天地の怒りを鎮めました
●私たち年配者が子供の時に親や先生からしつけられた
「神仏の前(厳粛な場所)では脱帽」「教室や家や建物のなか(屋内)では脱帽」「朝礼や式典では脱帽」「食事の時には脱帽」はもう時代おくれなのでしょうか。日本人の礼儀作法として守られてきた「帽子をとるマナー」がこの頃ないがしろにされています。
 栃木県では毎年、8月6日に広島市の平和公園で行われる「平和記念式典」に中学生の代表を市町村から派遣し、原爆ドームや平和公園の各種記念碑や原爆資料館等を見学し犠牲者に哀悼の意を表すとともに、戦争の悲惨や平和の尊さを学ばせています。大変結構なことですが、一昨年と去年下野新聞に掲載された現地の取材写真に、
  1. 原爆死没者に哀悼の誠をささげ世界平和を祈る厳粛な式典中、
  2. 公園の記念碑に礼拝する時、
  3. 原爆資料館のなかで、
帽子をとらない本県の中学生が写っていました。

 この頃の教育現場は「帽子をとるマナー」を教えないのか、原爆死没者の慰霊をする日のヒロシマに死者へのマナーもわきまえず何をしに行ったのか、暑いなか一日中帽子をかぶるなというのではない・・、そんな疑問と違和感をおぼえ当該中学生を派遣した市町村の教育委員会に問い合わせしたところ、「(式典中に帽子をかぶらせたのは)直射日光を避けるため」、原爆資料館のなかでの着帽は「迷子防止のための目じるし」という回答がありました。
 熱中症や迷子の防止策ならいくらでもあるというのに、本県の教育現場では原爆犠牲者への畏敬のマナーよりも熱中症や迷子が発生すると困る引率の先生の自己都合の方が優先なのです。中学生を派遣する教育者にしてこの本末転倒。ヒロシマでの平和の学習は原爆犠牲者の前でまず帽子をとる礼儀からはじまることすらわかっていないのです。平和・平和と口にしながら、その平和の礎となった死者への礼節にはうとく軽率。これが今の教育現場です。
 中高年各位、頭髪の関係で帽子を着用するのはわかります。しかし、どうぞ忘れまじ「帽子をとるマナー」。日本の古き良き礼儀作法を、子や孫に教えられるのは皆さんです。(今年は「死没者慰霊碑」に脱帽(誰でも当然のマナー)の写真でした)