蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成16年(2004)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
アメリカの世界戦略とイスラム原理主義が衝突し
グローバルスタンダードと足利銀行がせめぎあうなかで
尊い人命とお金が消えていきました
今年はその宿題をどうするか
まず神仏に加護を祈りましょう
●年男年女(申年生れ)
長所 才能旺盛、活動型、積極的で進取の気風をもつ。
短所 時に偏屈傾向、大望を抱くが浅慮妄動することあり。他人を信用せず、自己中心的。
運気 栄えては亡び、亡ぶかと思えばまた栄え、人生の起伏が多い。生涯誠実さを忘れず、努力すれば運気盛んとなる。
守り本尊 大日如来。
ご真言 オン バザラダト バン。
●新年なのに、
おめでとうという言葉さえはばかられるような栃木県。つい数日前までの昨年末は暗くわびしい年の暮れでした。足利銀行の破たんはそれほどまでに大きな激震でした。波乱ぶくみの年明けですが、未曾有の荒波をどう乗り切るか、県の経済界はじめ県民の真価が問われる年になりそうです。政・官・業・民、気持ちを切りかえ、みな一致して野州人の意地と根性を見せようではありませんか。
●年末にはセミナリオや
クリスマスツリーを飾ってケーキや七面鳥を食べ、押し詰まって〆飾りを玄関に下げ、大晦日にはお寺で除夜の鐘をついて煩悩を払い、元旦には近くの神社に初詣に行って破魔矢を買い、菩提寺に行ってお墓参りをし、元朝護摩に参列して護摩札を受ける。
 これが一神教のアメリカやイスラム世界にはない日本流というもの。神も仏が共存し独自の多様多重モードに変換してしまう、寛容で多様な日本の「方法」なのです。鍋をつつけば日本がわかる、雑多煮のなかにうま味が出てくる、それが日本です。
●当山の檀家さんはよくお墓参りをされます。
感心のかぎりです。お墓で除草剤をまいたり掃除をしていますと、一つ一つのお墓に「気」があるのがわかり、その家の現在の「運気」を感じます。毎月1日、お彼岸・お盆、ご先祖様のご命日、また正・5・9のお参り月、ご本尊様・ご先祖様にかならずお参りを。
●このお正月も、
合格祈願の護摩札を何枚もお加持させていただきました。ご健闘を祈ります。ただ問題は、合格したあと高校や大学に行ってまじめに勉強するかどうかです。合格できても中途退学では何にもなりません。高校・大学を出ても就職が大変な時代に、厳しい家計のなかから学資を出してくれる親の苦労をわきまえて。
●新年の御札 Q&A
Q 私の家ではずっとお寺の新年護摩に申し込まずにきました。家内安全の御札をいただいても不幸が起きる時は起きますから。
A 新しい年を迎え気持ちもあらたに、家内安全や無病息災を神仏に祈ることは日本人のよき伝統習俗です。一度ぜひお寺の護摩にご参加ください。御札が不幸を防ぐのではありません。一心にご本尊様に家内安全を祈り、身辺の安全に気をつけるように思ったその心が不幸や苦難を防ぐのです。
Q 私の家では昔から神社のお札をたのむことにしています。そこにお寺のお札を受けると、神と仏がケンカをして災いがあると言われました。
A それこそ迷信です。神と仏がケンカすることはありません。どうぞ安心してお寺の護摩札も受けてください。昔は、神も仏も仲良くしていました。神棚と仏壇があるのと同じです。神と仏を分けさせたのは明治政府の神仏分離令で、今そんなことを言うのは時代おくれの迷信です。
Q お寺の護摩に親戚や知り合いや会社や商店の名前で申し込んでもいいでしょうか?
A 結構です。当山では市内の会社や商店の経営者の方が商売繁盛・事業繁栄のご祈願をされます。そのほか檀家でない方からも多数厄除けの祈願があります。どうぞ遠慮なくお申込みください。
●住職の初夢
 本堂の前の観音堂やお地蔵様を移動し、そこに二階建て土蔵づくりの建物が建った。一階部分は三つに仕切られ、まんなかが新「三鬼堂」。右には「受付案内所兼お札お守り売り場」。左にはお休み処「無邪鬼庵」。二階部分は田中一村作品などを展示する「美術館」。
 「三鬼堂」の地下から北に向って地下道が伸び、進行方向左側に四国八十八ヵ所の疑似お参りができる「お砂踏み所」。右には日本百観音の「巡拝所」。
 お参りをしながら進むと、第二公園を借景にして立つ地上約20mの「蔵の街大師」の足元。そこからエレベーターで上り、階段で下りながら大師の「体内めぐり」。体内には、大師の生涯や教えがパネル展示される。大師像の外側基礎部は階段で高くなっていて、万灯会の時にはたくさんのボンボリが並ぶ。夜間はライトアップされる。
 足元の地下部分にもどると左側に出口があり、階段を上ると境内東側に建つ二階建ての「満願堂」に出る。その中心部分は二階の「大師堂」。ここで、厄除けや交通安全(新車加持)などの護摩祈願が行われる。一階の中心部分は「多目的ホール」で、通夜・葬儀から催事・集会・個展・寄席などができる。この中心部から左右に「銭洗い弁天」「縁結び・子宝恵みお聖天」「商売繁盛出世稲荷」「蔵の街七福神・毘沙門天」「身代り地蔵尊」「子育て観音」が並ぶ。境内の東側入口には「山門」が建ち、その前に「修行大師」と「寺号碑」そして「石灯籠」が立つ。
 寺の周囲には駐車スペースが能率的に確保される。第二公園の緑地も一部が公営駐車場に。以上、住職の初夢。21世紀の満福寺の姿。どうか正夢になりますように。
●足利銀行が「債務超過」と判断された直接の原因は、
「繰り延べ税金資産」に計上された1208億円を、監査にあたった監査法人が資産として全額認めなかったことでした。銀行は、融資のこげつきに備え、利益のなかから貸し倒れ引当金を計上するのですが、その時点で税金を払わなければなりません。ただ融資先が倒産などで回収できないことがはっきりした場合、その時の納税額から引き当て時点で納めていた税金が差し引きする形で還付されます。
 この還付分をあらかじめ自己資本に計上するのが「繰り延べ税金資産」で、将来銀行が利益を上げて納税すると見込めなければ認められません。栃木県選出の国会議員も県知事も市町村長も、金融庁は血も涙もないと激怒しました。しかし日経平均株価は上がりました。経済は難しいものです。
●足利銀行国有化で、
すでに注入されていた公的資金1350億円がムダになり、県市町村・経済界・県民が善意で増資にお付合いした727億円のうち、売りそこなった人の足銀株が紙くず同様となりました。痛ましいことですが「死に金」です。
 47万人の人出だったという栃木の「秋まつり」。その中心となる山車の人形は、明治時代に万町・倭町の旦那衆が東京は日本橋の当代一流の人形師に作らせたもの。大金がかかったことでしょう。栃木の商人の心意気というか、文化度の高さに驚きます。そのお蔭で100年後の栃木に観光客が来るようになりました。こういうのを「生きた金」というのでしょう。
 そうした意味で、仮にお寺に10億の資金を与えていただければ、100年後の子孫にも誇れる諸堂伽藍(文化遺産)が残せます。諸堂伽藍は後世に自分の名前も残ります。「死に金」と「生きたお金」、価値転換の時代です。
●イラクで復興支援の活動中に殺された
2人の外交官の遺志を継ぐためにも、目に見える形で国際貢献をするためにも、一日でも早く自衛隊をイラクに送りたい小泉総理。アブナイから自衛隊派遣、いや自衛隊ではかえってアブナイ。難しい問題です。
 ところで、送られる自衛隊員の家族のなかに、復興支援といっても死ぬかも知れないためか、「夫や息子を戦地に行かせたくない」とテレビレポーターにもらす人がいます。「何でだろう、何でだろう?」。
 自衛隊員といえば、いざとなれば命がけで国家・国民を守ることを任務とする軍人であり、その家族はそれを充分わきまえ、夫や息子の死を覚悟しながら気丈に生きる人たちだとばかり思っていましたが、どうもちがうようです。

■春号より■

●春がきても来ない平和
アメリカがイラクを攻めて一年
戦火と混乱はまだ終りません
加えて一触即発
戦争前夜のイスラエルとパレスチナ
イスラム教もキリスト教も、そしてユダヤ教も
もともと人殺しなど奨励していません
宗教は人殺しのためにあるのではありません
●弘法大師入唐1200年
1200年前、日本で最初の国際人として活躍した巨人がいる
日本人が今知っておくべき日本人がここにいる
日本のグローバリズムは、この日本人を知ることからはじまる
今もなお、人々の心に生きつづける弘法大師空海

今年は、弘法大師空海が唐の長安に渡って1200年
一留学生に過ぎなかった弘法大師が、日本に持ち帰ったものは
世界規模の宗教・文物・諸芸・技術・社会制度・各種情報
それらが皆、日本の国づくりの柱だった
弘法大師空海は、あの時代の日本の「分母」だった
●住職が還暦を記念し、
このたび自分史をふくめた本を自費出版しました。題名は『一途半生』。「60年を一途に生きてきた」という意味で、上巻『一矢光陰』・下巻『閃光雷鳴』の2巻本。1000ページを越える大著となりました。
●イラクで拘束された3人の人質の親・弟妹・従兄弟たち。
自分たちの考えの甘さはどこへやら、泣いたりわめいたり、外務省を責めたり、挙句に3人の救出のため「自衛隊をイラクから帰せ」と公私混同。随分ひと騒がせな人たちでした。
 最初に「行かせるべきではなかった。止めればよかった。私たちも甘かった。世間を騒がせ、外務省ほか関係者の皆さんにご迷惑をかけて大変申し訳ない。自分たちの力ではどうすることもできないので、皆さんのお力を借りたい。わがままは承知の上でお願いをしたい、どうか助けていただきたい」、こう言って宮崎や北海道の自宅で待機をしていれば、自業自得などと言われずに済みました。
 高校を出たばかりの未成年の息子が危険なところに行くのを許した親の連帯責任を、一言も言えなかった父親。退避勧告を無視してまで息子がイラクに行くのを認めた以上、万一のことが起きたら責任を全部背負うのが父親たるもの。ところがこの父親、危ないイラクに息子を出しておいて「人命が大切だ」と口をすべらせる始末。それを言うなら最初から行かせるな、自分の子の命は自分で守れ、自己責任はどうなのだと、言いたくなるのが国民感情。自己責任とは、自分が決めてやったことは自分で始末をつけるということ。子供の不始末は親の責任だということ。多くの人に迷惑をかけたりお世話になってやることをボランティアと言いません。
●今年の年金改正で
明るみに出た政治家の掛金の未払いで騒ぐのもけっこうですが、年金で暮す老後の生き方も問題。孤独・病気・要介護、近づくあの世。老いるとはみじめなことではなく、人間であることを卒業して「ほとけ」に近づくことですが・・・。
●今の憲法が時代にそぐわないので、
全面的に見直そうという憲法論議が始まろうとしています。要は9条と自衛隊の問題。平和憲法の根拠だった「前文」の「戦争放棄」をどうするか。そうなると、9条を絶対に変えてはならない、一言一句現在のままでいいという昔の社会党のような護憲派と、憲法改正を党是とし自衛隊と憲法に明記したい自民党の対立、という旧態依然の対立。対立ではなく両立の知恵はないものでしょうか。大師の密教は「二而不二」、「二つで一つ」の知恵でした。
●このゴールデンウィークに、
韓国北方の人工の島「南怡島(ナミソム)」に日本人観光客が押し寄せました。テレビで大ヒットした韓国の恋愛ドラマ「冬のソナタ」のロケ地ツアー。皆、主役チュンサン役のペ・ヨンジュンになったり、ヒロイン・ユジン役のチェ・ジウになったり、うっとり顔の写真撮影。そこにまた珍光景、あの並木道を若い者について歩く中高年の夫婦。「老いらくの冬のソナタ」??? 日本人の節操はどこに行ったのでしょう。
●「8時だよ、全員集合」を
10数年もの長い間成功させた、ドリフターズのいかりや長介さんが亡くなりました。「8時だよ、全員集合」はお堅い人や教育ママから俗悪番組の王様とまで言われたものでしたが、出棺の際につめかけたファンから期せずして拍手がわきました。
●世界遺産に内定した和歌山県の熊野古道が観光ブームです。
東からは新宮市から那智の滝・那智大社・青岸渡寺(西国三十三ヵ所観音霊場一番札所)から入って熊野本宮へ、北からは吉野から入って天川村を経て熊野へ、西からは高野山・龍神温泉方面から熊野へ、南からは南紀白浜・田辺方面から中辺路を経て熊野へ、神々の道が通じています。
 熊野信仰は昔から盛んでした。熊野信仰は「一度死んで生まれ替る」つまり「再生」の信仰です。四国八十八ヵ所のお遍路も「死国(しこく)」に渡り一度死んで生まれ替る、大師に導かれて生まれ替る「再生」の旅です。
 片柳町の檀家さんで、お盆になると明治時代に高野山でいただいた先祖供養の掛軸を飾るお家があります。交通のまだ不便な時代、よく高野山までお参りしたものだと感心させられます。今回世界遺産となった吉野・大峰山・那智・熊野・高野山といった紀伊山地は、昔から山岳修行の霊地でした。その一角に、弘法大師は真言宗の聖地を選んだのです。あたかも今年は弘法大師入唐1200年。1200年の時を越えて大師の意図したものの深さがわかります。

■秋号より■

●地球が怒っている
広い宇宙でただひとつ、生命が生存できるこの地球で
愚かな人間どもの殺し合いや環境汚染がやみません
だからとうとう地球が怒りました
世界の異常気象は、地球が怒ると
人間の殺し合いどころではない大量の生命が
失われることを教えています
●秋彼岸の9月25日、
恒例の「施餓鬼会」の法要が行われました。役員さん方総出仕で役割分担と運営をお願いし、午後1時過ぎから約1時間住職の法話(今年は『般若心経』の唱和、施餓鬼の意義、弘法大師入唐1200年、当山開創750年について)、続いて「施餓鬼」の法要に移り、住職を導師に10人の縁故寺院ご住職による荘厳華麗な法要が行われました。今年はお天気にも恵まれ、1時には本堂内がほぼ満員、例年のように檀家の皆様の熱心なお参りをいただいて盛大裡に終りました。
●夏が暑いと紅葉がきれいだといいます。
紅葉の便りがあちこちから届きます。春に芽吹いた葉が半年の生命を終える前の最後の輝き。しかし錦織りなす美しい紅葉もまもなく落ち葉となって木々のまわりに重なり合い、腐って堆肥となり次の新緑を産み育てます。私たちにも終りの時がきます。「老いる」ということは終りの予兆。紅葉のように終りの準備が必要なのですが、私たちは老いても終りの準備がなかなかできません。
 終りの準備とは何か。それは高野山や四国霊場をお参りしたり、お経の一つもおぼえて心のお化粧(心の平安をたもつ)をすることであり、永年生きてきたあかしとして、息子や娘そして次世代の人に「贈る言葉」を言うことです。老いの言葉には枯れた味があるはず。紅葉に見倣いたいものです。
●この秋、益子焼の人間国宝島岡達三先生の
工房を見学する機会に恵まれました。益子の陶芸では浜田庄司・加守田章二に次ぐ巨匠。ところが実際お会いしてみると、口数は少ないながら気さくな好々爺という感じ。時折みせる笑顔に数々の名作を創作してきた年輪を見る思いでした。
●アテネオリンピックでメダルを獲得した
日本選手のインタビューを聞いていて、国際舞台で身につけた自然体の「日の丸」感覚を感じました。彼らはまた、コーチはじめ家族にいたる周囲の人や、スタンドやテレビで応援をしてくれた人たちへの感謝の言葉を忘れませんでした。しかも表彰式ではリラックスしながらも礼儀正しく堂々と「君が代」を歌っていました。これが国際化時代の新しい国家意識になれば本物。
●足利銀行の破綻で不名誉な県となった本県で、
痛ましく不名誉な事件が起きてしまいました。かわいい盛りの男の子が、父親の友だちにひどい虐待を受けつづけたのち、橋の上から川に投げ落とされ水死しました。
 事件後に覚せい剤所持で逮捕された父親といい、親族といい、幼児虐待でかかわった児童相談所といい、一時保護をした警察といい、虐待を見ていたスタンドマンといい、みんな鈍感な大人たち。まぁまぁなぁなぁの事なかれ主義。これ、実は栃木県の県民性。足銀破綻の根と同じです。
●大東亜戦争の戦後処理にあたって、
中国の指導者だった蒋介石は敵国日本に対し「中国人はアダに対しては恩をもって報いる」と言い、ソ連が主張した北海道の留萌と釧路を結ぶ線以北(の不凍港)の分捕りに反対し、スターリンの野望を阻止してくれました。
 毛沢東と周恩来は、日中国交回復交渉の際日本に戦後賠償を求めず、毛沢東は「もうケンカは終わりましたか」と言ってにこやかに田中角栄首相と握手をしました。中国でいう「大人(たいじん)」でした。
 ところが最近の中国はどうでしょう。何かと言えば反日。中国の主要都市で行われたサッカーのアジアカップの試合で、日本代表選手にブーイングや侮辱的な罵声を浴びせ、大使館員の乗った乗用車を壊す始末。昔なら戦争で、大会主催国としてあるまじき国際感覚のなさ。国民の民度の低さ。
 いったい誰のおかげで製鉄所ができ、工業生産が伸び、経済が成長し、北京オリンピックができる国になったのか、中国の若者はそういう史実を教えられていないのでしょう。