蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成31年・令和元年(2019)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
今年は、今上天皇が4月30日にご退位
代って皇太子殿下が5月1日にご即位され
元号も新しく替ります
今の陛下の「平成」の御世は
「平らかに成る」とはウラハラに
国の内外で血なまぐさい戦争・テロ・事件が多発し
自然災害も頻発しました
天皇・皇后両陛下はそのたび
どれくらいお心を痛めたことか
次の新天皇の御世は是非、
穏やかな世界と日本でありますよう
●新年明けましておめでとうございます。
 平成31年(4月30日まで)。
 新元号元年(5月1日から)
 西暦2019年、亥歳です。
 今年の恵方は、北よりの東の方角。
●年男・年女(亥歳生れ)
長所 義理人情にあつく、まっすぐでぶれない。実直。潔白性に富む。研究熱心。
愛情深く親兄弟思い。
短所 実直潔白なだけに頑固。間口広く奥行がせまい。一つのことを最後までまっとうできない。一人で万事かかえこむ。
運気 初年、中年苦労多い。晩年はよし。
守り本尊 阿弥陀如来
ご真言 オン アミリタ テイセイカラ ウン
●新年の俳句
門松も おもへば一夜 三十年芭蕉
正月の 子供になって 見たき哉一茶
年玉を 並べて置くや 枕もと子規
日本(にっぽん)が ここに集る 初詣誓子
去年(こぞ)今年 貫く棒の 如きもの虚子
●2月3日は節分です。
昔はどの家でも夕方仕事を終えた主人が「福は内、鬼は外」のかけ声とともに一升枡の福豆を家中にまき、みんなで年令の数の豆を食べました。「福」は「春」、「鬼」は「冬」。福豆(春)で鬼(冬)を追い払う(追儺)のです。当山は、「三鬼尊」をお祀りしている関係で「鬼は外」とは言わず「鬼も内」の節分です。節分の翌日は立春大吉。暦の上では春です。
●平成元年から在位30年と4ヵ月、
4月30日に今上陛下が退位されます。生前中に退位をされるのは202年ぶりとか。退位後、今上陛下は上皇(じょうこう)に、皇后陛下は上皇后(じょうこうごう)になられます。
 代って5月1日、皇太子殿下が新天皇として即位され、秋篠宮様は皇嗣(こうし)となられます。新皇太子は当面置かれません。新天皇の即位に伴い、元号が「平成」から新しい元号に替ります。
 今上陛下が退位される4月30日には、天皇の退位を国民に明らかにするため国民の代表に会われる「退位礼正殿(たいいれいせいでん)の儀」が皇居で行われ、総理大臣・衆参両院議長・最高裁長官ほか地方自治体の代表など、国民の代表が参列します。
 新天皇が即位される5月1日には、皇位の象徴である「三種の神器」のうち、「剣」と「璽」(勾玉(まがたま))の二つとともに国璽・御璽を引き継ぐ「剣璽(けんじ)等承継の儀」が皇居で行われます。
 即位式となる「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」は、10月22日に、皇居宮殿・正殿松の間で行われ、国内外の賓客が招かれます。明治天皇から昭和天皇までは京都御所の紫宸殿(ししんでん)で行なわれましたが、今上陛下の時から皇居で行われるようになりました。新天皇は「高御座(たかみくら)」に、新皇后雅子様は「御帳台(みちょうだい)」に昇られ、新天皇より参列者に即位宣言の「おことば」があります。
 新天皇の即位に伴い、天皇がはじめて五穀(ごこく、米・麦・粟・稗・豆)を天照大神ほか天神地祇に勧め、自らも食べる宮中祭祀の「大嘗祭」(だいじょうさい、=新嘗祭(にいなめさい))は11月に行われる予定です。
●昭和天皇の在位64年にくらべると半分に満たない在位期間でしたが、
民主主義時代の象徴天皇らしく、常に国民に心を配られ国民とともに歩まれた今上陛下と皇后陛下に、心から敬意と「よく、お務めいただきました」という感謝の言葉を贈りたいと思います。とくに、民間から初めて皇室に入られた皇后陛下のご苦労やご努力はいかばかりだったか、察するに余りあります。国民と共にある皇室の新しい役目を見事に果たされました。
 それにしても、今上陛下の「平成」の世は「平成」とは裏腹に「平らかに成らない」ことがよく起りました。目立ったのは自然災害で、東日本大震災をはじめ、地震・噴火・集中豪雨・台風による死者・行方不明者・家屋流出・家屋損壊は数えきれません。天皇皇后両陛下はそのたび、多忙な公務をさいてたびたび被災地に足を運ばれ、避難場所の床にヒザをつけて避難民を励まされました。避難民はどれだけ慰められ、逆境を生きる元気と勇気をいただいたことか。
●天皇の正式な世継ぎである皇太子は置かないことになりました。
異例です。皇太子家のご令嬢愛子様の女性天皇問題が小泉内閣の時代に検討されましたが、秋篠宮家にご子息悠仁(ひさひと)様が誕生され、女性天皇問題はそのままになりました。そうした事情が背景にあるのでしょうか。
●平成が終るにあたり、平成時代の総理大臣を私見で評価してみました。
×宇野宗佑69日で失脚、評価に価せず。
海部俊樹2年余、可も不可もなし。
×宮沢喜一1年半、秀才かならずしも宰相にあらず、自民党政権終る。
細川護熙1年未満、自社さ政権、政治改革成るも早々に政権投出し。
×羽田 孜64日で退陣、自社さ政権、評価に価せず。
×村山富市1年半、自社さ政権、阪神淡路大震災、オウム事件、評価に価せず。
橋本龍太郎約2年半、第二次内閣から自民党政権、金融不安、可も不可もなし。
小渕恵三約1年半、可も不可もなし、脳梗塞で倒れる。
×森 喜朗約1年、神の国発言、評価に価せず。
小泉純一郎5年半、規制緩和、郵政改革、拉致被害者帰国、デフレ続く。
×安倍晋三1年、持病で体調崩し退陣、評価に価せず。
×福田康夫1年、評価に価せず。
×麻生太郎1年、問題発言、漢字を誤読、評価に価せず。
×鳩山由紀夫1年未満、「トラスト・ミー」の失言、今の辺野古への移転を困難にした、評価に価せず。
×菅 直人1年余、東日本大震災、福島第一原発の事故の際の失態、評価に価せず。
×野田佳彦1年余、期待はずれ、民主党政権終る。
安倍晋三 

■春号より■

●5月1日午前、
皇居宮殿「松の間」において「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」が行われ、皇太子様が神武天皇より数えて126代目の天皇になられました。59才でのご即位で、史上3番目の年長即位です。正式な「即位礼正殿の儀」は10月22日、同じく皇居宮殿「松の間」で行われます。
●即位後初めての新嘗祭(にいなめさい、収穫祭)となる
「大嘗祭(だいじょうさい)は、その中心儀式となる「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が、11月14日~15日に皇居東御苑で行われます。去る5月13日、「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」で神々に供える米を育てる「斎田(さいでん)」が、宮中に伝わる「亀卜(きぼく)」によって栃木県と京都府が選ばれました。
●新天皇のご即位の1ヶ月前、
4月1日に新元号が「令和」と政府から発表されました。この「令和」の出典は『万葉集』の巻五。大伴旅人が赴任先の大宰府で催した梅の花の下の宴での「梅花の歌三十二首」の序文。「于時初春令月 氣淑風和」(時は春の初めの好い月に、空気は気持ちよく、風もおだやか)。
●上皇となられた平成天皇は、
沖縄をはじめ内外の戦地に何度も足を運ばれ、英霊や戦争犠牲者の追悼に御心を配られました。それにならったわけではありませんが、宗教者のはしくれとしてこれまでヒロシマ・ナガサキ・沖縄に何度か行き、原爆犠牲者や沖縄戦の英霊・犠牲者に合掌読経してきました。そして長い連休明けの先日、ずっと想い続けてきた知覧(ちらん、鹿児島県南九州市)の元陸軍特攻隊基地に行き、大東亜戦争末期の沖縄戦で果敢に戦い散っていった特攻隊の若き英霊に合掌読経し慰霊してきました。
●大東亜戦争の末期、
沖縄まで追いつめられた日本軍は、フィリピン・レイテ島沖の海戦で海軍が戦果を挙げた空母体当たり部隊(神風特別攻撃隊)を陸軍にも組織し、沖縄に近い知覧の飛行場を最前線の陸軍特攻基地としました。特攻隊員は全国から次々と集結しましたが、そのほとんどは到着後わずか一夜~五日を粗末な「三角兵舎」で過し、すぐ出撃していきました。多くは、17才から20才代前半の青年でした。
●戦地沖縄まで戦闘機「隼(はやぶさ)」で二時間。
帰る燃料はありません。生きては帰れない「十死零生」の必死隊(=「振武隊」)です。知覧基地から飛び立ったのは439人。特攻平和観音堂に名前が刻まれている特攻英霊は1036名。知覧のほかに万世(現、南さつま市)・都城(都城市)・熊本(熊本市)・鹿屋(鹿屋市)・大刀洗(福岡県筑前町)・台湾から出撃した英霊も祀られています。
●知覧特攻平和会館に展示されている
遺品・遺言・辞世の和歌は、涙なくしては見られません。小泉元総理も涙が止まらなかったというのは本当でしょう。以下は出撃前に残された「辞世」の一部です。
悠久(ゆうきゅう)の 大義に生きん 若桜
只(ただ)勇み征く(ゆく) 沖縄の海
君(きみ=天皇)のため 吾れは征くなり 南海に
敵 撃滅(げきめつ)の 火と燃えて
国のため 愛機(あいき)諸共(もろとも) 敵艦に
玉と砕けて 吾れは尽くさん
大君(おおきみ=天皇)の為 何か惜しまん 若桜
散って甲斐(かい)ある 命なりせば
召され来て 空の護(まも)りに 花と散る
今日の佳(よ)き日に 逢(あ)うぞうれしき
おのが身に 遂(つい)に来たれり 決戦の
敵 轟沈(ごうちん)の 血潮(ちしお)踊るも
大命(たいめい)の まにまに逝(い)かむ 今日の日を
吾が父母や 何とたゝへん
帰らじと 思ふこころの ひとすじに
玉と砕けて御国まもらん
人の世は 別れるものと 知りながら
別れはなどて かくも悲しき
我が生命 捧げるは易(やす)し 然(しか)れども
国 救ひ得ざれば 嗚呼(あゝ)如何(いか)にせん
●軍国教育・軍人教育・天皇陛下万歳によって強制されたにしても、
特攻隊員の心の気高さ・純粋さはホンモノで、17才から20才代前半にしてこれだけの教養と精神力と大人の自覚をよく身につけたものと感服します。